海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

11月27日 隠れ場での祈り

おはようございます。
この希望は失望では終わりません。


☆今日の御言葉 詩篇116篇1−2節
「私は主を愛する。主は嘆き祈る私の声を聞き、私に耳を傾けてくださる。私は生きるかぎり呼び求めよう。」


「私の隠れ場-The Hiding Place」(コーリー・テン・ブーム著)という書物があります。第二次大戦中、ナチス・ドイツはオランダでも反ユダヤ人政策をとります。クリスチャンのテン・ブーム一家は、ユダヤ人を家にかくまっていましたが、密告により家族全員が強制収容所へ連行されてしまいます。


当時53歳のコーリーは、姉のベッツィーと共に、ドイツのラベンズブルック刑務所に送りこまれることになります。そこは、死ぬまで働かせる目的で作られた強制労働収容所で、過密な人口を減らすため、毎日七百人もの女性が死ぬか、殺されのです(終戦までに9万6千人が死亡)。いつ殺されるか、拷問にあうか、知る術もないコーリーは、祈りの中で御声を聴きます。「コーリー、彼らの残酷な所業のことを考えるな。わたしがお前の隠れ家だ。私に隠れればいい」と。コーリーは、「主が隠れ家」とはどんな意味なのか、収容所の中で少しずつ体験し、主を信じることを学んでいくのです。簡単には語ることのできないこの出来事、あまりに残酷な現実の中で、信仰はどのような生きて働くのでしょうか。


コーリは極限の苦しみの中で、こう祈ります。
「苦しみがあまりにも深くて、話しかけるのが困難に感じることがある。そのような時、主が理解していて下さると知るのはなんという喜びか。主が届かないような深い穴など存在しない。永遠の腕が私たちを支えてくださる。主は理解してくださる・・」


この祈りがコーリーにとっての隠れ場になりました。たとえ困難が周りにあっても、心にはこの祈りの隠れ場あり、このところに恐れは入ってくることができないのです。


今日の詩篇のみことばとコーリの祈りが重なるのです。「私は主を愛する・・主は嘆き祈る私の声を聞き、私に耳を傾けてくださる・・」


この詩篇は、極限の苦しみの詩篇と呼ばれています。116編3節には「死の綱が絡みつき、陰府(よみ)の脅威が私に迫り、私は苦しみと嘆きに突き当たった。」


これ以上ない苦しみを経験することがあります。人生でもっとも深い絶望という穴の中に閉じ込められて、全く光が届かない状況です。


実は、光が全く届かない暗闇は、「私の隠れ場」ともなります。神さまにただ祈ることしかできない場所です。すべてのものが困難に思えても、その深い穴で、上から注がれている唯一の神さまの愛という光に出会うのです。


心にあなたと神さまだけが住む隠れ場でこう祈ります。


・主を愛します・・
神さまの愛を見つめます。愛は、良い状況を私たちに与えるものだけではありません。苦しみの時に抱きしめられ、悲しむ目の涙をそって拭ってくださる神さまが共にいてくださるのです。「主を愛します・・」その苦しみの中での告白は、私たちの尊い信仰なのです。


・嘆き祈ります・・
嘆きの祈りは聞かれます。神さまは、私たちと心を一つにしてくださるのです。私の痛みを放っておくことはできないのです。苦しみの中からささげられる嘆きの祈りは、神さまの耳に届き、神さまもわたしと同じ思いになり、苦しみ、痛み、嘆きを共にしてくださるのです。私は一人ではないことがわかります。


・呼び求めます・・
悪の力は、私たちを落ち込ませ、神さまの恵みから引き離し、私たちを暗闇の縁に追い込みます。しかし、私たちは知っているのです。天は開かれていて、呼び求める声はどこにいても神さまに届けられることを。勝利は間近です。


深い闇の中でこそ、神さまが届けてくださる光は力強いのです。
賛美をともに・・https://youtu.be/2dLwYXHvwZU
 

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