海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

7月11日 幸せになる生活リズム

おはようございます。
神さまは全ての恐れを取り去ってくださる方です。


☆今日の御言葉 詩篇127編2節
『朝早く起き、夜遅く休み、苦労してパンを食べる人々よ。主は愛する者には眠りを与えになるのだから。』


思うように動くことができなくても、自分が考えるように物事が進まなくても、それは神さまが大切な時を与えている時なのかもしれません。


私たちは、ある時、走り過ぎて、人への優しさを見失います。働きすぎて、自分の健康を大切にできないことがあります。成果や成功を求めすぎて、愛する人や家族との豊かな時間を後回しにします。動くこと、前へ進むことで、自分の価値や自分の幸せを求めてしまいます。


神さまは、愛するものに眠りをお与えになります。


神さまに愛されているものは、そのままで価値があり、豊かで、いつも慈しみの眼差し守られています。


神さまと共に幸せに生きる生活リズムがあります。


1、休息と神さまの愛
神さまは愛するものに眠りを与えてくださるのです。ゆっくりと休む時です。心も魂も充足し、回復する時です。焦って物事を進める必要はありません。すべての良き業は、十分な休息、安息から生まれるのです。神さまの愛に囲まれるように、プレッシャーになることを考えず、1日の時間の中で大切に神さまにある愛の心を育む時間を大切にします。


2、励ましとみことば
自分の力だけで行動したり、考えたりすると必ず限界がきます。私たちは、良き力に守られ、良き励ましに支えられて生きることが必要です。自分自身の中だけでは、前へ進む力が出てこない時があります。みことばは、今日の歩みに力を与える燃料です。神さまは、みことばを通して、私たちの道を示してくださるのです。


3、喜び
自分にとっての楽しみや喜びを1日の優先順位の中で高くします。やるべきこと、仕事、日常生活のあらゆる手の業だけを優先していくと、自分を満たす時間が少なくなってしまいます。むしろ、自分の喜び、楽しみを大切にしながら、日々のなすべきことに向き合うと、ちょうど良いペース配分になります。


4、神さまの業を楽しむ
神さまの生活リズムは、安息から始まり、満たされること、楽しむこと、人生を祝うことをゆっくり見つめます。そうすると、その歩みは、自分が思うよりも、ゆっくりとしてペースであることに気づきます。神さまが天地創造をされた時に、1日ですべてのものが完成するようにはしませんでした。1日、1日、豊かで長い時が必要でした。それでも、毎日、神さまの業は起きたのです。神さまは、その創造の働きを楽しむように、「今日はこの恵みがあるよ」「今日はこんなに楽しい出来事が待っているよ」と、日々、人生の様々な出来事の中に生きて働いていてくださっているのです。


人生のペースを神さまとともにあるペースに合わせましょう。
きっと幸せはそこから生まれてきます。

 

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7月10日 石を砕いてコロコロに

おはようございます。
神さまの恵みは朝から夜まで満ちています。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書6章37節
『私のもとに来る人を、私は決して追い出さない。私が天から降って来たのは、自分の意思を行うためではなく、私をお遣わしなった方の御心を行うためである。』


私たちの話す言葉には、「否定語」と「肯定語」があります。1日の中でどちらを多く使うでしょうか・・。否定語が多いと話す方も聞く方もとても重たい気持ちになります。肯定語が多いと、生きることが楽しく豊かになります。


でも、どうしても私は否定語が多くなってしまう時があります。そのような時は否定語を肯定語に言い換えてみます。


たとえば「どうしたらいいのだろうか?」→「なんとかなる!」
「疲れたあー」→「よく頑張ったあ!」
「最悪かもしれない?」→「特別な経験、良いことにきっとなる!」
「もうダメかもしれない」→「まだやれることがある」・・。


少しでも気持ちは楽になるでしょうか。


今日のみことばの中で、イエスさまは「自分の意思を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」と言われました。


「意思」ではなくて、「御心」を大切にしたのです。
神さまにある人生の祝福の鍵を握る言葉です。


意思とは、なんでしょうか。こんな言葉に出会いました。
「石(意思)を砕くと、コロコロ(みこころ)になる」


つまらないジョークのようですね( ; ; )


大きな石は、重く、持ちにくいものです。
砕かれたコロコロとした石は、軽くて、持ちやすくて、細分化されます。


私たちの思い、気持ち、思考はある時、石のように固く、それを持って生きていると足取りが重くなります。物事に頑なになり、自分の思いに固執するようになり、思い通りにならないと否定語が出てきます。


エスさまは、御心を握っていました。
それは、豊かで、軽やかで、柔軟で、重くなく、実に豊かなのです。
希望に溢れ、祈りは聞かれていることを信じ、肯定的に人生を見つめるようになります。


聖書の時代、イエスさまの周りにいる人たちは、岩のような人たちでした。
頑ななで、自分の思いを曲げず、人を分け隔てしていました。


エスさまは、「わたしのもとに来る人を決して追い出さない」と言われます。
それが神さまの御心だからです。


意思を砕いて、御心にしてみます。


「あの人はダメだ」と石(意思)を固くしません。
「神さまの愛があれば人は変えられる」と御心を祈り求めます。


「わたしの人生は不幸だった」と決めつけません。
「神さまは無から有を生み出す方、これからもっと幸せになる」と信じます。


「わたしは救われない」と自分を責めません。
「イエスさまは命をかけて私を愛して救ってくださった」と感謝します。


「もう良いことはない」と悲観的に今を生きません。
「最高の時はこれからやってくると」と心を高くあげて神さまを賛美します。


神さまはそう信じて生きる人たちに約束をしてくださっています。
「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」
(第一ヨハネ5:14)
 

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7月9日 小羊を飼ってみる

おはようございます。
水害の被害に遭われた方々のためにお祈りします。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書21章15節
『イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言うと、イエスは、「私の小羊を飼いなさい」と言われた。』


人の本当の幸せと心の癒しは、一人でも自分の心を見つめて、深く知り、寄り添ってくれることです。ある人の、一つの言動には、5つ以上の複雑な心情が組み合わされています。現れている言葉や態度は、氷山の一角でその心には、多くの思い(怒り、傷、悲しみ・・)がある場合があります。


エスさまのお弟子さんのペトロは、複雑な心情を抱えていました。少なくても3つの思いを抱えていました。イエスさまは、その一つひとつをじっくりと見つめ、一つも否定せず、指摘して責めることをしないで、心をゆっくりと、人生を豊かな方向へと導かれたのです。


それは、人が痛みの中から、癒し、再生、希望に向かうプロセスでもあります。

 

癒し・・後悔から赦しへ
ペトロは、イエスさまを3度知らないと言ってしまったことを後悔していました。イエスさまはペトロの後悔を知っていました。その出来事を取り上げて否定することはしませんでした。そのままのペトロに近づき、優しさ、愛、みことばのあたたかさに触れた時に、人生は良い方向へと動き出したのです。自分を責める必要はありません。後悔は私たちの未来を閉ざしてしまいますが、イエスさまの愛は、私たちの未来を開いてくれるのです。


再生・・惨めさから愛へ
人の心は、たくさんの重荷を背負っています。人の言葉や、この世の正しさでは、変わることができないことがあります。イエスさまはペトロに「私を愛しているか」とだけ語られました。愛と赦しから希望は生み出されていきます。立ち上がれない時にも、自分の惨めさを思う時にも、心にあるイエスさまへの愛が慰めと力となるのです。


希望・・喪失から使命へ
歩み出しはゆっくりです。イエスさまの赦しから始まり、愛を心に満たし、使命が与えられました。それは驚くべきことです。つまずき、自分の力でどう生きていいのかわからないところから、イエスさまは、ペテロを新しい使命へと導かれたのです。


過去は過ぎ去り、未来には希望が与えられ、今はイエスさまの愛で歩み出そうとしているのです。ペトロはイエスさまに「小羊を飼いなさい」と言われました。


今日は、ペトロと一緒に小羊を飼いましょう。
(あの人もこの人も、可愛らしい小羊のような存在です)


エスさまがペトロにしてように愛を分かち合います。


・誰かの心の深いところを見つめる日でありますように。
・愛の関係を回復する日でありますように。
・何かに後悔し、痛みを抱えている人の勇気と励ましになることを祈り求めます。

 

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7月8日 愛と平和の実験

おはようございます。
慰めと守りの日でありますように。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二 13章11節
『喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。』


甘いトマトを見分ける実験というものを見たことがあります。必要なものは、ミニトマト10個ほど、砂糖大さじ2、水500ml、透明の深めの容器です。容器に水を入れて、浮かんできたトマトがあれば、取り出します。容器の水に砂糖を入れます。浮かんできたトマトがあれば取り出します。


この実験によって、トマトの濃度の違いを調べることができるようです。砂糖を加えても最後まで沈んでいたトマトが、砂糖水よりも密度が高く、甘いトマトになるということです。


甘いトマトを味わうように、今日、愛と平和の神が共にいてくださっています。
そのことを実際に体験してみたいと思います。


材料を用意します。
喜び、初心、励まし、一致、平和です。


・喜びは、神さまが良いことをしてくださったことを思い起こす時に心に宿ります。
今の恵みを数えます。心に一つでも、二つでも喜びがあれば大丈夫です。


・初心に帰ることは、純真さ、今日の私の心をありのままを見つめることです。
そのままの私の喜び、私の好きなこと、自分の本質に関わることを大切にしてみます。


・励ましは、一人でも友の姿を思い起こすことです。
祈ってくれる人がいます。決して一人ではありません。勇気を与えてくれる存在、喜びを分け合う友のためにとりなし祈ります。


・一致は、自分の思いを横に置きながら、隣にいる人の心の中にいるイエスさまを見ます。
私の内にいるイエスさま、隣の人の中にいるイエスさまを見る時に一つになれるのです。


・平和は、委ねることの練習です。いつでも自分の考え、過去の経験が人生を動かす力となっています。自分の動かす手を祈り手として神さまの助けを待ち望み歩みます。


この一つひとつのことを僅かでも少量でも、心で混ぜ合わせます。
そうすると、私自身の存在は、神さまの愛の密度が高くなります。


愛と平和の神さまが共にいてくださる、豊かな恵みが降り注ぐ人生とさせられていくのです。


今日、愛と平和の神さまがともにいてくださいます。
 

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7月7日 涼しさと蒸し暑さ

おはようございます。
神さまの助けを経験する日でありますように。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書19章14節
『子どもたちをそのままにしておきなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』


梅雨のジメジメとして蒸し暑さが続きますね。低気圧の影響と湿度が高くなることで、体調を崩される方もいると思います。
天気の影響や季節を変えることはできませんが、神さまの愛に守られて、涼しく爽やかに生きる歩みは、いつも子どもたちの姿から教えられることがあります。


幼児教育の父と評される倉橋惣三先生(お茶ノ水女子大学)の「育ての心」という書物の中にこのような言葉があります。


「涼しい顔 


幼児たちの顔、何という涼しさだろう。此の日中を駆け歩き飛び回り、遊びつづけていながら、何という涼しさだろう。
焦らない心は涼しい。もだえない心は涼しい。


鬱積せる愚痴、追いまわす欲念、密閉せる我執、塗りあげる虚飾。思っただけでも蒸し暑いが、それが幼児にない。


忘れた我。事に即し今に生きる真剣。熱風裡に居て熱を知らず、汗にぬれて汗を知らぬ幼児の顔。
今鳴いている一匹の蝉をねらって、万象無に帰せる幼児の顔。悟道の極ではないが、何という心の涼しさだ。 


それにしても、なんと暑くるしい我等の顔。」


エスさまは、涼しさが大好きなのでしょう。
「子どもたちをそのままにしておきなさい。・・天の国はこのような者たちのものである」


天の国には、涼しい風が吹いています。神さまの愛の風が今日私たちの人生に吹いています。


目を閉じて、今生かされていることの感謝を感じる時に、私たちのこれまでの人生に数えることのできないほどの、海辺の砂のような、夜空の星のような恵みがありました。


人と比べる必要はありません。今が悲しみでも、その悲しみの涙は地におちて、人生を育み、大きな喜びの出来事へと変えられていくことがあるでしょう。


顔は、神さまに愛されている微笑みで無邪気に歩みます。
足は神さまが与えてくださった人生をすべて委ねて駆け回るように生きます。
心は、神さまの愛に豊かにされて、今を楽しむ気持ちで何でもチャレンジします。


今日の日は、山や丘や川の大自然の涼しさの中に生きるように、大きく祈りの深呼吸しながら、
心配があっても焦らず、大変な中に生きることがあってもだえず、神さまの懐の中にいる平安をもって歩みます。

 

そこに天の国の涼しさが、爽やかな風が生活を包んでいてくださるのです。
 

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7月6日 生きている聖書

おはようございます。
雨の日、1日が守られますようにお祈りしています。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書5章16節

『あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられる父を崇めるようになるためである。』


「この世への聖書」(アニー・ジョンソン・フリント)という言葉に出会いました。
(自分なりに受けとめてアレンジした内容です)


「神さまは、ほかの手ではなく、私の手を通して、愛を示そうとされます。だれかにそっと水を差し出すような、神さまの愛の働きのために私を必要とされています。

 

神さまはほかの足ではなく、私の足を通して、光を照らしたいと思う場所に行かれます。今日、もし行く場所があれば、その場所に着いたら、祝福があることを祈ります。


ほかの舌ではなく、私の舌を通して、誰かを励まし強めたいと願っています。誰かに「あなたが生きていることは素晴らしい」と語りかける祈りの日でありますように。


ほかの助けではなく、私の手を通して、だれかに勇気を与えたいと願っています。自分にできることで、誰かの力になるようなことが一つでもできますようにお守りください。」


力は弱くても、神さまの愛を伝える小さな聖書となって生きることができたら大きな喜びです。


悲しみの地にも希望の花が咲くでしょう。痛みのある所にも、神さまの慰めと癒しは届けられるでしょう。不和や争いや分断の鎖を一つ断ち切ることができるでしょう。小さな、小さな聖書です。でも、私の存在を通して、神さまはご自身が生きておられることを証しされるのです。


神さまの優しい光が私を照らし、今日生きるすべての場所に、出会う人々に祝福がありますように。


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7月5日 すべてに対処する秘訣

おはようございます。
欠けがあると思うところに、神さまの恵みは満ち溢れます。


☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙4章13節
『私は強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。』


神さまがわたしたちの生活の中に働くちょうど良い場所があります。


痛みが深くなるその時、悲しみの涙が尽きてしまう時、力を失って自分の力で立ち上がれないと思う時、神さまは「ちょうど良い。そこからあなたを助け、涙をぬぐい、手を伸ばし、わたしが働こうと」と語られます。


神さまの業は、弱さと痛みの中でこそ、豊かにその力が発揮されるのです。


パウロは、投獄されている中で、多くの人に励ましの手紙を書きました。
苦しみの鎖、自由が奪われる足枷をはめられても、心は自由と愛と喜びの中に生きていました。現実を憂いてしまうことも、不幸だとも思いませんでした。


それには理由がありました。
わたしは・・自分の境遇に満足することを学びました。(フィリピ4章11節)


貧しく暮らすすべも・・豊かに暮らすすべも知っています。満腹することにも、飢えることにも、有り余ることにも、乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。


私たちの人生には、動かせることと、動かせないことがあります。変えられることは、神さまの知恵をいただきながら、できることで背一杯その道を進みます。ストレスを感じる必要はありません。神さまがいつでも必要な助けをしてくださるからです。


変えられないことは、抵抗したり、否定したり、誰かの責任にしたりしません。不満足の暗い心に覆われてしまうからです。今だけを見つめると、暗い心には光が照らされます。


朝の光に照らされているように、今を喜び、今を祈り、祝福と愛の中に置かれていることを静かに、思い巡らします。


思いどおりならないことがあります。それは神さまの御心に頼るように心が整えられているときです。嫉妬や妬みが心に見えるでしょうか。それが見えたら、愛の心につくりかえられるチャンスです。


ある時は豊かになるでしょう。それは多くの人に愛を分け与える機会となります。貧しさの中に歩むこともあります。神さまの助け、備えを小さなことでも感謝する心が生まれます。満腹するときも飢えることもあります。有り余ることも、乏しいこともあります。プラスもマイナスも、わたしたちの人生を神さまの祝福へと導く力となります。

 

なぜ、そう言えるのでしょうか。
「私を強めてくださるお方のお陰で、私にはすべてが可能です」・・この言葉は真実です。

 

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