海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

9月26日 限界と可能性

おはようございます。
誰かが喜ぶことを一つしてみます。


☆今日の御言葉 使徒言行録17章27−28節
『実際、神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。』(使徒言行録17章27−28節)


何をしている時が一番幸せですか?           


いかに幸せに生きるか、ということは人々がいつでも求めていることでした。その昔、ギリシャアテネで、哲学者とパウロという信仰者が激しく議論する時がありました。(使徒言行録17章18節)この当時のギリシャ哲学は、エピクロス派とストア派という学派がありました。


哲学と聞くととても難しいと思いますが、追求するものの一つは、「人間の幸せ」でした。何が一番幸せなのか、どう生きることが幸せなのかを説明するものでした。果たして、どう生きることが幸せなのでしょうか。


エピクロス派・・快楽主義で、個人の快楽を追求します。欲望による快楽ではなくて、精神的に落ち着き、深い安らぎ与える幸福を求めていきます。


ストア派・・禁欲主義で、理性で自分の強い感情(情念)に打ち勝つことが本当の幸福な人であるとします。堅固な独立した自由を求めていきます。


エスさまの福音・・世界とその万物を造られた神さまが存在しています。この大きく、豊かな世界観の中に、私の人生が置かれています。イエスさまは死者の中から復活しました。それは、死と暗闇と絶望の先に、救いと命の喜びがあることを示しています。


あらゆる哲学も思想も、人間の人生には役に立つもので、幸せを与えるものもたくさんあります。しかし、その幸せは永続的ではありません。ある時、その積み上げた幸福も終わり、願って人生とは違うことも経験しなければならないことがあります。


福音は、世の中に幸せを見つける道から、神さまの中に本当の生きがい、喜び、安らぎがあることを教えてくれます。その幸せは永続で、どこでも、何をしても、その幸福は変わらないのです。


なぜなら・・


神の中に生き・・神さまの大きな愛に包まれています。問題も課題も私の手だけでは担いきれなくても、大きな神さまの御手に包まれ、良きものへと作り変えてくださるからです。


神の中に動き・・必要な力と知恵は、上から与えられます。自分の限界は、心の悩みとなりますが、神さまのみことばは私に力を与えて、私の人生を豊かに生かしてくださるのです。


神の中に存在している・・神さまに愛されています。その愛は、深く、豊かです。決して私を見捨てることはありません。どこにでも神さまの助けは与えられます。愛されている者はいつでも守りの中にあるのです。


この世の中だけで幸福を見つけようとするとどうしても限界があります。神さまの中に幸福を見出すならば、その可能性は広がり、小さな私の人生に働く豊かな神さまの業を見るようになります。


今日が心からの喜びと幸せを感じる日でありますように。

 

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9月25日 免疫力と聖書

おはようございます。
寒暖差があります。体調が守られますように。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙4章20−21節
『彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことをせず、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。』


以前、定期検診に行った時に、お医者さんに「免疫力を高めてくださいね」と言われました。「免疫力を高めるためにはどうしたらいいですか?」と聞いてみると、腸内環境を整えるのが一番良いとのことです。腸内には善玉菌と悪玉菌があり、栄養のある食べ物(食物繊維やヨーグルトなど)によって善玉菌が増え、逆にストレスや冷え、脂肪の多い食べ物、睡眠不足によって悪玉菌が増えてしまうようです。この時期、免疫力を高めて、健康に過ごしたいですね。


善玉菌と悪玉菌の話を聞きながら、聖書のみことばを思いました。免疫力のように、私たちの心も善いものによって強くなり、反対に、悪いものによって生きる喜びが奪われていしまうようなことがあります。


今日のみことばの中に、「不信仰によって神の約束を疑う」、「信仰によって強められて神を賛美する」、という2つの生き方が語られています。「疑い」か「信じること」か、常に私たちは、二つの選択肢が与えられています。


たとえば、自分の進路を決めるとき、あるいは、小さな決断をするとき、どう生きようかと思うとき、「疑い」と「信じる」思いが私たちの心の葛藤として生じることがあります。マイナスなことを考えたり、リスクを心配しすぎたり、自分の力の限界の中で物事を見たりする「疑い」がいつも出てくるのです。もちろん、よく考えて行動し決断しますが、信じて、委ねて、覚悟して、自分の道を切り開いていく力強さを必要とする時があります。


どうしたら、強められて、前を向いて、自分の可能性が豊かにされて歩くことができるでしょうか。心が強められ、免疫力を上げるように生きることができるでしょうか。みことばの約束を心の栄養として、いつでも心に思い起こします。


神さまの約束を信じることによって免疫力を上げたいと思います。


・まず、栄養ー良いもので満たしてくださる
「あなたの望みを良きもので満たす方。こうして、あなたの若さが鷲のように新しくよみがえる。」(103編5節)
私たちは複雑に生きる必要はありません。恐れも不安もそのすべてを抱え込まなくても大丈夫です。良きものを神さまは用意してくださっています。みことばの中に私の今日必要な力、知恵のすべてが語られてます。心の緊張を緩めて、委ねて、祈って神さまが良きもので満たしてくださることを体験しましょう。


・そして、睡眠ー希望の朝がくる
「夕べは涙のうちに過ごしても、朝には喜びの歌がある。」(詩篇30編6節)
涙を流すことで、心の曇りも恐れも外に流されます。辛い思い、悲しみの気持ちは、涙のように外に出します。暗闇の夜にも共にいてくださるお方がいます。必ず、朝はやってきます。暗闇、悲しみがそのまま続くことはありません。やがて朝日が優しく包み込むように、神さまの守り、支え、恵みの出来事を経験することができます。今日は安心して眠りましょう。


・やっぱり、運動ー命の冠をいただく
「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格な者とされ、神を愛する者に約束された命の冠を受けるからです。(ヤコブ1章12節)
試練の道を歩む時があります。力が入ります。頭はフル回転。心の疲れも感じることがないほどに、走り続けなければいけない時があります。その道には、祈りが必要です。助けが必要です。時には休み、時には安らぎ、そして神さまの守りの中で歩みます。やがて、その道の先には、命の冠があります。イエスさまが試練にも労苦にも報いてくださるのです。


免疫力を上げて、今日の日が守られますように。
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9月24日 心の目で見る信仰

おはようございます。
今年もあと99日です。毎日1つ自分を喜ばせてくださいね。


☆今日の御言葉 詩編91編1−2節
『いと高き方を隠れ場とする者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げる。「わが逃れ場、わが城、わが神、わが頼みとする方」と。』


神さまを信じることを「信仰」といいますが、この信仰というのは、実際目で見て確認することができません。でも、もし信仰を見るようにして体験することができたらどうでしょうか。人生に神さまを信じることの喜びが広がっていきます。


クリスチャンの小説家で井上ひさしさんというお方がいました。数年前NHKのテレビ番組で「先生はどのように小説を書いていますか?」と聞かれた時、「難しいことを優しく、優しいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことはあくまでも愉快に」と答えたそうです。


神さまを信じることにもつながっていると思いました。神さまを信じる思いは、人生を決して複雑にするものではありません。神さまは優しく寄り添い、大切なことを語りかけていてくださいます。そして、深く、面白く、真剣に愉快にいつでもみことばを語りかけていてくださるのです。


詩篇91編の表現から、日々の歩みで神さまを体験してみましょう。信仰を心の目で見てみます。


・隠れ場、逃れ場をもつ
私たちは、常にどこかの「場所」の上に立っています。家庭、職場、学校・・あらゆる場所があります。どのような場所に立っているかによって、立場や役割を知ることができます。隠れ場、逃れ場は、私たちにとって新しい場所になります。どこにもない場所です。それは、立場や役割では見られない場所、わたしのありまのままの姿が愛され、弱さは弱さのままで、悲しみの時にはその涙を流せる場所、重荷を背負う時には安らぎを与えられる場所です。隠れ場、逃れ場は、私たちの人生に必要なところなのです。そのままでいいと思える時に信仰の喜びが心に広がるのです。


・あなたのお城
揺るがないところ、人生の嵐の中でも、守られる安全な場所があります。それが神さまの愛を体験することです。詩篇91編では、そびえ立つお城をイメージしています。お城は安全な場所です。すべて守られる場所です。敵は攻めてくることができません。打ち砕かれることも、負けることもありません。堅固な要塞に守られているからです。私たちは安心できる場所、心の平安が必要な時があります。私は守られている、と思えることは、どれほど今日の歩みを平安にしてくれるでしょうか。神さまの愛というりっぱなお城が私たちの近くにあるのです。


・頼みとする方
港に停泊する船は、波に押し流されることがないように錨をおろします。私たちの足が弱ってしまう時、つまずくことがないように杖が必要になります。この世の恐れの嵐に流されてしまうような時があるのです。立つことが難しくなることがあります。それでも人生が暗闇に包まれるのではありません。不幸や絶望ではありません。神さまは私たちを豊かに、そして力強く支えてくださるのです。


私たちは多くの良きものに囲まれています。今日の日が神さまの恵みを体験する日でありますように。


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9月23日 心の声より神の声

おはようございます。
神さまはあなたから離れることはありません。


☆今日の御言葉 詩篇31編14−15節
『多くのささやきが聞こえました「周りから恐怖が迫る」と。彼らは私に対して共に謀り、私の命を奪おうとたくらみました。しかし、主よ、私はあなたに信頼します。私は言いました。「あなたこそわが神」と。』


多くのささやきが私たちにも聞こえるでしょうか。「周りから恐怖が迫る・・」「大変なことが起こる、祝福などない・・」「もっと心配しなさい・・」そんな声が聞こえる時があります。どこからか、私の心にも人の心にも蔓延しているウイルスよりも恐ろしい、罪の心、人を打ちのめす言葉、呪いと恐怖に心が支配されてしまうことがあります。


それは真実の言葉ではありません。吹く風のように、私を通り過ぎ、右から左へと聞き流すように、心にすべての闇のような恐れを取り入れて、悩む必要はありません。


絶望という風が吹き、私たちを脅かすことがあっても、神さまは、雛が親鳥の翼の中で守られているように、すべてを包んでいてくださっています。突風が吹くときに、岩の陰に身を隠すように、神さまの大きな存在は、私たちに石が当たらないように守ってくれています。


私たちは無意識の中で、自分の心の声、誰かの心の声に従って生きています。人の中から出てくるものは、私たちを怯えさせ、不安を感じさせるものが多いのです。神さまの声は、みことばの中から聞こえます。その言葉は、心に広がり、愛されていること、守られることを豊かに知ることができます。


神さまの声をどのように聞くことができるでしょうか。


・呼びかけてくださる
神さまの声は、いつでもわたしたちに届けられます。私たちは、あまりに忙しかったり、自分の心だけを見つめていると、その神さまの呼びかけに気づけないことがあります。心を神さまに開きます。心のドアを開けておきます。そしてこう祈ります。「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております。」(サムエル記上3:9)いつでも、どんな時にでも、解決の道は与えられます。大きな問題という壁を目の前にしても、より良き知恵、必要な力は与えられるのです。


・神さまの声で輝く
私たちの人生に現される神さまの恵みは決して小さいものではありません。私は小さな存在です。弱さをもっていて、あらゆる限界の中に生きています。神さまの声であるみことばを心に納めます。その時、土の器に宝が輝き、私たちに与えられている人生の祝福、喜び、使命、生きがいを豊かに知ることができます。そして、こう告白するのです。「この宝を土の器に納めています。計り知れない力が神のものであって・・苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません。」(第二コリント4:7−9)


・愛する子、喜びの子であることを知る
神さまの声は、本当のわたしの姿を思い起こさせてくださるのです。自分でみる姿、人がみる姿、世の中が評価する姿以上に、神さまは私たちのことを知っていてくださるのです。
「恐れるな。私があなたを贖った。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。」(イザヤ43:1)この愛は、決して無くなることはありません。私の存在の深い所にこの神さまの愛があります。恐ることはありません。愛されていないと思う必要はありません。神さまの声は今日、私たちに届き、愛され、祝福されている、と思える出来事を見せてくれます。


雨の1日ですが、守られますようにお祈りしています。
 

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9月22日 この椅子にどうぞ

おはようございます。
心が消耗してしまうことは少しに、満たされることは沢山しましょう。


☆今日の御言葉 テサロニケ信徒への手紙第一 5章9節
『なぜなら、神は、私たちを怒りに遭わせるように定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたからです。』


学生のころ、友達にイエスさまのことを伝えたいと思い、「人生を豊かにする4つの法則」というトラクトを用いたことがあります。この冊子は、1952年にキャンパス・クルセード・フォー・クライストの創始者ビル・ブライト先生によって作られたものです。


その冊子の中で、とても印象的な絵があります。それは、人間の心の中を映し出したものですが、イエスさまを信じる前は、心の中心にある椅子に「自分」が座っています。自分で物事を判断したり、幸福であるか不幸であるかを決めたり、求めたりしています。しかし、イエスさまを信じる時に、その心の中心にある椅子にイエスさまが座ってくださるのです。私もその横にいます。共にいてくださるイエスさまのそばで安心しているのです。

 

エスさまを信じる時に、私の中心が変わっていきます。もちろん、自分で判断したり、自分で道を切り開いたり、日常生活はいろいろな決断をしなければなりません。しかし、その判断の源、心を支えるもの、あらゆる問題に対処する根本的な力が変わるのです。


より自分らしく、より自由に歩いていくことができます。苦しみの時には、支えられます。何かに欠乏する時には与えられます。自分の力ではどうすることもできない時に、神さまがすべてのことを守ってくれます。


心の中心が変わると、私たちの今日の日はどのようになるのでしょうか。

 

1愛を信じる人に
本当の愛は、人に何かを要求したり、強制することはありません。愛されている人は、自由になり、生きている喜びを実感し、神さまから与えられている愛で人を愛することができます。神さまの思いは、私たちが喜びをもって、命の祝福をもって、今日を生きることです。
「愛には恐れがありません。完全な愛は、恐れを締め出します。・・私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。」(第一ヨハネ4:18−19)


2、救いを信じる人に
私たちの心には、マイナス方向に引き寄せる力が強く働くことがあります。この力は非常に強く、物事を見る時、将来の一つひとつの出来事を見つめる時に、より強く働くのです。絶望し、自暴自棄になり、喜びが枯渇します。イエスさまは、私たちを罪の中ではなく、怒りと裁きの場所ではなくて、救いの場所、私たちが平安と喜びを感じることのできる道に歩ませてくださっているのです。
「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙4:16)


3、人生の祝福を信じる人に
人生は、祝福されます。人生は守られます。それが、みことばの約束だからです。この力が私たちの中心にあります。湧き水のように心の源泉から神さまの愛が溢れています。私たちの力の源は、みことばから流れ出る神さまの尽きることのない愛です。暗闇に引き寄せる力よりも神さまが力強く、豊かに私たちを守っていてくださるのです。
「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書7:37−38)


心の椅子にイエスさまに座っていただきましょう。そこは、神さまの恵みの源泉となり、愛が溢れ、救いは与えられ、祝福は満ちるのです。
 

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9月21日 安らぎを得る方法

おはようございます。
なんくるないさ〜 (なんとかなる、の沖縄の言葉)


☆今日の御言葉 ヘブライ人への手紙2章9節
『ただ、「僅かの間、天使より劣る者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と誉れの冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死を味合われたのです。』


クリスチャン作家の三浦綾子さんは、たくさんの病気を抱えていました。小説「天の梯子」の中で、私が病気の時は・・という素直な気持ちを書いています。


「この私の病気が、私の生涯にとって、必要欠くべからざるものであるということ、感謝をもって受けとめることができますように、力をお与えください。苦しみや退屈に耐える力を与えて、このベットを、自分に与えられた教室として、今日の日を過ごすことができますように。御心ならば、病むことを通して、人々にキリストの恵みを伝えることができますように」


とても辛い中にあっても、身体が思うようにならないことがあっても、心は自由に、信仰を拠り所として、生きる道があることを教えてくれます。


今日のみことば、ヘブライ人への手紙を書いた人も、十字架のような出来事を経験しつつも、イエスさまの栄光を見つめて歩いていきました。


エスさまの死・・それは苦しみの象徴であり、心の痛みと悲しみを思い起こす出来事です。見つめることが辛いことであったかもしれません。しかし、驚くことに、ヘブライ人への手紙の著者は、その死の苦しみの先に、「栄光と誉の冠を授けられた」ことを見たのです。見通しのです。祈りの中で、聖霊の助けをいただきながら、苦しみだけを見て恐れてしまう現実の先に、よく見ると、栄光と誉の冠が見えるのです。


私たちの労苦は、報われます。痛みや悲しみも絶望で終わることはありません。天の栄光を見続けます。イエスさまと一緒に歩み続けます。その時に、私たちも見て、やがて味わうのです。神さまの恵みが私の人生の中にも豊かに現されていることを知ることができます。


神さまの愛を心に満たします。安らかな心になることでしょう。
以下のことを思い巡らし、ゆっくりと祈りの時をもちます。


・「私が安全で守られますように」・・私が危険を免れ、危険に対する恐れから自由でありますように。私の中の傷つきやすく大切なものが守られ、損なわれませんように。


・「私の心が安らかでありますように」・・私が可能なかぎり幸せで満たされますように。私が、私のものに自由になることで、喜びに満たされ、解放されますように。私の活力がよどみなく流れ、心の健康がよい状態に保たれ、豊かになりますように。私が落ち込んでいる時、誰かがいてくれますように。


・「私の体が安らでありますように」・・私が可能なかぎり健康でありますように。私が健やかであり、痛みをまぬがれますように。私が恐れ、怒りあるいは緊張なく痛みとともにあることができますように。


・「私が思いやりをもって生きられますように」・・私が可能なかぎり少しのストレスで生きられますように。私の過ごす日々の周りにスペースがありますように。私のかかわりの中によどみなく流れる思いやり、温かさ、そして寛大さがありますように。


祈りは聞かれ、暗闇の中に光が差し込み、苦しみや痛みの先にも、栄光と誉の冠を見るように神さまが助けてくれます。



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9月20日 忙しさから豊かさへ

おはようございます。
夏の疲れがでる頃です。心と体の十分な休息がありますように。


☆今日の御言葉 ルカによる福音書10章42−43節
『主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』


Doning(何をするか)とBeing(どうあるか)という言葉を聞いたことがあると思います。ある本を読んでいた時に、「すること」モードと、「あること」モードという二つの心の動きが説明されていました。


〝「すること」モード・・Doing
「すること」モードである時、心は状況を分析すること、仕事をすること、将来を計画すること、組織することに関心を持ちます。ここでは、心の中に「すべき」「するのが当然」「しなければならない」という意識が強く働きます。このモードの中には広い意味での選択の余地がないように思われます。しなくてはいけないことにだけに心が固定されているからです。「なすべきことをするのが当然」という意識が強く心を支配しています。


「あること」モード・・Being
「あること」モードにある時、現在の瞬間についてのより大きく、広い気づきと、目の前にあるものの真の性質をよりはっきりと見るようになります。ここでは行動すること、断定すること、計画することへの衝動はより少なくなります。一方、好奇心、物事を固定概念でみないこと、状況をあるがままに受けとめる意識が格段にあがり、物事をいっそう明瞭にし、様々な可能性が明らかになります。〟


今日のみことばの中に登場するマルタとマリアは、この二つの心の動きを見事に現しています。マルタは能力があり、きめ細かく動くことができ、配慮に満ちている素晴らしい女性です。一方マリアは、素直で、自由で、好奇心があり、本質を見極めることのできる人でした。イエスさまは、この二人の人をとても大切にされていたことでしょう。


それでも、心の動きは、私たちの人生に大きな影響を与えます。私たちの人間性は、最初から「することモード」が中心に動き始めています。価値や賞賛、幸福ややりがいというのは、「することモード」が充実している時に得られると思っているからです。


この「することモード」というのは、一つの重要な欠点を生み出してしまいます。固定観念が生まれ、狭い心へと変化し、人を受け入れること、状況を受け入れることが難しくなります。「することモード」が作動し続けると、次第に疲労が重なり、心はパンク(ショート)してしまいます。思い通りにならないと、近くの人に怒りをぶつけます。マルタは、することモードで走り続け、心はパンク寸前でした。


もちろん、マルタのような人がいなければ、世の中や家庭が回っていかないということもありますが、様々な方法、助け、知恵を用いて、「すること」モードがいつでも心の中心にならないように工夫することができます。


マリアは、「あること」を大切にしました。一つのことしかしていないように思います。何も動いていないので、価値のないことに時間を使っていると思われてしまいます。イエスさまは、「必要なことはただ一つ」と言われました。この必要なことに留まったのです。


私たちもこの「必要なこと」があります。それは、何もしないでじってしているということではありません。固定観念で縛られている心を自由にする時間が必要なのです。何かをしないと認められないという寂しい心が癒され、満たされるために、みことばの中に留まります。恐れや心配を生み出しているのは、単に自分の思いなのだということに気づくようになります。


マリアは、好奇心をもち、今ある恵み、これからなされる神さまの業、決して見放すことのない神さまの愛を、十分に心に満ち溢れさせていたのです。


心のモードは、切り替えて使うことができます。少し忙しすぎる時、余裕がなく人に辛く当たってしまう時、愛が冷えてしまっている時、すべてのことが嫌になってしまう時、イエスさまの愛の中で、心を切り替えましょう。あなたはそのままで素晴らしいのです。もっと自由に、もっと大胆に、イエスさまの愛の中で、生きる道が一人ひとりに備えられているのです。


今日は、「あること」モードの日でありますように。


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