海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

8月13日 イエスさまと浜辺を歩く

おはようございます。
心配を神さまの手に委ねると信頼になります。


☆今日の御言葉 エフェソの信徒への手紙5章1−2節
『神に愛された子どもとして、神に倣う者となり、愛の内に歩みなさい。』


カナダに住むマーガレット・F・パワーズさんという方が書いた「Footprintsーあしあと」という有名な詩があります。このような内容です。


「ある晩、男が夢をみていた。夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。そし­て空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺­めた。すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもある­のだった。しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだ­った。


すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくだ­さるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足­跡しか残っていないではありませんか。私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあな­たは私を見捨てられたのですか」神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残され­ていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」


私たちは今日も人生の道を歩いています。砂浜を歩くように、あしあとはいつも二組みあるのです。イエスさまのあしあとと私のあしあとです。そして大変なときに孤独を感じることがあるかもしれません。ひとりぼっちでこの苦しみを乗り越えなくていけないと思うかもしれませんが、その時こそ、イエスさまは歩くことが困難な私を背負っていてくださっているのです。ここに神さまと私たちとの関係の豊かさが描かれています。


神さまの愛に背負われて歩む祝福があります。


1、私たちは神さまに愛された子ども
慈愛に満ちた父なる神さまがおられます。いつも守られています。どんな時にも背負われています。嵐の中でもイエスさまは離れることはありません。水の中でも押し流されません。火のような試練の中でも焼かれず、失望に陥ることはありません。愛された子どもは、いつでもみことばによって満たされているのです。


2、私たちは神さまに倣う者
人生に目標があれば、たとえ迷うことがあっても、すぐに自分の道に戻ることができます。私たちは、失敗することがあります。後悔することもあります。その一つひとつを取り上げて、どこかに責任の追求をしても解決できることではありません。神さまは、いつでも私たちに道を示してくださっています。


3、愛のうちに歩む
いつでも神さまの愛の中にとどまります。たとえ暗闇に覆われることがあっても、自分の力ではどうすることもできないいう壁を目の前に見ていても、神さまの愛の中には、喜びがあり平安があります。祝福があり、わたしが愛されていることを豊かに知ることができるのです。


浜辺をイエスさまと一緒に歩きましょう。
愛されている神さまの子どもとして今日の日が喜びで満たされますように。
 

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8月12日 天の褒め言葉

おはようございます。
喉が渇いたらお水を、心が渇いたらみことばをどうぞ。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書25章21節
『よくやった。良い忠実なしもべだ。お前は僅かなものに忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の祝宴に入りなさい。』


私たちは、自分の存在をそのときどきの立場や、役割で見られてきました。生まれてすぐに「赤ちゃん」と呼ばれました。「子ども」と呼ばれ、「学生」と呼ばれました。大人になり、「社会人」となり、それぞれの立場や役割の中で生きています。ある人は、「父親」であり「母親」であります。そして、神さまとともに歩いている私たちは、新しい恵みに満ちた立場が与えられます。それは、「イエスさまのしもべ」です。


しもべという言葉には、良いイメージがないかもしれません。しもべは、誰かに従う人で、不自由で、制限があり、自分の好きな人生を生きられないのではと感じるかもしれません。しかし、今まで私たちが生まれてから今に至るまで、たくさんの立場や役割を経験してきましたが、一番光栄に満ちたもので、楽しく、喜びに満ちたものです。


ともに「イエスさまのしもべ」になりましょう。今日から私の最も重要な立場は「しもべ」と呼ばれることです。


どのように素晴らしい人生とされるのでしょうか?


神さまの時を知らされる・・
神さまの時間感覚を知っています。それは、この世の流れよりもゆっくりです。ある時は闇の中を通る時があります。ある時はなかなか祈りが聞かれずに忍耐の時があります。しかし、しもべは知っているのです。願いがまだ叶えられない時にも、自分の思い通りに物事が進むことがなくても、じっくり待ち望み、忍耐を通して心豊かな人とされること、この忍耐の先には、見たことも経験したこともないような恵みが現されることを知っているのです。


小さなことにも価値を見る・・
人間関係や人生の生き方が変えられます。小さなことは価値なきことではありません。私たちの人生は、人の目には留まらないこと、人からの評価と賞賛を得られないこともあります。自分の評価や立場が高められることが一番の目標になりません。ある時は見下され、ある時は拒絶され、ある時は傷つくのです。下へ下へと坂道をくだるような道の先に神さまがしもべのために特別に用意している栄光と賞賛に満ちた宝があるのです。


祈りの力を知らされる・・
一瞬一瞬、どんな時にもイエスさまの恵みは私たちを離れることはありません。私たちが神さまと一緒に歩む手を離してしまうことがあっても、神さまに対して背を向けてしまうようなことあっても、決して見放されることはないのです。いつでも、どのような場所にいても、「主よ(神さま)」と呼びかけるならば、天の窓が開かれます。そこから必要な力、備えが与えられていることを見ることができます。


本当の希望を知っている・・
苦しみの極みの中から、神さまは力強く働いてくださることを知ることができます。「いのちの終わりは いのちの始め、おそれは信仰に 死は復活に、ついに変えられる 永遠の朝、その日 その時を ただ神が知る」(球根の中には」讃美歌21 575) 神さまのしもべは本当の希望を知っているのです。


神さまは今日の私たちにも褒め言葉を語られます。


「よくやっているよ、よくがんばっているよ。小さな手の業もわたしはいつも見ている。人から報われないことがあっても、天の報いを豊かに与える。人の目には見えない労苦も決して無駄になることはない。天の祝福は溢れるほどに注がれるから。わたしのしもべたちに今日も良いもので満たそう。」
 

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8月11日 聖書の世界を旅しましょう

おはようございます。
暑さのピークのような日です。こまめに水分補給してくださいね。


☆今日の御言葉 詩篇42編6節
『私の魂よ。なぜ打ち沈むのか。なぜうめくのか。神を待ち望め。私はなお、神をほめたたえる。「御顔こそ、わが救い」と。わが神よ。』


聖書の世界に今日はともに旅をしませんか。


子どものころに「トンデラハウスの大冒険」というアニメをテレビで見ていました。タイムマシンの実験中に、落雷のショックで時空移動ができる家となってしまい、その場所にいた主人公のゲンと子どもたちを乗せて新約聖書の1世紀の世界に行くという物語です。聖書の世界へと入っていき、そこでの冒険がはじまります。


今日、私たちも聖書の世界に入っていくようにみことばを思うことができたら、新鮮な神さまの恵みを感じることができるかもしれません。聖書の中にいる人々と出会い、その人たちが経験している神さまの恵みを手にしたいのです。


さあ、出発です。・・・たどり着いた場所は、イスラエルの荒れ野です。一人の旅人が、仲間とともに、エルサレムの神殿に向けて旅をしています。ユダヤの人たちは、毎年のエルサレムの巡礼を楽しみにしていました。それでも、旅をするのはとても大変でした。


イスラエルの荒れ野は、気温が高く、喉がすぐに渇いてしまうような所です。まだまだエルサレムまでは距離があります。過酷な旅となりました。それでも、木陰に入れば、爽やかな風を感じることができます。水筒の水が心も体も癒してくれます。エルサレムに行けば、神さまを礼拝する喜びに満たされます。それまでは、まだ忍耐がありますが、必要な助けも守りもあります。天を目指して歩む私たちの姿に重なります。


一人の旅人は、とても悩んでいるようです。私たちは、その人の傍にいます。話を聞くと、普段の生活ではとても苦悩があるようです。神さまをいつも感じることのできない状況の中で生きています。「おまえの神はどこにいるのか」と日夜、嘲って言う人が周りにいるのです。涙ばかりが日々と糧となりました。心が締め付けられるような悲しみを抱えていました。


聖書の中に私たちも立っています。その聖書の中に生きている人と同じように、ある時は心も魂も飢え渇く時があります。私の苦悩は、聖書の中に書かれています。私の悲しみは、聖書の人々も共に経験したものです。そして、その苦悩は、やがて溢れるほどの神さまの恵みに包まれます。その涙は、神さまを喜ぶ、美しい涙へと変えられていきます。


私たちは、一人ではありません。旅人は神さまを礼拝することの喜びを語りだしました。エルサレムで多くの人々と一緒に神さまを礼拝した時の喜びと感動は何にも変えがたいものだったのです。信じる力、委ねることのできる安心、共に神さを見上げて行きていくことの大きな喜びを経験しているのです。


この聖書に出てくる旅人とともに、私たちも天の故郷を目指して歩いています。この旅路の中にも、不思議なほどに喜びと感謝の歌声が響いているのです。神さまの愛に触れながら、心も魂も満たされていくのです。その道には、絶望はありません。難しい問題、自分の力ではどうすることもできない課題があったとしても、心を注ぎだして共に祈ろうと、旅人が私たちに呼びかけています。


一緒に祈りを告白します。
「しかし、私のたましいよ、気落ちするな。動転するな。神に期待せよ。神がすばらしいことをしてくださり、私はきっと賛嘆の声を上げるのだから。このお方こそ、私の命綱、私の神。」(詩篇42編11節 リビングバイブル)


・・・・現実に戻りました。聖書の旅はどうでしたか。皆、苦労はありますが、やがてその苦労を一つも思い起こすことのないような恵みを経験することになるのです。


今日1日、神さまの助けと守りがありますようにお祈りしています。
 

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8月10日 聖書のストレスコントロール

おはようございます。
涼しい!と思うと、体感温度が少し下がるようです。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第一 16章13節
『目を覚ましていなさい。信仰にしっかりと立ちなさい。雄々しく強くありなさい。何事も愛をもって行いなさい。』


だれもがストレスを感じるような時代に生きています。人間にとって実はある程度のストレスは必要で、全くストレスがない状態に置かれると、生物個体は死んでしまうようです。問題は、過度のストレスで、ストレスを回避して、今自分の力ではどうにもならないことに悩まず、すべてを抱え込まず、心配を生み出さずに歩むことができたらいいですね。


このような言葉をある本でみました。
心の不調は・・「だ」れでもなる。「い」つでもなる。「じょうぶ」な人でもなる。三つの最初のことばを並べて「だいじょうぶ」となります。「大丈夫!です」回復の道、休息の時、新しくされる可能性が必ずあります。


聖書からストレスコントロールの方法をみていきます。


1、目を覚ます
心の考え方をみことばに合わせます。夜は過ぎ去りました。私たちは、朝の光の中に生きています。夜は私たちを支配することはありません。恐れ、悩み、不安の時間はもう終わり、朝の光のような中に生かされ、神さまが与えてくださっている恵み、助けを見ることができるようになります。この世にある事柄が大きく私たちを支配することがあるかもしれませんが、それ以上に実は、神さまが私たちに与えてくださっていることの方が大きく私たちの人生を支配しているのです。


2、しっかり立ち
聖書から自分の歩みを見つめます。イエスさまは、いつでも私たちに近づき助けてくれます。イエスさまの助けを豊かに経験できる時は、私たちが強い時ではなくて、順調な時でもなくて、弱く、自分の足では立つことが難しいと感じる時かもしれません。しっかりと立つ秘訣は、助けを心から受け入れることです。私たちはもしかすると、自分でしっかりと立たなくてはいけないと思ってしまいますが、本当に強い人は、イエスさまのみことばにただ支えられている人なのです。


3、強く、雄々しく
感情を祈りに向けます。感情をいつでも前向きに、何事も恐れなく取り組むことが難しい時があります。足をひっぱられるように、気持ちが萎えてしまうような出来事を経験することがあります。恐れの嵐はなかなか静まってくれません。過去や未来の経験や思いが心の中にある時に、この恐れは強くなるばかりです。今、この時、神さまはいつでも私たちの人生に「恐れるな」と語りかけてくださるのです。すべての思いを祈りに向ける時に、感情はゆっくりと整えられていくのです。


4、愛をもって行う
一番の価値を愛におきます。愛をもって何かを行う時に、成果やより良い結果がすぐに見えない時があります。自分の力のなさを痛感したり、自分の愛のない心を見せられてしまうことがあります。イエスさまは十字架の愛を私たちに示してくださいました。多くの人の目には失敗のように思いました。うまく事柄が進んでいないと思っていました。イエスさまは、傷つき、人々の非難と無理解の中で過ごしました。愛には犠牲や痛みが伴う場合があります。その中でこそイエスさまの本当の愛を知り、その愛を信じて生きる時に、すべてのことは良いことへと導かれていくのです。


ストレスフリーな1日でありますように。

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8月9日 苦しみの人は強い人

おはようございます。
熱中症にご注意ください。神さまに熱中するのは大丈夫です。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙8章11節
『イエスは死者の中から復活させられた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かしてくださるでしょう。』


私たちのうちに、一番深い内面に、復活の命が与えられました。これは、この世の宝以上のものです。私たちの外側(体も環境)は変わらないでしょう。経験している事柄もすべてが良いものとは言えないことがあります。それでも、復活の命は、私たちの内側で輝き続けているのです。外側だけを見ると、心が暗闇で覆われてしまうことがあります。神さまが私たちに与えてくださっている恵みに目を留めると、揺るぎなく、今を喜び、すべてを委ねて歩むことができます。


インドの宣教師として生涯をささげたエミー・カーマイケルという方は、このような言葉を残しています。「もしも困難な時期に私たちが憤りを抑え、沈黙を保ち、内面の美しさで満たされているなら、それこそが重要なのです。わたしたちを苦しめた出来事は、通り過ぎる嵐のように記憶からやがて消えていくでしょう。けれども、その風が吹きつけているあいだ、私たちがどのようなものであったかは永遠の影響を残すのです。」


私たちの人生は、もしかしたら、苦しみや孤独、痛みや憂いと共存して生きていくのでしょう。すべてが良い状況、願い通りのこと、完全に平和で安全なことばかりではありません。内側の希望を磨く方法があります。私たちの存在の根底に神さまの愛が宿り、それを輝かせて生きる道があります。もし、私たちがその輝きを大切に手にする時に、たとえどのような中にあっても、イエスさまが死者の中から復活させられた方の力強い愛が内に輝き続けます。


復活の力をどのように経験することができるでしょうか。


1、 死生観の変化
「わたしたちがキリスト一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」(ローマ6:5)
死の恐怖は、孤独であると思う時に強くなります。イエスさまは、私たちと一体となってくださるのです。心を傾け、人生のすべてを委ね、十字架のような出来事の中にもイエスさまがおられます。イエスさまと一つとされて生きる時に、神さまの愛のあたたかさ、信じる心の豊かさ、弱さの中で感じる平安があるのです。死は恐れをもたらすものではありません。復活の命の喜びに包まれる時となるのです。


2、とりなしの力
「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。」(ローマ8:34)
自分が一人で立っていると思うと、不安という暗闇に押しつぶされそうになります。大丈夫です。イエスさまは、私たちのためにとりなし祈ってくださっています。イエスさまは、復活の力を知り、それを経験された方です。すべてのことを益としてくださる祈りの力に今日も支えらえています。たとえ困難の道に思えることがあっても、思いもよらない備えの道が一人ひとりに用意されています。


3、生き方の変化
「生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(第二コリント5:15)
自分自分の幸福という目的のためにだけ生きる時に、その人生の道にはやがて喜びが失われてしまいます。自分のための人生のこだわりを横に置き、イエスさまの道にともに歩む時に、その道には命の喜びが溢れています。その道には、神さまの助け、支え、自分の思いを超えた大きな恵みを経験することができるのです。


私の力は弱くても、私たちに与えられている復活の力は、私たちに希望の道を開いてくださるのです。

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8月8日 甘い飲み物と聖書

おはようございます。
神さまの祝福を感じる出来事がありますように。


☆今日の御言葉 ネヘミヤ8章10節
『行ってごちそうを食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分けてあげなさい。今日は、我らの主の聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜びとすることこそ、あなたがたの力であるからだ。』


我が家の食卓の上にペットボトルが置いてあり、パッケージにこのような言葉が書かれていました。「今日の金言ー幸せはいつも自分の心が決めるー相田みつを」そのペットボトルと金言との関連は不明ですが、思わず笑ってしまいました。甘いジュースを飲みながら、金言を読む、実は、旧約聖書にそのような状況が記されている箇所があります。

 

旧約聖書に登場するネヘミヤは、改革者でした。イスラエルの民がバビロンへの捕囚となっている間、エルサレムの町は破壊され、神さまの神殿は崩されてしまいました。民族の存続の危機に直面していました。エルサレムは荒れ果て、焼け野原となり、そこにいる人々は、悲しみ、痛みの中にいました。ネヘミヤは、その人々のために共に心を痛め、祈り、エルサレムの復興、神殿の再建を果たしていきます。


ネヘミヤは、夢を実現する人でした。困難な状況の中でも決して諦めない人でした。知恵を尽くし、あらゆる可能性を模索して、反対者による妨げにも負けず、その改革を成し遂げたのです。


私たちの生活の中で、もう一度再建したいものはなんでしょうか。もう一度回復したいこと、取り戻したいこと、愛や喜びに歩いていくための祈りはなんでしょうか。神さまは、ネヘミヤを用いられました。それは荒れ果てた地にもう一度神さまにある喜びを回復するためです。どのような困難な状況があったとしても、人生はより良いことに導かれていきます。諦めずに、失望せずにいるならば、どのような難しい問題の中にも、神さまは、私たちを用いて、回復の業をしてくださるのです。


人生の喜びをもう一度取り戻しましょう。私たちの祈りの課題がどんなに困難でも、神さまは私たちの上に良いことをしていてくださるのです。どのような人の上に神さまは豊かに働いてくださるのでしょうか。


祈りの人
ネヘミヤは祈りの人でした。「ああ、わが主よ、あなたの僕の祈りに、そしてあなたの名を畏れることを喜びとする僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。」(ネヘミヤ1:11)祈りに導かれる時に、それは、神さまが私たちを通して何かをしようとされる時です。祈りに導かれ、その祈りは、神さまの心と手を動かし、私たちの生活の上に恵みの出来事を備えてくださるのです。


神さまを礼拝する人
礼拝は、私たちの生活の質を高めてくれます。「私たちは神殿をおろそかにしない」(ネヘミヤ10:40)再出発、もう一度新しい気持ちで歩み出したいと願う時に神さまを礼拝して歩み出すことは、本当に良い選択です。ここから新しいことが始まるのです。


人生の喜びと安息を知っている人
「私の神よ、私を心に留めて、お恵みください。」(ネヘミヤ13:31)この地に神さまの恵みが満ちています。甘いもの、美味しいもので心も体も休め、神さまを何よりも感謝して生きる時、それが大いなる喜びとなるのです。悲しみも、まだ解決されない問題も抱えることがありますが、神さまはすべてを整え、私の喜びのために、祝福のために何でもしてくださるのです。


私たちは、いろいろことに耐え、がんばっています。
今日は、神さまにある人生をお祝いましょう。美味しいものを食べ、健康的な甘いものも・・。
悲しまなくていいのです。神さまを喜びとすることこそ私たちの力です。
 

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8月7日 シミやシワもキレイに

おはようございます。
暑い日になりそうです。こまめな水分補給と神さまの愛の涼しさを。


☆今日の御言葉 エフェソの信徒への手紙5章27節
『染みやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、傷のない、栄光の輝く教会を、ご自分の前に立たせるためでした。』


ある方から「アガペシロップ」というものをいただきました。主にメキシコに原産している植物から抽出されるシロップで、血糖値の上昇を緩やかにしてくれる甘味料です。健康的で、いろいろなお料理にも使えます。


甘いシロップとは別に、聖書の中にも「アガペ」があります。神さまの無償の愛、与える愛、人々を元気にして、人生の喜びを満たしてくれるものです。神さまの愛(アガペ)は、シミを取り除いてくれます。シワもキレイに、聖なる、傷のない、栄光に輝いて生きることができるという効能があるのです


エスさまは、私たちを愛してくださっています。神さまの愛が注がれている人々が集う場所が教会です。教会の中に神さまのアガペが満ち溢れているのです。教会は、アガペの愛、生産工場のような場所なのでしょう。ここで作り出され、抽出されるアガペは、人間関係や、社会、私たちの生き方に大きな影響を与えるものです。


アガペの愛がどのように私たちに与えられているのでしょうか。

 

アガペの原材料・・この世界は、神さまによって造られました。しかし、この世にはたくさんの難しい課題、平和とは程遠い現実、人間の痛み、苦悩が満ちているかもしれません。それらのものは良いものとは言えませんが、神さまはすべてのことを御手の中においておられます。


神さまは無から有を生み出すことができるお方です。暗闇から光を生じさせることができるのです。私たちの悲しみの涙をぬぐいながら、希望に向かう道へと一歩一歩導いてくださるのです。神さまの手の中に委ねられたものは、絶大な愛をもって、慰めの出来事へと、神さまを賛美する事柄へと変えていてくださるのです。


アガペの製造と抽出・・アガペは、すべての人に与えられる特別な愛です。製造工程の中には、十字架がありました。神の子のイエス・キリストの命の犠牲があったのです。裏切られ、嘲られ、十字架に受けられ、死にました。一人の人の命が犠牲となり、私たちは生きる者となったのです。


エスさまが十字架につけられる時に、肉は裂かれ、血が流されました。私たちをあらゆる罪、汚れを洗い流すことができるのです。歪められた私の心の中にあるシミを、神さまに背くというシワを赦し、キレイにしていてくださるのです。聖くされ、美しくされ、愛されている神さまの子となりました。


効能と効果・・幸せに生きる道があります。アガペの愛は、私たちの心を満たしてくれるのです。満たされた心の人は、生き方が変えられていきます。


満たされていない心は、誰かに愛されることだけを求めます。自分の心が満たされるまで、必死で何かに満たしを求めます。幸せは、いつも誰かが与えてくれるものではありません。神さまの愛がわたしたちを豊かな幸せで満たしてくれるのです。今、愛されていること、赦されていること、そして神さまと共に歩む道には、たとえ困難なことがあっても、楽しみと希望が溢れているのです。


アガペの愛が心を潤し、今日を守っていてくださっています。
 

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