おはようございます。
思わず笑顔になるような出来事が今日ありますように。
☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙2章17節
『たとえ、あなたがたの信仰のいけにえと奉仕の上に、私が供え物として注がれるころになったとしても、私は喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。』
ニューヨーク大学医療センターのリハビリテーション研究所の壁に「苦難の中にある者たちの告白」という詩が掲げられています。
「大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった。より偉大なことができるように健康を求めたのにより良きことができるようにと病弱を与えられた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。・・私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。」(一部抜粋)
この詩を書いた人は、苦難と思える人生を歩みました。願いはたくさんありました。それがどんなにより良い目標であっても、思うようには実現しませんでした。力を求めても弱さがあり、健康を求めても病弱がありました。不幸と思えるようなことをたくさん経験したのでしょう。どんなに大きな悲しみであったでしょうか。
フィリピの信徒の手紙を書いたパウロもとても苦労をした人です。
思い通りにならない現実を経験しました。労苦は報われませんでした。
しかしパウロは、いつでも、恵みの世界が開かれる扉の鍵をもっていました。この鍵を使うと、不幸と思えることが幸福となり、不満足となることが豊かな心の平安となり、自分の思い通りにならなくても、それ以上にその生涯に豊かな深い喜びを与えてくださる神さまを経験することができるのです。
私たちの生涯を恵みで満たすキーワードは、それは「たとえそうでも喜びます!」です。
行き詰まり、八方塞がりの現実かもしれません。何かを恐れていたり、こうなったらどうしようと神さまにお祈りしながらも後ろ向きな気持ちになっているかもしれません。それは、もうそうなったら・・嫌だと考えると強い拒絶感が心の負担とストレスになっているからです。
もしそうなったら・・最悪な状況になるのではなくて、そこにこそ神さまの深い恵みは現されます。大逆転と思える出来事が起こります。
たとえ・・弱さが与えられても、病弱になることがあっても・・・(深く祈りの深呼吸をしながら)・・喜びます。
ここから新しい神さまが生きて働く恵みの世界が開かれていくのです。
今日は、「たとえそうでも喜びます!」で行きましょう。
力強さ、平安、信仰の喜びを経験することができます。
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