海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

6月1日 置かれた場所で輝く

おはようございます。
神さまに近づけば近づくほど、自分を尊ぶことができます。


☆今日の御言葉 箴言21章1節
『王の心は主の手の内にある水路。主は御旨のままにその方向を定める。』


私たちの今日の日は、運命という鎖に縛られたものではありません。人の言葉で心を固くする必要はありません。周りの出来事でたとえ身動きがとれないほどの困難があっても心配しすぎると心は疲れ果ててしまいます。


私たちの心は、人生の幸不幸を生みだす工場のようです。不安や恐れは短時間で生産できても、平安と信頼は、すごく時間がかかってしまいます。不安や恐れに精巧な技術は必要がありません。平安と信頼は、輝く価値が計り知れないので、生みだすための時間が必要となるのです。


価値があり、精巧につくられるものは、ある一定の丁寧な工程をとおって完成するように、私たちも今日、平安と希望と信頼を生み出す心となることを一緒に祈り求めます。


・手放す
最初の工程は、手放すことです。わたしたちは、自分が空の手になることを恐れています。自信、栄誉、確信、喜び、数々のこの世の幸せの価値を計るものを求めて、それを手にしています。それが手からこぼれ落ちることは不幸であると錯覚してしまいます。


神さまの恵みが流れ出ると、空の手になることの充実を感じることができます。自由で喜びが溢れます。弱さの中に神さまが働いてくださることを見るからです。神さまが慈しみの眼差しでわたしの今日の必要を知って助けてくださるからです。手放す時に、もっと自由に神さまが私たちの人生に働いてくださるのです。


・決めつけないこと
決めつけることは、ある意味でとても気持ちのよいものです。心が一瞬スッキリします。それはどのような知恵であっても、情報の確かさや内容はどうでもいいのです。何かを決めつけて生きていけば楽だと思います。石段のように、一つひとつを決めつけて、その道を歩こうとします。しかし、その道はいつでも危うさがつきまといます。本当の意味での平安にたどりつくことができないのです。


自分が自分の道に置く石段ではなくて、神さまが一つひとつ、一歩一歩、みことばの石段を置いてくれます。それは、わたしたちの「決めつけ」の道よりは遅く感じたり、何事も思うように早く進まないこともあるかもしれません。それでも、みことばの道は確実であり、喜びがあり、将来と希望を与えるところに行き着くのです。


・人生に抵抗しないこと
あえて逆風の中を走ろうと思う人はいません。目には塵が入り、足を前に運ぼうとしても思うように走ることができないばかりか、疲れ果ててしまいます。向きを変えてみます。物事を見る目を変えてみます。いや、むしろ逆に考えてみます。「あの人はダメだ」→「あの人はものすごく可能性があるかもしれない」「神さまは祈りに答えてくれない」→「神さまはわたしが思うよりもはるかに大きなことを用意してくださっている」・・・自分の思考の正反対に、聖霊の豊かな風が吹いている時があるのです。この聖霊の風に力を抜いて委ねると、今まで見たことのない恵みの世界へと導かれます。


・あるがまま受け入れる
「あるがまま」というのは、少し不恰好で、ゴツゴツのした岩のようなものであり、穴や傷、決して見栄えのよいものばかりではありません。神さまは、この「あるがまま」が大好きなのです。すべてが完璧なかたちをしていて、歪みも、凹凸もない均一なプラスチック製品のように私たちを造られたのではありません。味わい深く、だれも同じではなく、そして、その姿は本当に美しいのです。愛しく、神さまの大きな手に抱かれている一人ひとりです。


自分を喜び、隣の人を尊び、人生は神さまが豊かに働いてくださる水路なのです。
水の流れは、今日も天から流れ出て、私たちを愛し、満たし、守っていてくださっているのです。


わたしたちの心は、神さまの手の中にある豊かな水路のようにとめどなく、溢れるほどの恵みが流れ出て、置かれた場所で輝いています。

 

※5月31日ペンテコステ礼拝のメッセージをYoutubeにアップしました。
お時間が許される時がありましたら・・。
「恵みのメッセージ」 https://youtu.be/6HDOoHOcU50
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