海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

5月17日 神さまは本当にいるの?

おはようございます。
背伸びをせず、そのままで愛されています。


☆今日の御言葉 エフェソの信徒への手紙4章6節
『すべてのものの父なる神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内におられます。』


イースターの時に歌われる、賛美歌21の328番「ハレルヤ、ハレルヤ、(たたかいは終わり」という曲があります。1節にはこのような歌詞があります。「たたかいは終わり 主は死に勝たれた。主をほめたたえよ、ハレルヤ!」わたしたちの人生には、この歌が与えられました。心から人生をたたえて、この賛美を歌いつつ歩む日々です。


わたしたち自身の存在は、決してむなしいものではありません。この世の心配の嵐の中にあっても、恐れをもたらす声に聞くことなく、イエスさまの勝利の声がわたしたちの心に響いているのです。


「私は十分ではない」という心の声と戦い続けているかもしれません。「私は期待に応えられない」と、ささやく嘘が心に入ってくるかもしれません。その時、ゆっくりと神さまに出会う豊かさの中にいる自分を思い巡らします。すべての恐れは小さくなっていきます。


では、神さまの存在をどのように実感し、生活の中で体験し、その慈しみの愛に喜ぶことができるでしょうか。神さまは本当にいるのでしょうか?


神さまの存在(実在)ーすべてのものの上にあり
神さまの存在というのは、わたしたちの意識で理解できるものではありません。存在は、わたしたちが意識したり、見たり、感じたりすることによって、その実在が揺るがされることはないのです。


雨の日に、雲の上の太陽は見ることができません。わたしに見えないからといって、その日の太陽が存在していなのかというとそうではありません。見えないだけで、実在しているのです。神さまも、私たちの意識のレベルでは実感できないことがあったとしても、実在されます。すべてのものの上に、わたしたちの意識や視線をこえて、神さまは今日もすべてを守り、祈りを聞き、共にいて、よきことをしていてくださるのです。


神さまの認識ーすべてのものを貫き
認識は、わたしたちが神さまを知る次の段階です。天の高いところから、この地に下って来られたイエスさまの姿を見ました。そのことにより、わたしたちは神さまを深く知るのです。それは、わたしたちの思い通りに理解できるという考えを超えています。


エスさまが来られた時に、多くの人たちの目には、私たちの世界を願いどおりに変えてくれる救世主のようには見えませんでした。わたしたちは、認識を非常に限定的に考えてしまうことがあります。「これを信じる」「あれが正しい」と思っても、真実は隠され、思わぬところに、今日、イエスさまの姿を見るのです。すべてのものを貫き、そこに神さまの愛の小さな小さな出来事がたくさん起きているのです。


神さまを実感するーすべてのものの内におられます
信仰は目に見えないものでありますが、みことばを聞き続ける心のうちに、イエスさまがあらわされます。恵みによって豊かなものとされて、造りかえられて、わたしたちの内に共にいてくださるイエスさまの姿を見るようになります。


最初は、霧の中にいるように、その存在がはっきりとしない時があるかもしれません。信仰は、わたしたちの内に宿るものです。神さまを実感する思いは、待ち望む時に与えれています。やがて、私たちの人生の大切な場面で、みことばによって考えたり、祈り求めたり、信じている、わたしを発見するのです。その発見は、神さまが今も生きておられる確かな証拠です。


神さまは、今日もわたしたちの生活のそば近くに、存在し、現れ、祈りを生み出してくださっているのです。


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