海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

7月4日 おしゃべりな神さま

おはようございます。
雨の静けさは神さまの安らぎです。


☆今日の御言葉 箴言16章9節
『人間の心は自分の道のことで思い巡らすが、主はその一歩を確かなものとする。』


アメリカのカルフォルニアバージニアビーチに「キングストン・エレメンタリースクール」という小学校があります。そこのカフェテリアで働くステイシー・トゥルマンさんは、ランチに添えるバナナに、「夢を大きく持とう」「人に親切にしよう」「うまくいかなかったら、もう一度挑戦」などなど、子どもたちの気持ちを鼓舞するたのしいメッセージをバナナに書いて渡します。


子どもたちは「おしゃべりバナナ」と名付け、「今日はどんなメッセージだろう?」と毎日、楽しみにしているそうです。

 

神さまは、今日もメッセージを語りかけてくださっています。
力あるメッセージを、今の現実や人生に必要な命のみことばを伝えています。


私たちは自分の道のことで、思い巡らすことがたくさんあります。
みことばから離れて思い巡らすと、心配や不安を大きくしてしまうことがあるのです。

 

神さまは今日の一歩を確かなものとするために、みことばを語りかけてくださるのです。
その一歩が定まれば、その道は確かなことへと導かれます。


・不安を感じてしまう時は
「身を寄せて、委ねるならば、あなたの盾となってあなたを守る。」(詩篇18:31)


・重荷を背負っている時には
「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ。」(箴言23:26)


・希望が見えない時には
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。わたしは荒野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」(イザヤ43:19)


・自分の弱さを感じてしまう時には
「わたしは主、あなたの神、わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。」(イザヤ48:17)


・試練の中で打ちのめされそうになる時には

「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練とともに、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」(第一コリント10:13)


神さまのみことばの声は、今日豊かにわたしたちに届いています。
おしゃべりな神さまが、勇気を与えてくれるのです。
 

f:id:dailybreadzion:20200704080423j:image

7月3日 備えあれば憂いなし

おはようございます。
神さまを知れば知るほど、心は強められます。


☆今日の御言葉 エフェソの信徒への手紙6章10節
『主にあって、その大いなる力によって強くありなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるように、神の武具を身につけなさい。』


以前、ボーイスカウトに入っていたときに、「緊急時訓練」というものがありました。夜中の2時か、3時か、その日、その時は知らされていません。隊長の招集がかかると、すぐに起きて、急いで着替えて、装備を整え準備して、10分以内にすぐに集まらなければなりません。緊急時を想定して、いつでも準備するための訓練です。


その時によく聞かされた言葉は、「備えあれば憂いなし」というものでした。


私たちも緊急時を経験することがあるかもしれません。


私たちの生活に神さま以外の強い力が働く時があります。悪魔の力は、私たちの生活をいとも簡単に、失望に陥れ、怒りに満たし、不満足と痛み、不幸せと矛盾だけを見せようとします。

 

今の時代は、恐れと不安の嵐が吹いています。世界は平和から遠ざかり、分断されています。
その暗闇の力は、わたしたちの生活にも影響を及ぼすことがあるのです。

 

それでも、備えあれば憂いなし、です。
神さまの大いなる力によって強く生きることができます。装備を確かめましょう。


神の武具と呼ばれるものです。エフェソの信徒への手紙6章14節
7つの装備が私たちの今日の日を完璧に守ってくれるのです。


1、真理の帯・・真理の帯は、福音の力です。暗闇の中でも迷うことはありません。「わたしは共にいる。あなたの罪をあがなった」と良い知らせが毎日届けられているのです。


2、正義の胸当て・・完全になれない自分の姿に悩む必要はありません。神さまを見つめます。正義の胸当ては、赦しと愛です。わたしを正しい道へと、神の国の救いの道へと胸を張って歩むものにしてくださっているのです。


3、平和の福音を告げる履物・・安心して歩きましょう。どのような悲しみに中にあって、希望はすでに私たちの手に委ねられています。今日の日は、神さまの愛に守られて、喜びと感謝と平和を語る道に生きているのです。


4、信仰の盾・・信仰の盾は、神さまの守りの盾です。私の人生は神さまのものです。だれも神さまの愛から離すものはなく、私たちの内にイエスさまが共におられます。不安と恐れは逃げていくのです。


5、救いの兜(かぶと)・・失望は、私たちの人生に決定的な打撃を与えるものです。救いの兜は、救いの確信です。「わたしは恐れない。力強い神さまの手が今日わたしと共にある」という確信の中で、失望は力を失うのです。


7、霊の剣・・霊の剣は、みことばの力です。現実を積極的にみことばに置き換えます。悲しみは、神さまの恵み深さに出会うため、痛みは、十字架を知るため、この世の闇は、神さまの光を輝かせるため・・。みことばは、すべてを恵みに変える力の源です。


8、祈り・・すべてのことは祈りの中に置かれています。運命が支配している中に生きているのではありません。小さな祈りの生活の中には、闇が支配することはもうないのです。

 

今日は、完全装備です。神さまの守りの日でありますようにお祈りします。
 

f:id:dailybreadzion:20200703080444j:image

7月2日 大丈夫!と言える根拠

おはようございます。
朝日のように、神さまの優しい愛が降り注いでいます。


☆今日の御言葉 ヘブライ人への手紙13章5節
『私は決してあなたを見捨てず、決してあなたを置き去りにしない。』


一本の確実な絆があれば、川の流れに押し流されることはありません。一本のろうそくの火が燃え続けているならば、暗闇の中でも自分の立っている場所を見失うことはありません。


嵐の中でも、船が港に留まることができるのは、一本の太い錨にしっかりと支えられているからです。歩きにくい道があっても、一本の杖があれば、前に進むこともできます。


神さまの唯一の愛があれば、恐れの波に押し流されることはありません。みことばの一つの光が差し込むならば、神の子である麗しい姿であることを知ることができます。


困難なできごとがあっても、一つの祈りの言葉が今を変えていくことができるのです。


私たちの人生には多くのものが必要ではありません。


神さまは、決してあなたを見捨てず、置き去りにはしません。
神さまの愛に基づく一つの確信があれば、もう恐ることはないのです。


「決して」の賛歌  J.C・ライル

ーーー
いつでも告白し祈りましょう。


「決して」・・あなたの心がたびたびくじけ、自分自身にもうんざりし、多くの失敗と弱点にうちひしがれるときーそのときでさえ、約束がくつがえされることはない。


「決して」・・たとえ、サタンがこうささやいても「最後にはおまえを手にいれる。あともう少しでおまえの信仰はくじけ、おまえはわたしのものになるのだ」ーそのときでさえ、神のみことばはゆるがない。


「決して」・・死のひんやりした冷たさがあなたを徐々に襲い、友人たちももはや何もできず、戻ることのないその旅に足を踏み出すときーそのときでさえ、キリストはあなたを見捨てない。


「決して」・・さばきの日が訪れて、永遠が始まるときーそのときでさえ、キリストは決してあなたのたましいを手放さない。


主の約束を誇ろう。あなたの慰めとなる力を喜ぼう。
こう宣言しよう「主は私の助け手。わたしは決して恐れない。」


f:id:dailybreadzion:20200702081208j:image

7月1日 希望のレシピ

おはようございます。
神さまの守りは今日も完璧です。


☆今日の御言葉 ローマ8章28節
『神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、わたしたちは知っています。』


毎朝、オートミールバナナケーキを食べます。材料は、オートミールを砕き水につけたチアシードと混ぜます。腐る直前の柔らかいバナナ、オイルとミルク、砂糖少々を混ぜて焼くだけです。ひとつの素材だけをみると、食べにくいものもあります。決して美味しいと言えないものもあります。でも、素材が組み合わされる時に、一つひとつが生かされて、最高の味わいになっていくのです。


神さまは、希望を生み出すレシピを知っています。そして、私たちもみことばの中から、すべてのことが益となることを知っています。今日も生活の中には、一つひとつの祈りの課題があります。ある課題はとても喜ばしいもので、ある祈りの課題は難しい問題が含まれています。


祈りの課題というあらゆる素材を、神さまのもとへに持参します。どんなことでも共にお祈りましょう。自分自身の中では希望を見出すことができないものがあっても大丈夫なのです。


祈りの課題という素材を神さまが一つひとつ見つめていてくださって、その大きな手が動きます。調理するように、祈りの課題という素材を用いて、すべてを益とする希望につくりあげてくださるのです。味わい深い感動的な喜びが人生に与えられるのです。


砕かれること、混ぜられること、かたちが失われることを心配しないでください。
神さまの手にあって希望が作られていくのです。
どのように待ち、信じることができるでしょうか。


愛する者たち・・と呼びかけられています。
神さまに愛されている人は、柔軟な思いをもって歩むことができます。何事も自分で判断しなくていいのです。何かを決めつけたり、もうだめだと諦めたり、自分の力の中で限界を感じても、悲観的にならなくていいのです。


私たちは知っているのです。暗闇が光となり、果てしない絶望が信じられないほどの希望に変わることを。愛されている人は、神さまの力強い御手に今日も守られているのです。祈りの素材を神さまのキッチンテーブルにただ並べ、神さまの手の業を見ていましょう。


神さまのご計画の中に置かれている今があります。
神さまの恵みの生涯へと招かれた人は、自由な発想をもって生きることができます。神さまが自由と喜びをいつでも語りかけてくださるからです。過去に生きることも、未来だけを見つめることをしません。それは、思い煩いの原因となり、足取りを重くさせてしまうことがあります。


神さまの御手は大きく広がられています。神さまのキッチンテーブルのあらゆる祈りの課題は、もうわたしの手に握られているのではありません。神さまはすでに私たちに豊かな喜びをもたらすために動き出しています。


すべては益となります。
すべてが益となることを知っている人は、忍耐強く待ち望み今日を生きています。神さまの手の動きを見るように、一つひとつが組み合わされて、そして苦しみも悲しみも用いられて、神さまの栄光をあらわす希望がつくられようとしているのです。


美味しいお料理、手の混んだお料理は時間がかかります。もし、長い間祈っている課題があれば、それはものすごく大きな神さまの恵みの業が現されることになるかもしれません。ゆっくり、待ち望みましょう。楽しみながら神さまの手の業に委ねましょう。


素晴らしい希望が待っています。
 

f:id:dailybreadzion:20200701080824j:image

6月30日 神さまのささやきを聞く方法

おはようございます。
良いことがたくさんありますように。


☆今日の御言葉 列王記上19章11ー12節
『主が通り過ぎて行かれると、主の前で非常に激しい風が山を裂き、岩を砕いた。しかし、その風の中に主はおられなかった。風の後に地震があった。しかし、その地震の中に主はおられなかった。地震の後に火があった。しかし、その火の中に主はおられなかった。火の後に、かすかにささやく声があった。』


神さまが私たちに大切なことを語ろうとするとき、それはささやきの声として届けられます。


このささやきの声を聞くために、生活の雑音に消されることがないようにします。喧騒の中で心配だけを心に満たすことがないように、人の言葉に強く反応することがないように過ごします。


神さまの息づかいを感じるように、心を開き、耳を傾け、静まり歩いていきます。


旧約聖書の登場するエリヤは悩んでいました。人生が思い通りになりませんでした。一生懸命神さまに仕え、神さまに従ってきましたが、見える現実は良いものではありませんでした。激しい試練、葛藤、悲しみが人生を包んでいたのです。どこに神さまの恵みがあるのかわかりませんでした。


エリヤは、この現実の中で神さまに出会いました。


霊的な目が開かれる時は、見える現実には失望がある時です。私たちの霊的な耳が開かれる時には、この世の失望の声をたくさん聞く時です。周りの現実が暗闇に閉ざされれば閉ざされるほど、実は、わたしたちは天の窓が開かれていることを知ることができるのです。


エリヤは、どのようにして神さまのささやく声を聞いてのでしょうか。


激しい風・・主はおられなかった
私たちの生きる現実にも激しい風が吹いています。その風は、わたしたちを追い立てるように、「もっとこうしなければいけない」「もっと輝き、成功しなくてはいけない」とプレッシャーをかけるものです。喜びを失わせ、慌ただしくさせ、混乱してしまうのです。神さまのささやきの声が聞こえなくなります。
今日、少しの時間、みことばが語られている声を聞いてみましょう。メッセージや本でも・・。


地震・・主はおられなかった
自分自身が揺れ動いてしまうような恐れを感じることがあります。自分の人生はこれからどうなってしまうのだろうという不安が、私たちの人生を揺り動かしています。自分自身を土台とする時に、本当の安らぎを得ることができない時があります。自分に固執する必要はありません。みことばが人生の支えとなって生きる道があります。
今日、好きなみことば、支えとなるみことばを思い起こすか、紙に書いてみましょう。


火・・主はおられなかった
感情の火は常に燃え上がっています。喜怒哀楽が炎のようにわたしたちの生活のそばにあります。私たちの感情はとても大切なものです。でももし、私たちがこの感情を静める方法がなければ、火のような感情の暴走は燃え上がり、私たちの人生をむなしいものにしてしまいます。
今日、安らぐとき、好きなことで心を静める時間を持ちましょう。


静けさ・・ささやく声があった
みことばの中に静けさがあります。この世の現実に恐れる必要はありません。自分でしっかり立てなくてはと焦る必要もありません。感情だけに巻き込まれて生きることから離れます。


みことばはゆっくりと、私たちの心に語りかけます。
「おそれないで、大丈夫」という安らぎを与えてくださるのです。


ささやく声は、いつでも、どんな時にでも、私たちに届けられています。
このみことばの声を聞いて今日の日が守られますようにお祈りいたします。
 

f:id:dailybreadzion:20200630080539j:image

6月29日 神さまをおもてなしする

おはようございます。
神さまの手に引かれて今日の日が守られますように。


☆今日の御言葉 ローマ14章17節
神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。』


おもてなしという言葉があります。
心を込めて、相手を敬い、その人に喜びを与えるように振る舞います。


ある時、「神の国をもてなす」という言葉を聞きました。神さまが私たちに対しておもてなしのような愛を注いでくださるのは分かりますが、人間側が神の国をもてなすということは思ってもみませんでした。


神さまの愛が豊かに与えられるように、神の国が訪れるのを喜ぶように、もてなすような気持ちで祈ります。「神さま、来てください」と私の人生に歓迎します。


私たちの人生に、静かでそして豊かな平和が広がります。自分という小さな枠組みが押し広げられるように、大きな神さまの愛が注がれて、生活の場に神の国が現されるのです。


暗闇を光に変え、恐れを信仰に変えることのできる神の国の実現です。

 

神の国は、義と平和と喜びです。言葉では言い尽くせない充実した満たしが与えられます。


義ー人生の土台
神さまの正しさを意味します。正しさは、確かさであり、人生の土台です。揺るがない愛があり、決して変わらないみことばに支えられています。神さまの真実が私たちの今日の日を守ってくれます。


平和ー私を照らすともしび
エスさまの十字架の赦しの中に本当の安らぎと平和があります。自分を責め続けることなく、自尊心を傷つけることから自由にしくれます。平和は、いつでも、神さまに愛され、赦されている私の姿を照らすともしびです。


喜びー私を祝福で満たす愛
喜びは、尽きることのない泉です。喜びが溢れているときに、神さまが私を祝福してくださることが分かります。すべての悩みや心配も神さまの喜びが溢れる時に、心の外に流れ出てしまいます。喜びは、今を祝福で満たす神さまの愛です。


神の国が今日わたしたちの人生に豊かに訪れようとしています。神の国をもたなすように、迎え入れ、義と平和と喜びの日でありますようにお祈りいたします。

 

f:id:dailybreadzion:20200629081008j:image

6月28日 勝ちて余りある

おはようございます。
雨の日曜日ですが、慰めの光は届いています。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙8章37節
『私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。』


1日の生活を問題と心配でいっぱにすることよりも、人生に神さまのスペースをつくります。
この聖なる領域を見つめると、安らぎを得、自分の本当の姿で生きることができます。
恐れよりも信仰が動き出すからです。

 

心配があればあるほど、生きにくくなってしまいます。
固執しているものが多ければ多いほど、愛することができなくなります。


私たちは弱くても、私たちがもっているものはわずかでも、何事も自分で握りしめず、明け渡し、自分自身に固執することなく、こだわりを捨て、神さまの安らぎと勝利を手にします。


大丈夫です。いかなる問題に囲まれていても、勝ちて余りあるという喜びが待っています。


・神さまが味方である(ローマ8章31節)

気の合わない人、不機嫌な人、攻撃をしてくる人、平安を脅かす状況、あらゆるものが私たちの心を埋め尽くしてしまいます。わたしたちは、自分で戦うことをしません。神さまが味方となっていてくださることを思い起こします。何事も自分で解決しようとしません。委ねて手放し、怒りを返したり、不満足をぶつけたりしません。祈りに委ねて勝利します。そして神さまに導かれるようにして、自分にできる背一杯の祈りの業をしていきます。
事柄は良い方向へと動いていくことでしょう。

 

・神さまに選ばれた(ローマ8章33節)
だれかが自尊心を傷つけることがあるかもしれません。自分でも弱さを思ってしまうことがあるでしょう。誰も責めず、自分をも裁きません。誰が私たちを訴えるでしょうか。誰が私たちの人生を暗闇に陥れることができるのでしょうか。


わたしたちのためにとりなし祈ってくれるイエスさまがいるのです。私たちを見つめて、危機から助け出し、祈りの囲いの中で守っていてくださっています。


・神さまの愛から引き離されない(ローマ8章39節)
無力さを感じたり、絶望する時は、神さまにつながるチャンスです。今、手にある祈りの課題は、私たちに絶望を与える嵐ではありません。怯えさせる困難ではありません。裁きとしての災いではありません。あらゆることにおいても、わたしたちは、神さまの愛からは決して離されないことを教えるためにです。わたしがたとえイエスさまを握る手を離しても、イエスさまの愛は、苦しみや悲しみの時こそ力強く、わたしたちの人生に伸ばされるのです。


神さまにある勝利を共に味わいましょう。


f:id:dailybreadzion:20200628080958j:image