海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

6月27日 今日を幸せにする祈り

おはようございます。
今立っている場所は神さまが共にいる聖なるところです。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書14章27節
『私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。』


心を騒がせ、何かにおびえながら生きることがあるかもしれません。あらゆる情報を取り入れたり、人からの期待に応えることで疲れてしまったり、まだ何も起きていないのに心配してしまったりと、思考と心は、いつでもフル稼働です。


静寂の時、静まりの時間を意識するだけで、力はみなぎり、意識は集中し、今自分が何を大切に生きるかを選ぶことができます。今日は幸せに満ちる日になるのです。


エスさまは、十字架にかかる前に、「平和をあなたがたに残し、私の平和を与える」と語られました。この平和は、安らぎであり、癒しです。揺るがない確信をもつことであり、忙しさ、慌ただしさから私たちを守るものです。その平和は、聖霊に満たされる時に、豊かに実感します。


今日を幸せにする祈り


1、命の息
創世記で神さまによって人が創造された時に、「その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節)と記されています。鼻に命の息(聖霊)が吹き込まれた時に、生きる者となりました。わたしたちは、今生きています。それでも、生きる喜び、生かされていることの感謝を抱けない時があるかもしれません。


一人になれる場所で、しばらく自分の呼吸に集中します。深呼吸をしながら、命の息が鼻から入り、全身に行き渡るように、体のひとつひとつ部分に意識をもっていきます。何も考えず、何も意識せず、ただ呼吸する音、吸って吐く感覚だけを見つめます。
→この呼吸を集中することで何を感じたでしょうか。


2、弁護者
聖霊は、ヨハネによる福音書14章15節では「父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがと一緒にいるようにしてくださる。」と語られています。弁護者とは、わたしたちの近くにいて、あらゆることを正しい方向へと導いてくれる存在です。


自分の心を見つめてみます。今、何を感じ、どのような思いがあり、何を喜び、何に怒っているでしょうか。一人でそのことの意味を考えるのではありません。弁護者である聖霊の存在を見つめながら、自分の心をそのまま語り出します。
→自分の思考の判断ではなくて、弁護者に心を聞いてもらうことで何を思いましたか。


3、真理の霊
聖霊は、真理の霊とも言われます。「この霊があなたがたのもとにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである。私は、あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14章17、18節)真理の霊は、愛と喜びです。


「愛と優しさで満たしてくだい」と祈ります。「ただイエスさまが共にいる喜びと平和で包んでいてください」と心を静めます。私たちは一人ではないことを知ります。自分で心を変えることはできませんが、聖霊の優しい風が吹いてくるのを感じることはできるのです。
→イエスさまの愛と優しさに満たされる実感はありますか。


安らぎ、平和、神さまが共にいる静けさ、今日どのような嵐があっても守られます。

 

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6月26日 渇きを癒す水源マップ

おはようございます。
しなやかな豊かな心で今日が守られますように。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書7章37節−38節
『渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。』


「私は渇いている」と言える人は、素直な心を持っている人です。どこかで無理して歩いてしまうことがあります。この世の価値観が押し迫って来て、自分の価値が小さく、背伸びをして、自分を誇り高く見せたくなることもあるかもしれません。


本当のわたしの姿は、ある時弱く、傷ついています。心は渇き、神さまの愛を必要としています。イエスさまは、「渇いている人はだれでも誰でも、わたしのもとに来て飲みなさい」と言われました。そのままで、愛されて、祝福されます。


日本には、たくさんの地下源泉があります。美味しい水の産地もあります。湧き出る水は、ミネラルが豊富で、心にも体にも良い影響がたくさんあります。良い水は、傷口や疾患を癒し、生きる力を高めてくれるものもあります。


聖書の中にも、いくつかの地下源泉があります。
心が潤され、癒され、元気を回復するために今日は聖書の水を飲みましょう。


聖書に記されている水源マップ


ホレブの岩の水
「私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがたその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」(出エジプト17章6節)
祈りの課題は、多くの場合は重たく、動かしがたい岩のようです。信じ、祈り求める時に、想像をはるかにこえた方法で、私たちの人生を喜びで満たしてくださるのです。


詩篇の水
「その人は流れのほとりに植えられた木のよう。時に適って実を結び、葉も枯れることがない。その行いはすべて栄える。」(詩篇1編3節)
ゆっくりと自分のありのままの姿を見つめます。成果を求めることよりも、神さまの愛と恵みで満たされることを求めます。神さまの恵みの豊かさを味わうことは大きな祝福です。


谷川の水
「鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように、神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める。」(詩篇42編2節)
渇いているのはがんばっているからです。悲しんでいるのは一生懸命生きているからです。神さまはいつでも見ていてくださっています。慰めは近くにあります。


神殿から流れる水
「川が流れて行く所はどこでも、そこに群がるすべての生き物は生き、魚が非常に多くなる。この水が入ると、そこの水が癒され、この川が流れる所では、すべてのものが生きるからである。」(エゼキエル47章9節)
教会から流れ出る命の泉があります。それは建物や場所を意味しているのではありません。祈り場所から恵みは流れます。信じる人の周りで良き業が現され、みことばを心に宿す人のうちに、平安が溢れているのです。


エスさまから流れる水
「私が与える水を飲むものは決して渇かない。私が与える水はその内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(ヨハネ4章14節)
渇いている自分が本来のわたしではありません。否定的にすべてを考える必要はありません。もう愛されていないと言わなくていいのです。救いの喜びで満たされている人、希望を信じて祈る人なのです。


生ける水
わたしたちは、井戸を見つけました。いつでも、そこにはわたしの渇きを癒し、悩みを信仰に変え、恐れを小さくし、弱いものでありながら、良きものをいただき、死によって滅びるものではなく、イエスさまの命によって永遠に迎え入れられるものとなったのです。


いつでも、みことばの水源に行きましょう。
 

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6月25日 幸せを選ぶ自由

おはようございます。
生活の些細な出来事の中にも神さまはそこにおられます。


☆今日の御言葉 ペトロの手紙第一1章18ー19節
『あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、銀や金のような朽ち果てるものによらず、傷も染みもない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。』


幸せに生きる道と、苦しみの中に歩む道と、わたしたちは今日、どちらを歩みたいと願うでしょうか。誰もが今日の日を幸せに、心豊かに、安らかに歩いていきたいと願うことです。1日の歩みの中で、いつでもこの2つのことを意識してみます。そしていつでも幸せを選びます。よりよいことを選択します。


自分の生きる道、自分の心を守り、神さまによって与えられた尊く美しい人生、喜び溢れる心、神さまを賛美する姿を、だれにも、どんな状況にも奪われず、巻き込まれず、変わらない愛にいつでも立ち帰ることを祈り求めてみます。


どのような時にも幸せを選ぶ道に歩みます。


・人間関係を改善する幸せの道
言い合いをしたい気持ちが湧いてくるかもしれません。人の言葉に納得できず、または心傷つくこと、嫌な気持ちにさせることもあるかもしれません。感情にまかせるままであれば、自分が傷つくことや恐れて怒ったり、自分の主張の正当性にこだわり続けて、人間関係を悪化させてしまうことがあります。


今日は、幸せを選ぶ日です。しばらくの間、感情や自分の気持ちが強くなりすぎることをそっと手放します。そして委ねます。透明人間になった気持ちで、悪い雰囲気の風を流し、自分で深く受けとめるところから離れます。そうすると、言葉の本質や、傷つけ合う感情を取り除くと、事柄の本質がより見えやすくなるのです。


・誘惑から逃れる幸せの道
意識的に思い巡らす、早回しの法則を身につけます。それは、もし、これを得て、今後それがどのように変わっていくだろうかと、長いスパンで考えてみます。今のことだけ、今目に見えることだけに支配されると、本当に大切な価値を見失ってしまうことがあるのです。私たち自身は、無限でも、不死身でもありません。やがて、目に見えるもの、手にもっているものは、変化していきます。今は輝いても、今は良いことに思えても、それはかたちを変えてしまいます。朽ち果てることに強く固執し続けることを諦めす。手放し喜びます。


・空しさを癒す幸せの道

信仰の価値は、時が経つことで輝きが増していきます。「贖い」という言葉は、「洗われる」ことを意味します。たくさんの傷を負ってしまうことがあります。まだ癒されていない傷口が痛むことがあるでしょう。イエスさまは傷をみつめ、癒し、洗いきよめ、尊い人生の喜び、生かされている幸せを与えてくださっています。どのような中にあっても、イエスさまが共にいてくださる平安に包んでくださるのです。

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6月24日 聖書的クオリティ・オブ・ライフ

おはようございます。
今この瞬間、神さまに愛されています。


☆今日の御言葉 出エジプト記2章10節
『その子が大きくなると、母親はファラオの娘のところに連れて行った。その子はファラオの娘の息子となった。ファラオの娘はその子の名をモーセと名付けた。「私が彼を水から引き出したからです」と言った。』


「クオリティー・オブ・ライフ(QOL)」という言葉を聞いたことがあります。人が幸せに、人間らしく、自分らしく生きているかを示す「生活の質」をあらわす言葉です。


幸せになる道に歩いていく権利があります。愛される特権があります。心豊かに今日を生きる資格が一人ひとりに与えられているのです。誰にも奪うことはできません。


私たちが本当の意味でのクオリティー・オブ・ライフを見つけ出し、歩むことができたら幸せな日々を歩いていくことができます。

 

時に、私たちは、人生の充実、生活の質の向上とは正反対の出来事を経験することがあるかもしれません。


歴史に名を残したモーセは、その誕生の時から、クオリティー・オブ・ライフとは程遠い中に置かれました。
社会的にイスラエルの人々は、異国の地であるエジプトで重労働を課せられ、生活は追い詰められていました。そして、エジプトの王から「生まれた男の子は一人残らずナイル川に投げ込めめ・・」という残虐な命令が出されました。
人間らしさ、尊厳はすべて奪われています。命すらも危うい状態です。


状況や環境が決して望ましいものでなくても、わたしたちは神さまにあって人生の質を高め、喜びの中に歩むことができるのです。


聖書的クオリティー・オブ・ライブを考えてみました。


・慈しみの眼差しが注がれます
モーセは、過酷な環境の中に置かれました。それでも、モーセの生涯は聖書の中に記されています。私たちの人生も、書き記された文字としてではありませんが、聖書の中に置かれています。神さまが目を留めてくださっています。聖書の中に置かれているならば、自分の人生の悲しみ、嘆きがあっても、最善に導かれていくのです。十字架の道も栄光の道となり、モーセの生涯は、神さまの慈しみの眼差しで守られているのです。


・危機の中でも支えられます
小さな幼子は、パピルスの籠に入れられ、アスファルトと樹脂で防水され、ナイル川水草の中に隠されます。どのような危機や困難の中に置かれていても、そこには必ず神さまの備えと守りがあります。死の陰の谷を歩く時があります。どのような時にも神様は一緒に歩いてくださるのです。幼子のモーセは、無力で命の危険と隣り合わせでした。自分の力が一番弱くなると思う時、もうこれ以上の希望を見出すことができないと思えるところにこそ、優しく包む神さまのゆりかごのような備えを知るのです。


・圧倒的な守りと備えがあります
お姉さんが遠くからその子の身に何が起こるか見ていると、ファラオの娘が下りてきて、水草の茂みの籠を見つけました。
神さまの守りは、心の中でのことではありません。気持ちの持ち方の変化だけではありません。実際の生活の中で、不思議な導きを経験することがあるのです。たまたまとか偶然とか、そのような言葉を使うことがありますが、聖書の中にある神さまの真実をみると、わたしにとって、絶妙な時に、絶好のタイミングで神さまが助け支えてくださるのです。


・愛されて、育まれます
その子は、母親に引き取られ、乳を飲ませられました。
わたしたちは、誰もが愛を求めています。モーセは、家族の愛から引き離されましたが、再びその愛を経験することになります。神さまは、私たちの命を育むために、愛を示す人を備えてくださいます。一人で生きる道ではなくて、共に祈り、支え合う、真の家族のような関係を与えていてくださいます。神さまの愛に抱かれる経験を通して、そのままのわたしが豊かに育まれる経験を通して、生きる喜び、人生の価値は高くなるのです。


・救いの喜びが与えられます
そして、「水から引き出された子」を意味する「モーセ」と名付けられました。
モーセは、水から引き出された子でした。暗闇から光へと引き出された子でした。危険から平安へと導かれた子でした。死から命へと救われました。神さまは、わたしたちをも死という暗闇から救い出してくださるお方です。何よりも、人生の価値を豊かに感じることができるのです。救われ、愛され、導かれることが、どのような状況にあっても、喜ぶ力となるのです。


祝福の日でありますようにお祈りいたします。

 

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6月23日 お守りいたします

おはようございます。
必要が満たされる日でありますように。


☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙4章7節
『あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。』


心と考えは、今日も様々なことに対処することがあります。充足する時もあれば、時には、冷たい風を受けるかもしれません。失望の嵐の中に巻き込まれてしまうかもしれません。心と考えが傷つき、自分自身の本当の姿を見失ってしまうようなこともあります。


神さまの平和が、今日、心と考えを守ってくれます。

試練の時に、悩みの時にも、大丈夫です。


今日のみことばには、「あらゆる人知を超えた神の平和」と記されています。
「あらゆる・・」というのは、多くのものを含んでいます。

たくさんの祝福です。数えられないような恵みです。


神さまの平和の光が今日、豊かにそして優しく注がれています。
その時、私たちの心と考えはどのように守られるのでしょうか。


・和解の祈り
憎しみ、怒り、不和、それらの思いは、自分の心を苦しめています。その痛みが強くなる時に、周りにも憎しみが広がっていきます。神さまは、人と人との間、事柄と事柄の間に立ち、とりなし私の手ともう一方の手を握り、真ん中に立って「平和があるように」と呼びかけてくださるのです。


・揺るがない安心
神さまとの絆が結ばれる時に私たちの心に安心が与えられます。目で見える状況が大変な時こそ、神さまとの絆が深められる時です。人生で経験するマイナスを悲観する必要はありません。苦しみは、神さまの呼びかける声です。「わたしに繋がりなさい、平和を与えよう」と。


・健全な心
健全な心になるのは、よりシンプルに生きることです。100個の重荷を背負って生きることは難しいです。そしてもっと難しいのは、重荷を手放し委ねることです。荷物を背負うことには一所懸命でも、その荷物を降ろしたり、委ねたりすることはなかなかできないのです。荷物を持っていない自分を不安に感じているからです。シンプルで大丈夫です。世にある安心を持てなくても、神さまはあらゆる平和を備えてくださっているのです。


・究極の満たし
今の現実の中ですべてを満足できない時があります。与えられているものよりも、与えられていないことの方に目を向けてしまうことがあるからです。わたしたちの心は、隙間、空間、満たされていない部分を必ず抱えています。それは空しさや不満足感を強くしてしまいます。心の空いているところに信じる思いを満たしていきます。信じる思いとは、まだ見ぬ希望、まだ与えらていない祝福を、すでに手にしているかのように神さまに感謝します。その時、良いものを与えてくださる神さまを経験するのです。


・信仰の助け
私たちの生活は、信仰を持っても、持っていないくても同じように日々歩いていきます。信仰はある時は杖として表現されます。同じ人間、変わらない人生、でもその手には杖があるのです。支えがいつでも備えれていて、祈りの杖を高く掲げる時に、海の中にも道が開かれます。私が弱くても神さまが力強く導いてくださっているのです。悲しみは慰めに変わり、嘆きは喜びへと変えられていくのです。それは神さまの平和が与えられているからです。


・みことばの光
明日のことを思い煩いません。将来のことを心配しません。過去のことを悔やんでいつまでも心を暗くしません。みことばの光が今日を照らし、どのような困難な道でも、みことばの光に導かれて、歩いていくことができます。周りの状況を憂いたり、恨んだりする必要はありません。暗闇という霧は自分ではどうにもならないことがたくさんあるからです。解決方法は、その手に光を持つことです。神の平和というみことばの光を手にしているのです。


・赦された罪
エスさまは、十字架につけられ、三日目に復活されました。平和を叫びつづけたイエスさまの声は、響いています。「罪は赦された、あなたは大切な神の子」と。十字架の重荷を負っていたお弟子さんたちに、「もう重荷を下ろしなさい。わたしはよみがえった。平和があるように」と語られました。自分を責めることをしないで、イエスさまを見つめます。何かを憂いたりしないで、イエスさまを信じます。自分のあり方に固執するのではなくて、ただ委ねます。平和と愛が今この時を満たしているからです。


あらゆる平和・・語りつくせないほどです。(長くなってごめんなさい・・)
たくさんの天の祝福をもって、今日の日を守っていてくださっています。
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6月22日 避難所のご案内

おはようございます。
恐れは私たちを支配することはありません。


☆今日の御言葉 詩篇91編3−4節
『まことに主はあなたを救い出してくださる。鳥を捕る者の網から、死に至る病から。主は羽であなたを覆う。あなたはその翼のもとに逃れる。主のまことは大盾、小盾。』


私たちの人生は、目で見るもの、耳で聞こえるもので感情が動かされます。川のせせらぎのような心地よい音が聞こえれば、心が平安になります。しかし、騒がしく心傷つける声を聞くと、ネガティブな気持ちになります。この心と思考のアップ、ダウンを日々繰り返して生きることは大変なことです。


私たちは、無意識のうちに、状況や人間関係によって幸せを求めています。相手や環境が自分の思い通りにならないと心は平安を失ってしまうのです。自分以外の何かに充実を求めると、真の平安を見出すことができなくなります。


いつでも、心豊かに、平安に生きる道があります。それは自分自身の存在の深いところに、みことばに示されている避難所(シェルター)をもつことです。感情の揺れ動き、恐れ、怒り、不安が心にきたら、すぐにシェルターに逃げ込むのです。静まって、祈りつつ、みことばを思い起こします。繰り返し、読むことも効果があります。


避難所はどこにあるのでしょうか。
どのような守りが約束されているのでしょうか。


・羽であなたを覆う
親鳥の翼のもとに逃れるひなのように、大きな翼の陰に隠れるのです。


「主がその御翼のもとに逃れてきたあなたに十分に報いてくださるように。」(ルツ記2:12)
「あなたの翼の陰を避けどころとします。」(詩篇57:2)
「あなたはわたしを必ず助けてくれだいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。」(詩篇63:8)
「翼の広げた鳥のように・・これを守り、助け、かばって救われる。」(イザヤ31:5)
「その翼にはいやす力がある。」(マラキ3:20)


羽は大きく広げられています。自分が小さく見えることです。それでいいのです。
自分よりも大きな存在を認識する時に言葉では言い表せない平安に包まれます。
愛され、癒され、守られています。そして、豊かに祝福してくださるのです。


・主は大盾、小盾
盾は、力強い神さまの存在をあらわす言葉でした。


「恐れるな。アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」(創世記15:1)
「御もとに身を寄せる人に、主は盾となって守ってくださる。」(サムエル記下22:31)
「我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾」(詩篇33:20)
「主は太陽、盾。神は恵み・・良いものを拒もうとはなさいません。」(84:12)


苦しみや悲しみは、すべて自分で直接受けなくていいのです。私にできることはわずかです。たくさんの重荷をすべて担わなくていいのです。心に深く受けとめて、自分を責めなくていいのです。委ね、祈り、自分の手で握る力を弱くし、神さまの力にすべてを預けます。


羽で覆われ、盾で守られる1日です。
みことばをゆっくりと思い巡らす日でありますようにお祈りしています。


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6月21日 父の子守唄

おはようございます。
心の重荷を降ろして安心して憩う日でありますように。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙8章14、15節
『神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、子としてくださる霊を受けたのです。この霊によって私たちは、「アッパ、父よ」と呼ぶのです。』


今日は父の日です。神さまを「アッパ、父よ」と呼ぶことができる幸せがあります。「アッパ」とは、小さなこどもがお父さんを呼ぶ声です。「パパ」「お父ちゃん」・・親しみ、信頼、愛、純粋さが伝わる言葉です。


「アッパへの呼びかけ」という詩を読んだことがあります。


「きれいにすんだ初冬のひろい ひろい青空にむけて 
 黄ばんだ葉を高くかかげているいちょうの木


 池の水にうつった百日紅さるすべり)のふるえるように美しい枝ぶり


 その水のうえを静かに 静かに流れていく一枚の紅葉の葉
 心がすいとられていくようなこの自然の美しさは
 アッパ、お父さま、
 お父さまの子守唄がこの見える自然の奥にひっそりと流れているからなのでしょうね」


父なる神さまの子守唄がこの世界には優しく響いています。


「主に求める人には良いもののかけることがない。」(詩篇34:11)

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」(箴言23:26)
「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる」(エレミヤ31:16)
「あなたがたの天の父は、求める者に良いものをくださるにちがないない」(マタイ7:11)


その子守唄は、みことばです。
「恐れることはなにもない」「わたしがすべてを守る。」といつでも語られるのです。

 

水のうえを流れる葉のように、静かで豊かな時間が流れていきます。


それでも、また考えだすと、過去の傷、悲しみが押し寄せてきます。
子守唄は、いつでも聞こえてきます。
「あなたを脅かすものは何もない」「わたしはあなたを癒し、とこしえに守り導く」
「子よ、安心しなさい」と・・
風に揺れる木々のように、父なる神さまの優しい声が風のように吹いてきます。
みことばの優しい声に包まれるように自分自身のすべてを委ねます。


今日は、安息の日です。父の日です。
父なる神さまのふところで安らぐ日です。


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