おはようございます。
良いことがたくさんありますように。
☆今日の御言葉 列王記上19章11ー12節
『主が通り過ぎて行かれると、主の前で非常に激しい風が山を裂き、岩を砕いた。しかし、その風の中に主はおられなかった。風の後に地震があった。しかし、その地震の中に主はおられなかった。地震の後に火があった。しかし、その火の中に主はおられなかった。火の後に、かすかにささやく声があった。』
神さまが私たちに大切なことを語ろうとするとき、それはささやきの声として届けられます。
このささやきの声を聞くために、生活の雑音に消されることがないようにします。喧騒の中で心配だけを心に満たすことがないように、人の言葉に強く反応することがないように過ごします。
神さまの息づかいを感じるように、心を開き、耳を傾け、静まり歩いていきます。
旧約聖書の登場するエリヤは悩んでいました。人生が思い通りになりませんでした。一生懸命神さまに仕え、神さまに従ってきましたが、見える現実は良いものではありませんでした。激しい試練、葛藤、悲しみが人生を包んでいたのです。どこに神さまの恵みがあるのかわかりませんでした。
エリヤは、この現実の中で神さまに出会いました。
霊的な目が開かれる時は、見える現実には失望がある時です。私たちの霊的な耳が開かれる時には、この世の失望の声をたくさん聞く時です。周りの現実が暗闇に閉ざされれば閉ざされるほど、実は、わたしたちは天の窓が開かれていることを知ることができるのです。
エリヤは、どのようにして神さまのささやく声を聞いてのでしょうか。
激しい風・・主はおられなかった
私たちの生きる現実にも激しい風が吹いています。その風は、わたしたちを追い立てるように、「もっとこうしなければいけない」「もっと輝き、成功しなくてはいけない」とプレッシャーをかけるものです。喜びを失わせ、慌ただしくさせ、混乱してしまうのです。神さまのささやきの声が聞こえなくなります。
今日、少しの時間、みことばが語られている声を聞いてみましょう。メッセージや本でも・・。
地震・・主はおられなかった
自分自身が揺れ動いてしまうような恐れを感じることがあります。自分の人生はこれからどうなってしまうのだろうという不安が、私たちの人生を揺り動かしています。自分自身を土台とする時に、本当の安らぎを得ることができない時があります。自分に固執する必要はありません。みことばが人生の支えとなって生きる道があります。
今日、好きなみことば、支えとなるみことばを思い起こすか、紙に書いてみましょう。
火・・主はおられなかった
感情の火は常に燃え上がっています。喜怒哀楽が炎のようにわたしたちの生活のそばにあります。私たちの感情はとても大切なものです。でももし、私たちがこの感情を静める方法がなければ、火のような感情の暴走は燃え上がり、私たちの人生をむなしいものにしてしまいます。
今日、安らぐとき、好きなことで心を静める時間を持ちましょう。
静けさ・・ささやく声があった
みことばの中に静けさがあります。この世の現実に恐れる必要はありません。自分でしっかり立てなくてはと焦る必要もありません。感情だけに巻き込まれて生きることから離れます。
みことばはゆっくりと、私たちの心に語りかけます。
「おそれないで、大丈夫」という安らぎを与えてくださるのです。
ささやく声は、いつでも、どんな時にでも、私たちに届けられています。
このみことばの声を聞いて今日の日が守られますようにお祈りいたします。