海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

5月9日 神さまとアイスティー

おはようございます。
神さまは微笑んで、ある時は喜んで今日を祝福してくださっています。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙 6章4節
『キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。』


美味しいアイスティーの入れ方を教えてもらったことがあります。アメリカの方なので甘いです・・。水二カップを入れた鍋に、ティーバック2袋を入れて、一旦沸騰させます。そのまま10分おいて、できた濃厚ティーを、大きめのポットに注ぎます。まだ熱い内に、ブラウンシュガーを2カップ入れて、よく混ぜ、さらに2リットルの水と氷を入れて味を整えます。一つひとつの素材が融合し、溶け合い、そしてとても味わい深いアイスティーになるそうです。お気に入りのカップに注いで、ゆっくりと味わうと幸せな気持ちになります。


水とアイスティーというのは不思議な関係です。味のついていなかった水が、ある人の手によって、非常に美味しい飲み物へと変化していくのです。
神さまは、私たちの人生にも同じようなことをしていてくださっています。


水は、とても大切な飲み物です。水は水として存在していますから、ほかの物質にはなれません。水に「あなたは生リンゴジュース」ですと言い聞かせても、一瞬でも変化するでしょうか。それは無理なことです。私たちは、時には、自分という存在を、全く違う存在と比較して、評価し、自分が他の何かにならなければいけないと、苦しんでしまいます。


私たちは別の性質、性格には、決して変わることができませんが、
自分らしく、より個性の輝く姿へと変わることはできるのです。

 

水という存在はものすごく可能性があるものです。ここにある工程が加わることによって、味わ深く、意味深く、そして人々を幸せにすることができるものに変化するでしょう。この変化を実感できるのが、神さまと共に歩む道なのです。


神さまはひとり子イエスさまを私たちに与えてくださいました。
人として生まれ、十字架の道を歩み、栄光の復活の体験しました。
今日は、イエスさまと一緒にその栄光に続く道を、わたしたちの人生の道を見つめながら、思い巡らしてみましょう。


エスさまの生涯に、死と復活があり、そこから新しい命が生まれました。
わたしたちは、新しい命に生きています。


死(鍋の中の水)・・十字架は苦しみと死の象徴です。わたしたちは、ある時十字架を背負うのです。恐れの時です。水が大きな鍋に入れられて、火によって沸騰させられるように、わたしたちの内側の何かが動かされます。激しい試練の中で自分のあり方が変化していきます。耐えられず、自分の力も知恵もその中では無力なのです。わたしたちは死を経験します。自分自身の死であり、その死は消えてなくなることではなくて、新しい力に満たされるための変化の時です。失望したり、自暴自棄にならないでください、イエスさまの苦しみと一つになれる時です。苦しみを通して、信仰の深みへと到達します。


復活(栄光の味わい)・・神さまは、わたしたちが一番弱いと思う時に助けてくださるお方です。捨てることはなく、見離すことはないのです。イエスさまの死は新しい時代を開く扉となりました。神さまは、もっとも深い悲しみの十字架に、「栄光」を輝かせてくださったのです。神さまを体験する場所は、わたしたちが砕かれ、生きる道を見ることができずにいる時です。弱い時の力となり、絶望の時の希望となり、闇の中での光となるのです。死から新しい姿へと造り変えられるのです。


新しい命(個性の輝き)・・もう水は水のままではありません。試練もありました。神さまの深い御心に出会うために、自分自身のあり方が変化していく過程を通りました。神さまを経験するものとされ、沸騰した水に砂糖が溶け込み、紅茶の葉が溶け合うように、まったく新しいものが生じたのです。そして、この新しい命は、自分のためだけではありません。人は、用いられたり、役になっていると思ったり、だれかの幸せのために生きる時に、自分の人生を幸せにすることができるのです。神さまの愛の導きによって、個性は輝き、人の喜びのためにも用いられます。


水は、あなたらしい、あたらしい、味わい深い人生に変えられました。
わたしたちはどんなティーですか?


△ 甘く優しい スイートティー
△ 魅力的な シナモンティー
△ だれもが好む ミルクティー
△ 個性豊かな ハーブティー
△ 深い思想をもつ アールグレイティー
△ いつでも直球、素直な ストレートティー
△ 刺激的な レモンティー
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どなたも素敵な人々です^ - ^
 

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5月8日 人は変われる

おはようございます。
希望を信じる人の周りには、心地よさがあります。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書20章21−22節

『「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」』


人が変わるのは難しいでしょうか。自分を見ると、どうにもならない頑なな思いがあります。そうなってしまうのには理由があります。決して私たち自身の性質の問題ではありません。人は、今までの経験してきた出来事によって、よくも悪くも、自分自身が形成されてきました。


私たちの意識では、過去と現在と未来が、一本の線でつながっていると思うことがあります。過去に痛みがある場合は、今も痛みがあり、未来にも不安が出てきます。過去に喜びがあれば、今も平安な気持ちが心に宿って、未来を拓きます。


エスさまが十字架から復活をされてから、「時の感覚」が変化しました。
過去と現在と未来ではなくて、平和と使命と希望で人生がつながっていくのです。


私たちの人生のあり方を今日、書き換えて見ましょう。
それは、わたしたちが本当に恵みによって豊かに変えられていくためです。
過去と現在と未来は、つながっているようで、実は、切り離し、整理し、よりよく連結させることができます。そのために、意識的にする心の作業があります。


*過去を平和に書き換えます
私たちは、前を向いて人生を歩いているようで過去に縛られているのです。今日の気持ちは、過去から来たものであるでしょう。その過去を整理する時に、私たちの今日は変化していくのです。過去という言葉の意識を「平和」と書き換えてください。


平和は、神さまの赦しです。平和は、わたしたちの後悔や失敗を委ねることです。平和は、環境や人の言葉で傷ついたその出来事に支配されないで、ただ神さまの愛を受けることです。平和は、過去のどんな場面にも一人で振り返らずに、恵みのイエスさまと共に事実を見ることです。過去は平和へと変えられます。


*今を使命に書き換えます
わたしたちは、自分の能力や知恵によって今を生きています。その枠組みで今の現実を見ています。自分への評価が人生の幸不幸を決めると思ってしまっています。


エスさまに導かれる今、とても不思議なことが起こります。時に、難しい重荷を背負ったり、なぜ自分がそれをしなくてはいけないかというストレスを経験することがあるのです。自分を責めたり、人のせいにしたりします。でも過去や周り、自分を見つめ続けないでください。神さまの使命があるのです。今いるここが、イエスさまがわたしを遣わした場所です。重荷に感じたり、自分にはできないと嘆く必要はありません。必要としているすべてのことは神さまから与えられます。知恵も力も言葉も、慈しみも愛も注がれるのです。


*未来を希望に書き換えます
わたしたちは、未来を見ることができません。どんなに能力があっても、富をもっている人も、だれも未来を見ることはできません。大きな声では言えませんが・・実は今、未来を見せられることがあるのです。それは奇跡とか観念的なことではありません。イエスさまはお弟子さんたちに「聖霊を受けなさい」と語られ、息を吹きかけられました。風を受けたのです。みことばが自然と前へゆく力を与えてくださったのです。


吹く風を受けて進む時。自分の力を抜きます。未来を信じます。自分が拓く未来は想像の範囲内ですが、聖霊の風が拓く未来は、予想外で、まだ見たことのない、神さまの恵みをたたえる大きな感謝につながるのです。未来を恐れるよりも、この聖霊に導かれていけば、今日は希望へと続いているのです。


未来予想図 (神さまにあって実現可能なことです)
□多くの問題は、心配している通りにはならないでしょう。
□祈り続けてきた祈りの課題が、一つひとつ最善のこととなるでしょう。
□思ってもみなかった人が救われるでしょう。教会にも来るでしょう。
□体の健康は損なわれることがあっても、私たちの内側は日々新しくされるでしょう。
□あなたにしかできないことが、人生の最後の時まで与えられるでしょう。
□わたしたちの信仰の証しは、永遠に語り継がれるでしょう。
□その続きを書き記してみてくださいね。
                                 
                                 
                     
わたしたちは今日変えられます。より良い未来に共に歩みだしましょう。

 

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5月7日 心の窓を開けてみると

おはようございます。
コロナの渦の中ではなく、神さまの只中に生きています。


☆今日の御言葉 ヨハネ20章29節
『私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。』


わたしたちは、今、お部屋を換気したりして、風通しをよくしていると思います。私たちの内側はどうでしょうか。もしかしたら、現実の空気だけを取り入れて少し息苦しくなっているかもしれません。この先の見えない不安を感じながら、自分であれこれと考える時間も多くなっているでしょうか。今日は心の窓を開けて、みことばの恵みの風景を見てみましょう。神さまの愛という新鮮な風が吹いてきます。


心の窓をなかなか開くことができない人がいました。イエスさまのお弟子さんのトマスです。先が見えず、期待が裏切られ、イエスさまの十字架の意味と復活の希望を信じることができないでいました。それはとても辛いことです。トマスが心に神さまの恵みを信じることのできなかった3つの理由があります。それが心の窓にかたく鍵をかけていたのです。


1、こだわり・・イエスさまの十字架は、理解できないものでありました。人々はより豊かになること、生活に平和が訪れること、抑圧から解放され自由になることを求めている中では、十字架は、弱さの象徴であり、敗北の姿であり、死そのものでした。


「わたしは決して信じない」(ヨハネ20:25)その思いはトマス自身を生きにくくさせていました。「こだわり」から「みこころ」を静かに思い巡らします。自分のこだわりの窓を開け、神さまのみこころの吹く風を感じましょう。


2、不安・・不安とは、自分の立っている場所を見失うということから生じる心の思いです。トマスは、立ち位置を失いました。自分の足で立っているそのところは、圧政と苦しみの地に生きていると思っていました。


不安を取り除く、たった一つの方法があります。それは、周りを見すぎず、自分の足元を自分の人生という土台に立つことを諦め、みことばの土台に立つことです。非常に幅の狭い平均台の棒に立つように、不安定に感じるかもしれません。もとのいた自分の知恵や経験という土台の方が、広く、確実で歩きやすいのです。でもその道の先には人間の限界地点があるのです。


わたしたちは、今日語られるみことばの上に立ちます。それは、狭く、細く、(みことばメールのように・・)理解し難いことも多くあります^^;祈りの手でバランスをとります。心の姿勢を崩すことがあれば、みことばで整えます。そのように、少しずつ、一歩一歩、進む時、しだいにこの細くて、そして、実に豊かな道に慣れて来ることです。その道は天の御国へと続いているのです。


3、行き詰まり・・人生の歩みの中では、一度や二度、本当に行き詰まってしまうことを経験することがあるかもしれません。行き詰まる時、自分の信じてきた夢が奪われ、大きな絶望の壁が立ちはだかり、それをどう乗り越えていいのか分かりません。


トマスはそこで、イエスさまと出会いました。行き詰まり、自分の限界、そこは、恵みの神さまとの出会いの場所です。行き詰まりはなく、それは、曲がり角で見えなかっただけです。先に進んで、曲がり角に立てば今までは全く違う、恵みの世界が開かれ、新しい神さまの愛の風景を見せられて、必要を備えてくださる道に歩むのです。


心には3つの窓がありました。一つひとつ鍵を開けて、今日は新鮮な風を感じましょう。

 

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5月6日 夜明けに立つ人

おはようございます。
空しさの中でこそ豊かな神さまと出会えます。


☆今日の御言葉 箴言4章18節
『正しき者の行く末は輝き出る光のようだ。進むほどに光を増し、真昼の輝きとなる。』


一日の時間を人生に当てはめると、今どのような時を歩いているでしょうか。


◇真夜中にいるようにずっと暗闇に囲まれているという時を過ごしていることもあるかもしれません。◇朝の光を浴び、今が一番期待と希望に満ち溢れている時だと感じている人もいるでしょう。◇そして、昼の光を全身に浴びるように、最も祝福され、最も充実していると思える時を過ごしているでしょうか。◇しかし、午後の日差しが強くなるように、何かに疲れ、少し前までは何ともなかった出来事が、重たく感じる時もあります。◇そしてやがて、夕暮れ時を迎えます。よく歩いてきました。疲れもあり、後悔があっても守られていました。でもどこか生活の変化に心がついて行けずに、現実を受け止めることがまだできずに寂しさを抱える時があります。◇しだいに、闇は深く、深くなってきます。かつての喜び、日の光に照らされた充実もありません。失われるようなことばかりです。とてもつらい現実を歩むことになります。


多くの場合は、年齢や環境の変化、今経験している出来事には抗うことはできません。良い方に進んでいると思えれば、安心ですが、もし悪い方に行くのではないか思えば、今日を喜ぶことが難しくなります。体も心も、環境も変化し続けていきます。


実は、ここにこそ信じて生きる道の価値を知ることができます。◇年を重ねるごとに恵みは増し加わり、喜びの質が変化します。◇乗り越えた試練の数だけ、神さまが支えてくださる力を知り、その経験は誰かのための祈りや励ましに用いられます。◇弱さの中でこそ、みことばの恵みの体験が深くなり、よりイエスさまの御心に近づきます。◇人生の中で、わたしの力も状況もうまく行かないと思う時こそ、新しく扉は開かれ、その道を信じて歩む時に、わたしたちの周りにいる人たち、家族にも恵みが注がれていくのです。


神さまに導かれて、今日立っている人生の場所は、それはいつでも夜明けなのです。
この静かな時間、空気も澄んでいます。何ごともまだ慌ただしく動いていません。
でも、これから神さまの恵みの光が照らされようとしていることを知っています。


今日、今、わたしたちは、たとえ人生のどのような時を経験していても、神さまと夜明けに立っていて、希望を信じてとりなし祈ります。しだいに、神さまが照らしてくださる光の強さを感じます。ますます恵まれ、祝福は増し加わり、真昼の輝きのような時を過ごすのです。


みことばの光は、真上からあたたかく、豊かに照らしています。
その中を共に歩みましょう。暗く、うつむき、自分自身で心配の荷物を背負わなくていいのです。


夜明けに立つ人は、これから始まる、素晴らしい神さまの業に期待するのです。
そして、それが実現するのを見るのです。信じて進むほどに光が増していきます。


朝日から昼の光へと、そして神さまを賛美する美しい夕刻へと、人生は素晴らしい方向へと導かれています。


年を重ねることは美しく、日毎にみことばを心に刻む人は輝いてます=(^.^)=

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5月5日 弱さを克服する方法

おはようございます。
今日はわたしの課題に最善に生きればそれで十分です。


☆今日の御言葉 ヤコブ1章5−6節
『あなたがたの中で知恵に欠けている人があれば、神に求めなさい。そうすれば、与えられます。神は、とがめもせず惜しみなくすべての人に与えてくださる方です。少しも疑うことなく、信じて求めなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。』


何かに欠乏することは、私たちに悩みをもたらすことがあると思います。何かと比べて劣っているとか、誰かの振る舞いをみて、自分には良きものがないとか、この世の中の事実を見ると、豊かさや成功や、見栄えの良いものが満ちています。その客観的な事実は、わたしたち自身を生きづらくさせてしまっていることもあると思います。


自分は「知恵に欠けている・・」と思っている人がいました。当時、知恵は、人の中にある一番高価な宝のようなものでした。その宝をたくさん持っていると思う人もいれば、そうではない自分に思い悩むこともあったのだと思います。


わたしたちは、すぐに変えることができない事柄、自分の力では解決できないこと、この世の動かしがたい事実、その前で無力であり、そこにたくさんの心配と悩みの種があるのです。
その心配の種を育ててしまうこともできますし、逆にそれを宝ともすることができるのです。知恵に欠けていることを宝と、なぜ言うことができるのでしょうか。


それには理由があります。祈り求めても変わることがない現実、過去のトラウマ、自分の性質や人間性、より良いものがたくさんあったとしても、心配の種が芽を出し、木となり成長し、人生を暗く覆ってしまっている現実をわたしが見ているだけなのです。


この暗闇が覆っている現実を変えてみて見ましょう。悩みの種となっていることに祈りを加えます。ちょうど、お料理に塩をふりかけるように、むなしいと思う事実にみことばの命を吹き込むのです。素材はそのままであっても、味が変わります。それを受け止める感覚が変わります。わたしたちが経験する一つひとつの出来事にその作業を加えます。自分の感情で処理するのではなくて、静かな湖畔で神さまと一緒にいるように祈ります。多くの場合はこの作業には時間が必要です。


祈りと信仰を、わたしが経験する出来事の上に味付けし、色付けし、意味づけをします。


私自身の欠乏、弱さを通して、何が起きたのでしょうか。
それは、神さまが求めるこんなに豊かな祈りささげる人になったのです。
弱さがなければ、人の痛みも気づけないこともありました。
苦悩し、挫折をすることを通して、わたしにふさわしい恵みの扉が開かれました。
立ち止まり涙することもありました。そこで恵みのイエスさまに出会うことができたのです。


苦しみや弱さや、挫折の経験は、自分の力ではない、圧倒的な神さまの力が人生の道を開く経験となったのです。この苦しみを乗り越える経験は、だれかの助けとなり、神さまをほめたたえて生きる証しとなり、表情も人生も美しい祈り人とされているのです。


天の倉庫には、わたしの祈りの答えのすべてが積み込まれています。
もうすでに存在しています。あとは、その道筋、配送ルートを確保するだけです。


神さまに求めるならば、その道が開かれます。
いつでも、どんな時にも、満たし、惜しみなく与えてくださるその愛を知るのです。


天国の宅配便は、大きな荷物を届けてくれます。


天の故郷から届く配送物を受け取りましょう。
そして、みんなで開いて喜び、わたしたちの大切な人生に用いていきましょう。
 

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5月4日 信仰が現実となる時

おはようございます。
この瞬間、神さまにある幸せが満ちますように。

☆今日の御言葉 詩篇119:89−90
『主よ、とこしえに、あなたの御言葉は天に堅くとどまっています。あなたのまことは代々におよび、あなたが据えられた地は揺らぐことはありません。』

地震のように実際の揺れを感じなくても、人々の歩みが揺れ動かされている時があります。今は、そのような時なのかもしれません。日常生活が変えられてしまうこと、仕事や家族のあり方も、今までとは違う対応をしなければならないのはどれほど大変なことでしょう。これから、心の疲れが出てしまう時です。知らず知らずのうちに、たくさんの気を使って歩いているからです。不調を感じたり、疲れを感じるのは、今の時、普通のことです。この現実は変えることはできませんが、もし、わたしたちの心のあり方によって、現実が変化していくということが起きたらどうでしょうか。

たとえば、現実に喜ばしい出来事があるから、心に喜びを抱く、という方法であると、常に、周りの状況によって心は変化します。良い時があり、大変な時があります。喜びで心が上向きになる時もあれば、様々な気持ちの変化によって落ち込むのです。登り坂、下り坂、砂利道、ずっと平坦な道はないかもしれません。突然のこと、緊急事態、嵐や暴風にさらされ、心休まることはできません。

もし、この法則を変えることができたらどうでしょうか。
その変化を実感できるお祈りがあるのです。
信仰という目に見えない神さまの愛が現実となる瞬間です。

今日の聖書に「御言葉は天に堅くとどまっています」とあります。
天には、ものすごく大きな希望があるのです。

わたしたちの視線をゆっくり天を見るようにします。そこに命の泉の源泉があります。豊かなみことばの恵みが尽きることなく、渇くことなく溢れています。そして驚くことに、神さまの恵みはわたしたちの生活のある場所に注がれようとしているのです。

天を見つめ、祈りましょう。この祈りです。
「御国を来らせたまえ」主の祈りで聞いたことがある方もいると思います。
御国を求める祈りです。この祈りがささげられる場所に、神さまの愛の光は届くのです。

御国がわたしの生活を覆ったらどうなるのでしょう。
御国はやがてわたしたちが行く天国をさしているものではありません。
もっと、包括的で、現実的で、実際的なのです。

御国を来させてください、と祈る時、御国がわたしたちの生活に流れ込んでくるのです。
ゆっくり待ち望みます。静まります。大丈夫です。恐る必要はありません。
エスさまの愛が注がれる時、わたしの本当の姿、今日の自分の課題に集中します。

やがて聖なる神さまの愛に覆われます。愛が満ちます。
恐れは小さくなり、イエスさまの愛に包まれるような平安に満ちるのです。
御国がわたしたちの今日居るその場所に来るのです。

神さまの豊かな愛を歓迎しましょう。心からもてなすように神さまを賛美しましょう。
今日、一人ひとりの居るその場所に、天の祝福は流れ、平安に包まれるのです。

5月3日 魅力的な人

おはようございます。
ほんとうの自由はありのまま愛されることです。

☆今日の御言葉 詩篇37編4−5節
『あなたの道を主に任せよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』

今日は、みことばの光がわたしたちの人生を照らす日です。どのような暗闇でも、その光が届かない場所はありません。私たちは憂いているでしょうか。自分で心を変えることのできない過去の傷も後悔も、事実は変えることができなくても大丈夫です。もうそのことに心縛られて生きていく必要はありません。

過去や現在、また未来に起きている出来事を、豊かなみことばの光に照らして見るならば、その事実の捉え方が変わるのです。みことばの光は、やさしくこの地を照らし、土に埋もれた種を芽生えさせてくださるのです。自分らしく生きることのできない時も、この光は花を豊かに彩るように、さらなる輝きを取り戻すような美しい花を咲かせてくださるのです。

とても大切な気づきが与えられたコラムがありました。
「これからの君に必要なことは、聖書を読み、祈ることを覚え、少しずつ信仰の道に分け入っていくことだ。どんな状況にあっても、神に信頼することで道を開く体験を重ねることだ。すると、学歴とか地位とかを度外視した、人を吸い寄せる不思議な魅力が備わる。この平凡な人間にはない、その人にしかない個性というものは学校では身につけられない。君が人生で真剣に格闘する中に生まれる。すでにあるものが磨かれて外に現れる。苦しみという坩堝(るつぼ)を通して花開くのだ。・・多くの場合、若者は自分の魅力が分かっていない。生かすも殺すも自分次第だと思っている。しかし、そうではない。神次第なのだ。神に近づけば魅力が花開くし、神から遠ざかれば色褪せるしかない。・・」
(北海道恵泉塾 水谷幹夫牧師 波止場便りNo.32)

今日、わたしたちはそのままの思いで神さまに近づきましょう。何かを心配し立ち止まる必要はありません。無から有を創造してくださる神さまがおられるのです。不可能を可能にしてくださる神さまの力に守られ、その愛に覆われているのです。

人の最大の魅力は、この神さまの恵みの中で開花します。弱い時の力となり、どのように傷ついた心にも癒しの手を置き、激しい嵐のような海にも道を開いてくださるのです。

あなたの道を、神さまに任せましょう。喜んで助けてくれます。必ず守ってくれます。
今は辛くても、振り返って人生の道を見るならば、
神さまが成し遂げてくださって恵みの花の数々を見ることになるのです。

主にすべてを任せた人は、本当に魅力的な人です。