海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

5月5日 弱さを克服する方法

おはようございます。
今日はわたしの課題に最善に生きればそれで十分です。


☆今日の御言葉 ヤコブ1章5−6節
『あなたがたの中で知恵に欠けている人があれば、神に求めなさい。そうすれば、与えられます。神は、とがめもせず惜しみなくすべての人に与えてくださる方です。少しも疑うことなく、信じて求めなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。』


何かに欠乏することは、私たちに悩みをもたらすことがあると思います。何かと比べて劣っているとか、誰かの振る舞いをみて、自分には良きものがないとか、この世の中の事実を見ると、豊かさや成功や、見栄えの良いものが満ちています。その客観的な事実は、わたしたち自身を生きづらくさせてしまっていることもあると思います。


自分は「知恵に欠けている・・」と思っている人がいました。当時、知恵は、人の中にある一番高価な宝のようなものでした。その宝をたくさん持っていると思う人もいれば、そうではない自分に思い悩むこともあったのだと思います。


わたしたちは、すぐに変えることができない事柄、自分の力では解決できないこと、この世の動かしがたい事実、その前で無力であり、そこにたくさんの心配と悩みの種があるのです。
その心配の種を育ててしまうこともできますし、逆にそれを宝ともすることができるのです。知恵に欠けていることを宝と、なぜ言うことができるのでしょうか。


それには理由があります。祈り求めても変わることがない現実、過去のトラウマ、自分の性質や人間性、より良いものがたくさんあったとしても、心配の種が芽を出し、木となり成長し、人生を暗く覆ってしまっている現実をわたしが見ているだけなのです。


この暗闇が覆っている現実を変えてみて見ましょう。悩みの種となっていることに祈りを加えます。ちょうど、お料理に塩をふりかけるように、むなしいと思う事実にみことばの命を吹き込むのです。素材はそのままであっても、味が変わります。それを受け止める感覚が変わります。わたしたちが経験する一つひとつの出来事にその作業を加えます。自分の感情で処理するのではなくて、静かな湖畔で神さまと一緒にいるように祈ります。多くの場合はこの作業には時間が必要です。


祈りと信仰を、わたしが経験する出来事の上に味付けし、色付けし、意味づけをします。


私自身の欠乏、弱さを通して、何が起きたのでしょうか。
それは、神さまが求めるこんなに豊かな祈りささげる人になったのです。
弱さがなければ、人の痛みも気づけないこともありました。
苦悩し、挫折をすることを通して、わたしにふさわしい恵みの扉が開かれました。
立ち止まり涙することもありました。そこで恵みのイエスさまに出会うことができたのです。


苦しみや弱さや、挫折の経験は、自分の力ではない、圧倒的な神さまの力が人生の道を開く経験となったのです。この苦しみを乗り越える経験は、だれかの助けとなり、神さまをほめたたえて生きる証しとなり、表情も人生も美しい祈り人とされているのです。


天の倉庫には、わたしの祈りの答えのすべてが積み込まれています。
もうすでに存在しています。あとは、その道筋、配送ルートを確保するだけです。


神さまに求めるならば、その道が開かれます。
いつでも、どんな時にも、満たし、惜しみなく与えてくださるその愛を知るのです。


天国の宅配便は、大きな荷物を届けてくれます。


天の故郷から届く配送物を受け取りましょう。
そして、みんなで開いて喜び、わたしたちの大切な人生に用いていきましょう。
 

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