海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

5月2日 祈りの答えを見つける方法

おはようございます。
誰かの期待を満たすだけの人生ではないようです。


☆今日の御言葉 ヤコブ4章2節
『熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、求めないからです。』


深い海の底にものすごく価値のある真珠があるとします。この真珠を手にすることができたら、人生は変えられます。心の渇望は満たされ、周りが暗闇であっても、その手にある真珠はいつも輝き、周りを照らし、自分も家族も幸せに導いてくれるものです。


この世には価値あるものがたくさんあって、みな、それを獲得するために競争しています。疲れたと足を止めてしまうと非難され、弱さを告白するならば、蔑まれてしまいます。自分は自分でいいと言えば、この世のものすごいスピードに置いていかれ、空しくなります。もっと価値あるものを、もっと豊かさを、もっとスピードを、みなが本当の目的も見出せずに、走り疲れています。


あまり大きな声では言えませんが・・この真珠を手にしたら、そのようなことが非常に小さいことのように思えてしまいます。もう迷うことも、競争して疲れることも、だれかと比べて落ち込んだり、人の言葉によって憂いたり、この世に吹く風によって、本質的に心が揺れ動き、打ち倒されることはないのです。


ものすごい、大きな宝です。高価な真珠です。


どうやって手に入れますか。


真珠は隠されているのです。海の底にあるのです。深く深く沈まなくてはいけません。これが非常に難しいのです。高みに上ることの方が人々が求めていることかもしれません。自分が賞賛されるところにはすぐに行きたくなります。心地よい場所に留まりたいのです。自分の価値が誰かに承認されることで、自分の人生を立たせようとします。しかしこの求めはいつでも不満足と隣り合わせです。残念なことに、完璧に満たされることはないかもしれません。


自分を満たすだけの人生を潔くあきらめれば、不満足はなくなり、新しい道が開かれます。


深く、深く、沈み込んでいくような、人の目には見えない、誰にも評価されず、承認もされず、むしろ、侮られたり、さげすまれたり、祈って何になるのだろうかと自分でも思ってしまう道です。大丈夫です。周りがどうであっても、わたしたちの本当の価値は揺るぎません。


暗闇に囲まれるような痛ましい現実は、私たちを祈りの深みへと導くためです。
誰もが発見しなかった宝を探し、見出すようになる、特別に愛されている人です。


わたしたちは、誰の目にもとまらないところで祈ります。そして、その祈りの価値を知っているのです。闇に囲まれることがあっても、現実がよくならないと思っても、深く、深く、祈りの海の中に沈んでいる時なのです。底のない深みに沈みこんでいくような不安があるかもしれません。しかし、それは、神さまとの信頼の絆を確かにする大切な時間なのです。


祈ることを通して、わたしの感情は整理され、自分の欲を知り、それらのものを捨てて、さらに祈りの深みへと進んで行くのです。むなしい時間ではありません。むしろ、ものすごく尊く、豊かな真珠を手にするために、寂しい気持ちもかかえながら、深い祈りへと導かれます。


これはただ単なる例え話ではありません。深い問題の中でこそ、みことばの真実を見出すのです。大きな課題の中でこそ、自分の思いが砕かれ、それと同時に神さまの豊かな力が働き出すのです。


祈って求められないのは、自分のために何かを求めていると気づかされる時間が必要なのです。すぐに自分の祈りがかなえられないのは、自分の思いよりも、もっと深く豊かな神さまの栄光が現されることを経験するためなのです。


深海の底に沈むかのように、みことばの中に沈潜しましょう。
静まり、騒がず、外の声をもしばし閉ざし神さまの愛のみことばに耳を傾けましょう。


真珠を発見するでしょう。もう祈りは聞かれているのです。
手にしている課題は心配しないで大丈夫なのです。
エスさまご自身という宝を見出したからです。


ありのままで輝かせて、周りを豊かな喜びで満たす、神さまの真珠です。


手にして喜び、自慢せず、すべてを忍び、信じ、望み、神さまをたたえる日としましょう。
 

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5月1日 愛で心を整える

おはようございます。
誰かひとりを勇気づける日でありますように。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙5章6−7節
『善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。』


外出自粛の時、お家の整理や断捨離をしている人もたくさんいると思います。
不用なものを捨てて、お家はすっきりするかもしれませんね。


もしかしたら、私たちの心も、今まで整理しきれなかったものをたくさんため込んでいることもあるかもしれません。言葉にならない不安が募っています。人の振る舞いや事柄が思い通りにならず、不満足を段ボールに詰め込んで、心に積み上げてしまっているかもしれません。


疲れによってだいぶ傷ついた心もそのままになっていたかもしれません。そして、困ったことに、誰かに汚された思いや、だれかが土足入って来て、傷つけられてしまったものも見えてしまうことがあるのです。


自分を大切にして、自分自身をケアーして、神さまによって与えられた尊く、素晴らしい人生であり、私たちであることを思い巡らしましょう。


私たちの内を見つめます。正直に見つめます。隠すことなく見れば、本当に恥ずかしいほどです。イエスさまは、たとえ罪や汚れが、こびりつきとれなくても、寄り添い、赦し、愛をもってきれいにしてくださるのです。


さあ、作業にとりかかりましょう。
最初に自分を受け入れ、イエスさまに共にいることを確かめます。
ひとりではその作業に取り組むことが難しいことがあります。
エスさまの愛を見つめます。イエスさまの愛は、本当に深く、あわれみに満ちています。


私は、自分の心の部屋をイエスさまに見せるのが恥ずかしいです。良きものもありますが、たくさんの荷物、心配、恐れが積み上がっています。壁紙は傷つき、床にもたくさんのものが散らかっています。イエスさまは、ものすごい深い愛をもってその心を見ていてくださっています。否定しないのです。責めないのです。指をさして、一つ一つに対して責任を追求しないのです。


大きなトラックを横付けして、すべて心にある不必要なものを示してくださって、「わたしの手に預けなさい」と語ってくださるのです。


エスさまはお話しながら、整理してくれるのです。「ずいぶん、溜め込んだね」「たくさん傷ついたね」「本当に疲れていたね」「でももう大丈夫。わたしは、あなたを贖う、もう暗闇も罪も恐れもあなたを支配することはしない」


心の荷物が外に運び込まれると何が見えるでしょうか。自分の本来の姿がわかるのです。私たちの人生の上にある喜びを見るのです。どれだけ愛され、守られて、今まで歩いてくることができたかを知るのです。神さまが共にいる人生がこんなにも素晴らしいものであるのかを実感するのです。


私たちは、だれも、不幸な人はいません。傷ついたままで放置されて、見捨てるられることはありません。理不尽なこともあるでしょう。不条理を感じることもあるでしょう。まだ、解決できない問題を抱えることもあるでしょう。それを、わたしの感情で色付けしないでください。誰かの意見で失望だと判断しないでください。それは、いくらでも変えられていくのです。イエスさまの愛がそれを変えてくださるのです。


この心のお掃除は、少し時間がかかってもいいのです。
すぐに、この世の価値を描くスプレーが飛んできて、
みことばの真実を書きかけてしまうのです。


すぐに競争の原理や何かを積み上げていくことで、
愛されるという中身はないけど、重たい荷物を持ってくる人がいます。


エスさまの無条件の愛が、条件付きの愛にあっという間に取り替えられて、
勝ち負けの論理という不必要な荷物でいっぱいになってしまうのです。


毎日、少しずつ、ゴシゴシとイエスさまは、心の傷も汚れもキレイにしてくれます。
エスさまは、わたしの心に訪れてくれます。
そして、今日も愛を、癒しを豊かな恵みのプレゼントをそっと心の中においてくださいます。


恵みのお花、神さまの愛という壁紙、キリストの贖いというすべての罪を消し去る洗剤、すべてをきれいにしてくれます。その心にイエスさまの愛が日の光のようり差し込むのです。


素晴らしき人生を今日の日も共に歩きましょう。
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4月30日 栄光の架け橋

おはようございます。
人からの見返りがなくても、神さまは十分に報いてくださいます。


☆今日の御言葉 使徒言行録5章29節
『ペトロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。』


「ゆず」というアーティストの「栄光の架橋」という歌があります。
このような歌詞です。
「誰にも見せない泪(なみだ)があった 人知れず流した泪(なみだ)があった
 決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ
 あの時思い描いた夢の途中に今も

 何度も何度もあきらめかけた夢の途中
 いくつもの日々を超えて たどり着いた今がある

 だからもう迷わずに進めばいい
 栄光の架け橋へと・・・・・」

 

とても素晴らしい曲ですね。神さまが導く栄光の架け橋を思い巡らしました。


私たちも長く自分の道を歩いてきました。
でもそれは、人に従い、自分のために生きる道であったかもしれません。


その道にはたくさんの出来事があったことです。価値あることも良いこともありました。しかし、ある時は行き詰まりを経験することがあるかもしれません。長く走って大きな重荷を背負って疲れ果ててしまうこともあるかもしれません。先の見えない現実に失望し、これからどうなるのだろうと考えると、ゆっくりと休めなくなります。


心の重荷を降ろして、神さまの大きな愛へと続く架け橋を共に歩いてみましょう。


この道には、荷物は最小限で大丈夫なのです。このことも、あのことも心配するかもしれませんが、委ねて歩いていくと、とても不思議なことを経験するようになるのです。それは、その日、その時の必要を神さまが知っていてくださって、どんな小さな祈りも聞いてくださり、いつでもわたしにとってちょうど良いものが届けられるのです。恵みはわたしにとって十分なのです、と心に感謝が湧き上がってくるのです。


この道では、何事にも執着しなくていいのです。執着は、人の心を疲弊させて人生を複雑にしてしまうのです。自分の思いも、人の気持ちもとても大切ですが、私の思いよりもはるかに高く、私の考えよりもはるかに知恵深く、事柄を導き守ってくださるイエスさまが一緒なのです。


この道では、誰かと比較しなくてもいいのです。周りの風景は、神さまの創造の業に溢れています。花をみても、このように素晴らしく着飾っている神さまの愛を知ります。鳥をみても、その日の糧をそなえ、求めていることをはるかに超えてそれぞれに素晴らしい賜物を与えてくださっているのです。


この道では、競争しなくてもいいのです。人間の価値は、何かを獲得してその自分を評価してもらうことではありません。高い位置に上り詰め、勝ち上がり、優越感で心を満たすことではありません。それらの自分の理想の形は強く完璧なようで、もろく崩れやすいのです。決して変わることのない神さまの注がれる愛が土台となって、この道は栄光へと続いているのです。


この道では、いつでもあなた自身が大切であることを気づかせてくれます。わたしたちは、神さまに造られました。オリジナル作品です。今日、悲しんでいるでしょうか。イエスさまは、寄り添って助けてくれます。今日喜んでいるでしょう。神さまは、一緒にその喜びの中にいてくださいます。今日何かを心配しているでしょうか。聖霊なる神さまは、一瞬、ある時にこれから与えられる素晴らしい賜物と恵みの世界を見せてくれる時があるのです。


だからももう迷わずともに進みましょう。救いへと続く栄光の架橋へ。


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4月29日 ウイルスと信仰

おはようございます。

☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二 5章7節
『私たちは、直接見える姿によらず、信仰によって歩んでいるからです。』


ウイルスは目に見えないので、いろいろと気をつけながら生活されていると思います。このウイルスは、わたしたちの生活を一変させてしまいました。人々の心に与えたダメージも大きいと思います。本当に祈っています。

 

もう一つ、目には見えませんが、私たちに本当の喜びと希望を見つめさせてくれる信仰があります。ぜひ、このことに私たちは目を留めて、今日の日を心健やかに歩きたいです。


ウイルスも信仰も同じように目に見えないものですが、一方では恐れと病を、もう一方は命と喜びを与えるものです。


ウイルスはどのように私たちの体内に入るでしょうか。
そして、信仰はどのように私たちの体内に入るでしょうか。

 

創世記に一つのヒントがあります。
創世記2章7節にこのような御言葉あります。
「神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命を息を吹き込まれた」
人が神さまによって造られたました。
土の塵から造られましたが、そこには命の息が吹き込まれたのです。


命の息が鼻から入ってきました。鼻に付着するウイルスは洗い流し、命の息を吸い込みましょう。


土の塵は、もろく、傷つきやすい姿です。弱さをもっています。神さまを必要とする存在として造られたのです。恐ることもあります。病を経験するものです。神さまに祈り求める存在なのです。


命の息が吹き込まれました。それが信仰です。誰の心にも、神さまを求める思いが必ずあるのです


今日、ウイルスの脅威よりも、命の息が吹き込まれたことを思い巡らしましょう。大きく心の深呼吸をするようにして、命の息を入れましょう。どのようにすればいいでしょうか。


1 現実の恐れをみことばで上書きする方法

 現実の見える事柄が心に入ってきます。良いものはそのままでもいいかもしれませんが、重荷になること、心配すること、心乱されることは、その一つひとつのことに対して、みことばが語られることを待ち望みます。待っていれば大丈夫です。心に納めて深くは考えなくていいのです。みことばがやがて風のように吹いて、心の埃を吹き飛ばしてくれます。


2 聖なるあきらめ
 見える現実に固執すると、石のようにその思いが固まり、固執して、その気持ちの支配から離れられなくなります。たとえ、自分の思い通りにいかないことがあっても、固執した思いが満たされなくても、積極的にあきらめましょう。静かに、ゆっくりと神さまの手にのせます。神さまは、それを良い希望の場所へと運び、わたしたちの心をつくり変えてくれます。


3 未来の事柄に集中する
 どうしても、視線が足元に置かれてしまいます。今しか見れないのです。今のことでしか何かを判断しないのです。この足もとのことは、確かに深刻な問題もありますが、石ころのようなものです。歩いていたり、走っていたりすれば、その苦しみは過ぎ去ります。新たな問題も浮上しますが、しっかりと対処して、視線は未来へ、その先のことへ、神さまが生きて働き、すべての益としてくださるところを見ています。


吹き込まれた命の息、信仰の喜びを実感する日です。


ウイルスは外ーー!命の息(信仰と祝福)は内ーー!
でいきましょう。
 

4月28日 お家で心のエクササイズ

おはようございます。
すべてを克服しようとしなくても大丈夫です。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書15章17−18節
『口に入るものはみな、腹に入り、外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来て、これが人を汚すのである。』


先日、このような記事を目にしました。外出禁止が続くフランスで精神科医への相談が増えて対応しきれない状況の中で、精神科医師会の声明と称するものです。
「長引く外出禁止の結果、壁や植物に向かって喋る行為は正常であり、相談に来ることはありません。そのかわり、壁や植物が返事し出したらすぐ連絡ください。」


この時・・心の健康を保つのも大変かもしれません。共に、できることで助け合い、祈り、この時を乗り越えていくことができたらと思っています。


外からの脅威は、どんなに深い闇と恐れに満ちたものであっても、それで全てが絶望なのではありません。外からの暗闇がわたしたちの内側を支配すると、恐れたり、悩んだり、傷ついたして当然なのです。それは否定することはできません。それほど、わたしたちの外側からの影響は強く、心をいつでも平安に保つことは難しいのかもしれません。


一番の恐怖は、もしかしたら、コロナウイルスではなくて、人の心なのかもしれません。外側の脅威よりも、人の心から出る恐れや不安や怒りが蔓延しているのです。確かにストレスがあり、先の見えない不安があり、いつでも平常心で愛をもって生きていくことが難しいのかもしれません。


現実は、とても大きな出来事と感じるかもしれませんが、ある意味では、解決の道が必ずあります。神さまに不可能なことはない、と聖書で約束されているのは本当のことです。神さまの手には癒せない傷はありません。嵐を静め、獅子の口をふさぎ、海の中にも道をつくられるのです。


今日は心のエクササイズです。
外からわたしたちのうちに入ってくるあらゆるものがあります。
健全なかたちで外へと出します。


・心配と恐れの風が吹いてきます→私たちの内に入ります。心が騒ぎますね。大丈夫です。その風はわたしたちに吹いているだけで脅かし、絶望に陥れる力はないのです。深い心の部分は神さまの愛で守られています。だれがもその愛から話すことはできません。
「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、・・わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8章38−39節)


・もしかしたら、心身ともに病を経験するかもしれません。→ゆっくりと過ごしましょう。助けを借りましょう。治療に専念します。誰かを恨んだり、自分を責めたりするのはやめましょう。そのままで、神さまは最善のことをしてくださるのです。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』(ヨハネ9章3節)


・喪失、孤独や不安も大きな心の負担となります。その荷物に預け先があります。その荷物、抱え込まなくても、あなたの心に積まなくてもいいのです。
「一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(第一ペトロ5章7節)


一つずつ、ゆっくり心の整理をしていましょう。もし、外から入ってくるあらゆるものを放置しておくと、困ったことに、わたしたちの心を乱し、悪い思い、怒り、嫉妬、暴言に変わってしまうのです。


心の深呼吸をして・・神さまの愛に包まれる日を。

 


 

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4月27日 神さまとステイホーム

おはようございます。
あなたの存在はどれほど大きな喜びでしょうか。


☆今日の御言葉 第一ヨハネ1章3節
『わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたに告げ知らせるのは、あなたがたも、わたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。』


人と人との繋がりの価値を改めて思わされる時です。
愛は、言葉にしなくても心からのつながりで伝わるのですね。
そこには大きな力があり、一人ではないと思えることは、どのような苦しみ中にあっても、生きる力となります。


わたしは本当に微力ながら、このメールを送る一人ひとりのことをいつも思いながら、このようなつながりを通して、思いやりを、心からの祈りを、神さまの絶大な愛を分かち合うことができたらと、かってに思っています。


「神の小屋」という映画を見たことがあります。聖書のみことばに基づいて描かれた作品です。心に深い傷を負い、喪失の悲しみに打ちのめされた主人公が苦しみの意味を求めて、ある時は怒り、神さまの愛を否定し、なぜこの世に不幸があるのかを問い続け、神さまの真実の愛に出会うというストーリです。


そこには、慈愛に満ちたお母さんのような神さまと、真の友情を示されるイエスさま、そして清らかな聖霊の姿をした女の人が登場します。
深く傷ついた主人公は、ある時神の小屋に導かれて、ひととき、この三位一体の神さまと過ごすのです。天国にいるような情景です。


母の愛のような神さまはすべてを受け止めてくれます。そして、この苦しみの中で共に痛み傷ついていることを伝えます。


信頼と愛に満ちたイエスさまは本当の友です。いつもそばに寄り添い、決してその痛みを否定することなく、優しく深く神さまの愛を語るのです。


聖霊は、風のように、野原に咲く花のように、心の不安や重荷をおろさせて、安らかな気持ちにさせてくれます。


神の小屋(神さまの安らぎと愛が満ちる家)でひととき過ごしましょう。


★神さまとともに・・
天の祝福と神さまの深いに愛に包まれています。心の傷も痛みもすべて否定しないでください。問題の解決の方法を探すよりも、深い神さまの愛に包まれる経験を通して、本当の癒しと平安に導かれていくのです。
今日は、つぶやきながら、神さまと心で会話しながら過ごしてみましょう。


★イエスさまとともに・・
横をみるといつでもイエスさまが寄り添ってくれています。何でも一緒にしましょう。食事の時も、散歩の時も、夜空の星を見る時も、少しだけ現実の目を閉じて、心の目でイエスさまを見ていましょう。人の言葉も深く心に受け止めて気にする必要はありません。どんな困難な中にいても、その現実だけを直視する必要はありません。イエスさまから目を離しません。今日は、一人ではありません。何か豊かで優しいイエスさまの温もりの中を歩いて見ましょう。


★せいれいとともに
神さまの愛の風が吹いています。心地よい風です。心は自由になります。重荷に押しつぶされそうになった時にはみことばを思い起こしましょう。
ゆっくりと時間にある時に読んで見てください。このみことばから目を離さないでください。


心に苦々しい気持ちが来た時には静まりみことばの中に身をおきます。
オススメ 2つ
詩篇121編4、5節
「見よ、イスラエルを守る方は、まどろむことせず、眠ることもない。主はあなたを守る方。主はあなたの右にてあなたを覆う陰・・
主はあらゆる災いからあなたを守り、あなたの魂を守ってくださる。」


イザヤ書43章1−2節
「恐れるな。私があなたを贖(あがな)った。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。あなたが水の中を渡るときも、私はあなたと共におり、川の中でも、川はあなたを押し流さない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎もあなたに燃え移らない。私は主、あなたの神。」


繰り返し、繰り返し、今日は、みことばの中ですべての重荷を下ろして、心を休め、神さまと親しくなる日です。