海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

7月19日 かくれんぼうと聖書

おはようございます。
恵みの日、安らぎの日でありますように。


☆今日の御言葉 コロサイの信徒への手紙3章4節
『あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。』


夕方になると家の近所で子どもたちの遊ぶ声がします。「もういいかい〜」「まだだよー」「もういいかい〜」「もういいよ」と呼びかけています。少し時間がたつと「みつけたあー」と元気な声が聞こえます。そして、笑い声が響くのです。


神さまはわたしたちにいつでも愛をもって呼びかけくださっています。神さまの方から近づき私たちを見つけだしてくださるのです。私たちが神さまを探さなくていけないのではありません。神さまが私たちを探してくださるのです。

 

「もういいかい〜」それは、イエスさまの招きの言葉であり、愛の呼びかけの言葉です。わたしたちは時に、かくれんぼうをしているわけではありませんが、寂しさの場所、自分を責めてしまうこと、孤独と不安のところに隠れるようにして過ごすことがあるかもしれません。みことばは、神さまの声です。優しく、強く、耳をすませば聞こえます。


今、自分のいるところの孤独だけを見つめないでください。周りが暗闇に覆われて、何もよいことが見えなくてもそのことで自分を責めないでください。その暗闇の静けさだからこそ聞こえてくる声があるのです。

 

さあ、暗闇から出ましょう。イエスさまの招きの言葉が、私たちを光のあるところへと手を引いてくださるのです。「命であるキリストが現れるとき、キリスト共に栄光に包まれるでしょう。」


エスさまが現れるとき、どのような栄光に包まれるのでしょうか


・心の窓を開け
自分の心の中は狭い空間です。自分の考え、人の思い、そのような壁に囲まれた小さな部屋です。その中で良いものを見いだせるかどうかと一生懸命です。狭い思い、今までの経験という枠組みの中に今があります。心の家の窓を開きましょう。イエスさまの声が聞こえてきます。私たちを抱き上げて、神さまの御手に抱いてくださいます。広い祝福の世界、神さまの愛の満ちているところに生かされているのです。


・心の目が開かれ
たくさんの痛みがあります。恐れの嵐が吹いています。どこにも希望が見えないと思うような現実があるかもしれません。神の国は、現されています。どこにあるのでしょうか。静まり、立ち止まる時に見えてきます。「心の目を開いてください」と祈ります。現実ことだけで心をいっぱにしません。心の目が開かれると、神さまわたしたちの周りに小さくもあり大きな恵み、豊かな配慮をしてくださっていることを知ります。感謝と思うことをたくさん見つけることが生きる喜びなのです。


・命の祝福に生きる
私たちの究極の恐れは、死であるかもしれません。死は、私たちの人生を暗闇に閉じ込めてしまうものと思うかもしれません。この闇の力は、私たちの力ではどうすることもできません。打ち勝つことができない現実が最後に待っているのです。イエスさまはその暗闇の支配から祝福の命へと救うために今日、私たちに近づかれるのです。自分の手にある功績や勝利ではなくて、神さまが私たちに勝利を与えてくださることを思う時、真の安らぎが訪れるのです。


「もういいよー(見つけに来てください)」と神さまに呼びかけましょう。
それは「わたしを今日栄光に包んでいてください」という祈りなのです。


共に神さまを礼拝しましょう。

 

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7月18日 家を神さまの愛で満たす方法

おはようございます。
神さまの一番のよろこびはあなたの存在です。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書12章3節
『その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。』


私たちの今日の日は、どのような日になるでしょうか。ある人は病の中におかれ、ある人は喜びに満たされています。ある人はうなだれ、ある人は傷ついてます。現実はすぐに変えることができなくても、今の瞬間、神さまの愛が風のように吹いてきてその場所を満たすことがあります。


エスさまは十字架の道に歩み、暗い現実、人々の悪意や嘲りの中にいました。深い暗闇の霧が立ち込めているようでした。しかしベタニアという町のある人の家には、愛が満ち溢れていたのです。


この家には神の国の静けさ、神さまの愛の満ち満ちた喜びが広がりました。現実の暗闇の支配にも負けないほどの、天の栄光と喜びで満ちていました。愛があり、喜びがあり、祝福がありました。


今日、私たちの生活にも神さまの愛の豊かさを経験することができます。大きな神の国の平安が私たちの今いる場所に、そして周りに、神さまにある喜びが川の流れのようになって広がっていくのです。


家(生活の場)を神さまの愛で満たす方法


1、価値観を少し変えてみる
私たちの価値観はそれぞれ違います。その価値というのは、何を大切にしているか、ということに関係しています。どんなに正しいことであっても、時には人や人生を狭く限定的な思いで見てしまうことがあります。狭い価値観は、周りにいる人の生きる喜びを奪ってしまうのです。


マリアは純粋で非常に高価な香油を手にしました。この価値は豊かで、富をもたらすものです。ずっと手の中においておきたいものです。マリアは、自分の手の中にあるものをイエスさまにささげました。委ねました。思いも心も自分自身の中にあるすべてを握りしめることから自由になる時、神さまの愛がその場所に豊かに動くようになります。


2、礼拝する心
マリヤは、イエスさまの足もとに行きました。そこには、神さまを礼拝する心、仕える思いがありました。仕える心は、決して我慢や、義務ではありません。自由で心が神さまの愛で満たされるのです。イエスさまの足もとにいるように過ごします。決して何かを動かそうとせず、委ね、周りにいる人たちを愛します。


3、祝福を信じる
家は、香油の香りでいっぱいになった・・。その香りはそこにいる人たちに安らぎを与えたことでしょう。癒しの雰囲気、何事も慌ただしく動いていない静けさ、イエスさまの愛のほほえみが光のように輝いている場所になりました。祝福を信じる心のそばに、心地の良い雰囲気が生まれます。「あなたがそのままでいることが素晴らしいと」と思う人の周りに愛が満ち溢れます。家族の一人ひとりが祝福されます。神さまの愛の御手の中で守られます。


祝福を祈る場所には、聖霊の風が吹いているのです。


今日は祝福を信じて歩みましょう。

 

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7月17日 たとえそうでも喜びます

おはようございます。
思わず笑顔になるような出来事が今日ありますように。


☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙2章17節
『たとえ、あなたがたの信仰のいけにえと奉仕の上に、私が供え物として注がれるころになったとしても、私は喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。』


ニューヨーク大学医療センターのリハビリテーション研究所の壁に「苦難の中にある者たちの告白」という詩が掲げられています。


「大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった。より偉大なことができるように健康を求めたのにより良きことができるようにと病弱を与えられた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。・・私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。」(一部抜粋)


この詩を書いた人は、苦難と思える人生を歩みました。願いはたくさんありました。それがどんなにより良い目標であっても、思うようには実現しませんでした。力を求めても弱さがあり、健康を求めても病弱がありました。不幸と思えるようなことをたくさん経験したのでしょう。どんなに大きな悲しみであったでしょうか。


フィリピの信徒の手紙を書いたパウロもとても苦労をした人です。
思い通りにならない現実を経験しました。労苦は報われませんでした。


しかしパウロは、いつでも、恵みの世界が開かれる扉の鍵をもっていました。この鍵を使うと、不幸と思えることが幸福となり、不満足となることが豊かな心の平安となり、自分の思い通りにならなくても、それ以上にその生涯に豊かな深い喜びを与えてくださる神さまを経験することができるのです。


私たちの生涯を恵みで満たすキーワードは、それは「たとえそうでも喜びます!」です。


行き詰まり、八方塞がりの現実かもしれません。何かを恐れていたり、こうなったらどうしようと神さまにお祈りしながらも後ろ向きな気持ちになっているかもしれません。それは、もうそうなったら・・嫌だと考えると強い拒絶感が心の負担とストレスになっているからです。


もしそうなったら・・最悪な状況になるのではなくて、そこにこそ神さまの深い恵みは現されます。大逆転と思える出来事が起こります。


たとえ・・弱さが与えられても、病弱になることがあっても・・・(深く祈りの深呼吸をしながら)・・喜びます。


ここから新しい神さまが生きて働く恵みの世界が開かれていくのです。

 

今日は、「たとえそうでも喜びます!」で行きましょう。
力強さ、平安、信仰の喜びを経験することができます。

 

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7月16日 必ず、護る!

おはようございます。
過去も未来も今も神さまの手の中にあります


☆今日の御言葉 イザヤ書55章8−9節
『私の思いは、あなたがたの思いとは異なり、私の道は、あなたがたの道とは異なる。ー主の仰せ。天が地よりも高いように、私の道はあなたがたの道よりも高く、私の思いはあなたがの思いよりも高い。』


テレビ朝日でBG〜身辺警護人」というテレビドラマが放映されています。最近はあまりテレビを見なくなりましたが、好きなドラマの一つです。このドラマの中で印象的な場面があります。木村拓哉がボディーガードとなってあらゆる危険に立ち向かい依頼者である人を護ります。その中で、身辺警護人が互いに時計を合わせる場面があります。「誤差、なし!」という合言葉とともに、任務が始まります。1分、1秒が命取りとなる状況があるので、最初にまずは時計が合っているか確認するのです。


神さまは、今日の私たちを身辺警護人のように、それ以上に深く状況を見据えて、一つひとつを護っていてくださるお方です。どのように神さまの助けを感じることができるでしょうか。どのように私たちは日々、神さまが共にいてくださる豊かに実感することができるでしょうか。


神さまの「時」とわたしの「時」という時計を合わせてみます。誤差がないようにしてみます。その時に、神さまの護りを豊かに、そして神さまの絶大な愛を知ることができて、心は安心します。


・私(神さま)の思い・・
神さまの思いがあります。神さまという存在は、人間がつくった偶像のような姿ではありません。神々しい姿や、大きな造形物ではありません。姿ではなく、「思い」があるのです。その思いや優しさであり、真実であり、命を捨てるほどの愛です。


神さまは、私たちが希望の道に歩むことができるように、救いの道に生きることができるように願っています。良いことを与えたいと思っています。これほどの思いが私たちの今日の日を守っているのです。俯くこともあるかもしれません。より良いことを考えることができないこともあるかもかもしれません。私の持っている時計は、正しい時を示していないことがあるのです。神さまの愛にぴったりと合わせると、豊かで深い安心、限りのない愛、尽きることのない喜びが溢れていることを知ることができます。祝福が必ずあります。


・あなたがた(自分)の道・・
私たちは、自分の道にこだわりすぎることがあります。自分の道だけを見つめて、他の人の道との比較が基準となってしまっています。自分の道にある不幸や痛みを経験することがありますか。歩きづらいと思ってしまうことがあるでしょうか。瓦礫の中の道をかき分けるように、たくさんの重荷や心配が山積みされて、それらのものが崩れ落ちているかもしれません。その自分の道を歩き続けたら、疲れ果て、怪我をしてしまいます。すべての問題が整理できなくていいのです。良い解決方法があります。


・高い道・・・
自分の道から階段を上がるように、天を仰ぎ見るように、私の思いをみことばの時に合わせます。具体的には、一つの問題、一つの課題の解決の方法を自分の道、自分の時間(考え)によって思い巡らすのではなくて、みことばを求めます。「神さま、今日必要なみことばを聞かせてください」「この課題を乗り越える必要な知恵をください」と祈ります。


神さまの思いは、聖書の中に満ちています。1日、1日、一歩、一歩ゆっくりで大丈夫です。私の思いが、神さまの思いとぴったりと合う時に、その問題は速やかに解決に向けて、最善の結果に向かって動いていることを知ることができます。神さまの思いに合わせるならば、私たちは、もう心配したり、恐れなくて大丈夫なのです。


あなたを必ず、護る。命をかけてあなたの一生を祝福する。神さまの大きな愛に守られた今日の日でありますように。


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7月15日 三、三、七拍子で歩む日

おはようございます。
好きな歌を口ずさみ、良い日でありますように。


☆今日の御言葉 テモテへの手紙第二 2章19節
『神の堅固な土台は揺るぎません。そこには、こう刻まれています。「主はご自分の者たちを知っておられる。」また「主の名を呼ぶ者は皆、不正から離れよ。」』


「三・三・七拍子」という軽快なリズムがあります。スポーツなどで応援する時に掛け声とともにこのリズムが鳴り響きます。この「三・三・七拍子」は、最初は、言葉であったそうです。


「勝った方がいい、勝った方がいい、勝った方がいいったら、勝った方がいい!」この掛け声が、手拍子だけになったようです。誰かに応援されるというのは、勇気が出てきます。とても嬉しいものです。


神さまは、いつでも、私たちのそば近くで応援してくださっています。
みことばはいつでも、私たちに声をかけて、今日の日を守ってくれています。
神さまの「三・三・七拍子」を聞きましょう。


三、土台はしっかりしている!
皆が同じ道を歩くのではありません。それぞれに神さまが導く美し人生の風景があります。一人ひとりに特別に用意されている神さまとともに歩く人生です。私は、恐れていてもいいのです。私は弱さを抱えていても問題はありません。自分で何かを成し遂げようと思わなくても、神さまという堅固な土台をいつでも確認します。その土台には、神さまの愛があり、赦しがあり、希望があるのです。自分の思いという土台が崩されてしまうと思うときこそ、みことばが私たちの人生の道をしっかりと支えて、力となってくれます。


三、あなたを一番よく知っている!
知られているというのは、深い愛情表現です。「主はご自分の者たちを知っておられる」自分を一番よく知っているのは、自分だと思います。なぜなら、生まれてからずっと自分とともに生きてきたからです。でもそれは真実ではありません。神さまは私のことを一番よく知っていてくださるのです。自分の願いが実現することが一番の自分の幸せと思っています。そして、それが満たされない時には不幸と感じてしまいます。神さまは私の道をよく知っています。それは、思いとは反対のことが与えられるかもしれません。忍耐し神さまを信頼しながら歩みます。神さまを喜ぶ恵みの出来事を一人一人に備えているのです。


七拍子、主の名を呼び求めよう!
主の名を呼ぶときに、神さまは助けてくださいます。悪いものから、絶望から、暗闇の悲しみから、離れさせてくださいます。八方塞がりになることがあっても、いつでも天の窓が開かれています。主の名を呼び求めるならば、新しい世界が開かれます。私たちに与えられている一つの知恵は、問題の処理や事柄の原因を追求することを最優先するよりも、天の開かれた窓から、注がれる神さまの愛、知恵、真実、希望、憐れみを手にして歩むことの方が、問題解決の最短の道となるのです。みことばの中からいつでもその知恵は注がれるのです。


三、三、七拍子・・天から応援歌が届いています!
 

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7月14日 雨でも心を晴れにする方法

おはようございます。
雨が続きますね。神さまが傘をさして守ってくださるような日でありますように。


☆今日の御言葉 詩篇1編2−3節
『主の教えを喜びとして、その教えを昼も夜も唱える人。その人は流れのほとりに植えられた木のよう。時に適って実を結び、葉も枯れることがない。その行いはすべて栄える。』


今、どのような場所に立っていても、今、何を経験していても、良いことに導かれ、解決される道は必ずあります。


起きている状況や環境がとても困難で、難しい問題を抱えることがあっても、その出来事を複雑してしまうか、祈りをもって一つひとつ整えられて歩むか、私たちの意識によって変わることがあります。
心はいつも神さまの光に照らされ、輝き続ける道があります。


その道にはいつでも「re」・・「再び、再生、回復」という言葉がキーワードとなります。


リペント(repent)向きを変える
神さまのもとに共に行きましょう。その場所は、豊かな川が流れるほとりです。背負ってきた荷物を降ろして、座ります。周りを見ると、花が咲き、川が流れ、鳥がさえずっているのです。何も私たちを脅かすものはありません。焦って何かをしなくてもいいのです。喧騒や慌ただしさ、この世の情報から吹き込む、恐れや心配の風、そこにずっと立っていると、気力を失ってしまいます。豊かな平安な場所は、神さまのもとにあるのです。


リメンバー(remember)思い起こす
豊かな流れのほとりに腰を下ろしたら、私たちは、自分自身の本当の姿を見つめます。立場や役割によって自分を見ることではありません。人の期待や、プレッシャーを通して人生を見るのでもありません。神さまの恵み深さを思い起こします。苦しみの時、どのように神さまは助けてくださったでしょうか。立ち上がれないと思う時、どのようなみことば私の支えとなったでしょうか。幸せなこともたくさん思い起こしてみてください。


リトリート(retreat)静まる
みことばを繰り返し、どんな時にも口ずさむようにして歩む時、本当の静けさと平安が私たちの今に訪れます。神さまの限りのない愛の安らぎが生活に満ち溢れるようになります。静まりは、今日を生きる力となります。静まり、立ちとまることで、神さまにそのままで愛されている実に美しい私の姿をみるのです。


リフレッシュ(refresh)回復する
良い時は必ずやってきます。それは、自分の一番良いと思うタイミングではありません。神さまは私たちの人生を見つめています。私の喜び、私の楽しみ、私の祈りを聞いてくださっているのです。その時に、流れのほとりに植えられた木のように、時にかなって実を結び、その葉は枯れることがありません。聖書の中にある「栄える」というヘブライ語の言葉は、「貫く」という意味があります。一つのことを祈り貫くならば、良い結果が待っています。


元気を回復し、梅雨でも心は神さまの愛で晴れていますように!
 

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7月13日 もう苦しまないで…

おはようございます。
静けさ、弱さの中でこそ、神さまの声が届きます。


☆今日の御言葉 ルカによる22章42、43節
『父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。(すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた)』


国立西洋美術館にジュルジュ・ヴァザーリの作品で「ゲッセマネの祈り」という絵画が展示されています。
エスさまは、十字架につけられる前に、このゲッセマネという場所で苦悩の祈りをしました。


その絵画には、3つの場面が深い信仰的な意味を示すために描かれていると言われています。


それは、イエスさまが経験した苦しみであり、この世にある3つの苦しみの意味をあらわしています。


・一つ目の場面は、苦悩の祈りささげているイエスさまを天使が力づけている場面です。
エスさまは十字架を背負いました。私たちのために罪を担ってくださったのです。
この十字架は杯と表現され、「この杯を私から取り除けてください」と思ってしまうものです。
私たちの日毎の重荷、課題があります。この問題を取り除けてください、と願うものがあります。
神さまの助けはその苦しみ中に与えられます。十字架の道に神さまの力強い業が現されるのです。
(天使は苦しみの人に近づき、力づけてくれるでしょう)


・二つ目は、イエスさまを十字架につけるためにユダと群衆が押し寄せる場面です。
エスさまは、人間関係の裏切り、痛みを経験しました。
人間関係の傷、この世の圧政に苦しむ人々の友なるイエスさまです。
神さまの御心の道には、この世の苦悩と人間関係の痛みのトンネルを通ります。
それは、暗闇でしか経験することのできない神さまの守りがあるからです。その道は栄光に続いているのです。


・三つ目には、イエスさまのお弟子さんたちが眠っている場面です。
神さまに従いたいと思っても、目が閉ざされて、本当に大切なことを見ることのできないことがあります。
欲望やこの世の闇に打ち勝つことができません。自分自身を責め続けないでください。
エスさまは、豊かな信仰を与えてくださるお方です。
私たちがたとえ不信仰でも、神さまの真実はいつでも私たちを守り、変わることがないのです。


苦しみは栄光となります。人間関係の悩みは、神さまの慰めとなります。
私たちの目が本当に大切なことを見失っても、イエスさまは私たちを見放すことはないのです。


もう苦しまなくて大丈夫です。イエスさまが今日も私たちのためにとりなし祈っているからです。


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