海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

4月26日 聖書にやる気スイッチあります

おはようございます。
大丈夫ですか?祈られている人は必ず守られます。


☆今日の御言葉 エフェソの信徒への手紙5章18−20節
『霊に満たされなさい。互いに詩と賛歌と霊の歌を唱え、主に向かって心から歌い、また賛美しなさい。いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい。』


やる気スイッチという言葉がありました。わたしたちが何かをしたいと願う時、今日を生きる時、誰かのために自分の手を差し出す時の原動力となるものです。


なかなかやる気スイッチが入られない時があります。でも突然、何かのタイミングで、自分のモチベーションが上がり、意欲的に取り組むこともあります。毎日の自分の心の中にあるあらゆる感情や感覚が違うので、その日、その時の取り組み方が違うのです。


神さまはある時、イエスさまのお弟子さんたちとそこにいた人々に、やる気スイッチを押しました。見事に変えられました。信じられないようなことです。人が変えられるということが一瞬で起きたからです。


それは、昔の特別な事情があったということではありません。今でも、そして今日、わたしたちの上に神さまが生きて働いてくださっているのです。やる気スイッチが押されるように、神さまを賛美し、喜び、歌い、感謝する心が生じるのです。


聖書のやる気スイッチの鍵は、「聖霊」(せいれい)です。


聖霊は風のように激しく吹きました(使徒言行録2章2節)。風が吹くと、落ち葉が吹き飛んでしまうように、心に積もった悩みも恐れも吹き飛んでしまいます。


実は、私たちの内にある感情、憎しみや嫉妬や怒りというものも、軽いものなのです。わたしが単に作り出しているだけなのです。現実の課題は確かに重くても、私たちの内の恐れの重さはコントロール可能なのです。


みことばから神さまの愛の風が吹いてきます。委ねましょう。力を抜いて、何事にも固執したり、自分の感情だけに留まるのを終わりにしましょう。祈り、委ねた思いでこの現実に向き合います。

 


聖霊は炎のように一人ひとりの上にとどまりました(使徒言行録2章3節)。それは、聖なるものと、悪しきものを分ける炎でした。悪いものを焼き尽くし、罪を赦し、本来の自分の姿、神さまに愛され、毎日慈しみの眼差しで守られている、一人ひとりであることを知らせてくれます。


自分の課題と人の課題はみな違うものです。その人に寄り添い祈ることができても、人の課題を負う必要はなく、自分の課題を誰かに押し付けることはしなくていいのです。


一人ひとりの上にとどまった炎によって、自分のなすべきこと、やるべきこと、課題に集中して生きていくことができるのです。


聖霊は、夢を見させてくれます(使徒言行録2章17節)。神さまの愛に触れると、人は夢を見るようになります。それは、自分自身が幸福のためになるだけの夢ではありません。夢はいつ見るでしょうか。眠る時、この世の現実の目を閉じて、夜にまだ朝が来るその前に、心に抱く希望の風景があります。


わたしの友人が「ドリーマー」という賛美を作詞、作曲しました。
とても素敵な賛美です。


「あなたには全てができること、あなたはどんな計画も、
 成し遂げられることを私は今知りました。
 悲しみや痛みを抱えては、何かを諦めていたけれど、
 主の真実が、主の憐れみが、今私を変えていく。

 

 明日がたとえ見えない夜も、御言葉の約束を握って歩こう。
 夢を見よう。あなたと生きるこの道は約束の未来へ続いている。」


聖霊の風が今日吹いています。
一人ひとりに神さまの愛の炎がとどまっています。
夢を見ましょう。みことばの約束を握って、賛美しましょう、

4月25日 神も仏もない??

おはようございます。
「今、ここが」充実していれば、人がどうであろうと大丈夫です^ ^


☆今日の御言葉 イザヤ書45章15−16節
イスラエルの神、救い主よ、まことに、あなたはご自分を隠される神。」


神さまは、どこに隠れているのでしょうか。
現実の様々な出来事を見ると、どこに救いがあるのだろうかと思うことがあります。


神さまは清く美しいお方であるので、きっと、この世もわたしの生活の課題も、きれいに整え、求めた祈りのすべてはわたしの思う完全なかたちで実現し、すべては心地の良い平和な社会が実現することを願うかもしれません。


とても理想的な人生を実現してくれたら、わたしたちは神さまを信じるかもしれません。


しかし、この世はあまりに痛んでいます。人々の苦しみ、果てしない暗闇、この世にも人の心にも、わたしの心にも良きものを見ることが難しいことがあります。
神も仏もない・・と言う人もいますね。


エスさまは、十字架につけられました。その当時、人々の目には神の子の姿には見えませんでした。神々しい姿ではありません。人々は、希望や愛の中に神さまを見い出したいと思いましたが、平和や喜びの中で神さまを見ることができませんでした。

 

エスさまの十字架のなかに誰が神さまを見たでしょうか。しかし、そこに神さまがおられました。神さまの栄光がありました。イエスさまは、苦しみと一つになりました。
痛みの現実とまったく一つとなる場所にいるのです。


神さまは、苦しみのただ中にいます。わたしとあまりに近くに、そして一つとなっているので、神さまが一緒にいてくださると思えないかもしれません。


喜びの中に神さまを感じるよりも、痛みの中でこそ深く慰めに満ちたイエスさまに出会うのです。平和の中だけではなくて、不安と苦しみの中でこそ、イエスさまがあまりに近く、寄り添い、癒し支えてくださっていることを見るのです。


そして、この痛みのキリスト、沈黙していると思ってしまう神、その理解を深めていく時に、わたしたちの心に願いや問いが生まれます。


「なぜ、苦しみがあるのだろうか」「神はいるのだろうか」「人生はどうなるのだろうか」
「助けてほしい」「守ってほしい・・」
心の渇きが生じるのです。それが祈りの原型です。祈りが心が生まれる瞬間です。


その時こそ、内なるキリストの声を聞くのです。
「わたしは苦しみの中にともいる。あなたを覆う暗闇は光に照らされる」
絶望の中でこそ聞こえる、イエスさまの声に出会うのです。
みことばに出会うのです。


神さまは今日共に生きています。痛みの現実の中でともに痛んでいます。


そして、やがて、見事に私たちは、苦しみから立ち上がらせてくださるのです。
どんな暗闇の中にあっても、神さまの愛が勝利するのです。


 

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4月24日 実に豊かな人生

おはようございます。
何をしたかではなく、今日生きていることが素晴らしい!


☆今日の御言葉 マタイによる福音書6章33節
『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。だから、明日のことを思い煩ってはならない。』


みなさんの大好きな果物がたくさん実っている木があるとします。その果物は、ものすごく甘くて美味しくて、今まで食べたことのないような味わいです。その果物が欲しい時には、その木の持ち主のところにいって、その実を買うか、もらうしかありません。


あまりに美味しいので、毎日食べたいのです。だから毎日出かけて行って、その実を買う必要があります。


でも、どうでしょうか。想像してみてください。その木を自分の所有物とすることができたら、その実はすべてあなたのものです。


神の国は、イエスさまがこの地に来てくださった時に、大切な人生の一人ひとりの近くに与えられました。神の義という果物がたくさん実っている、祝福の木を植えられたのです。


神さまの祝福を求めるために、良い行いを差し出す必要はありません。
自分の功績と引き換えに神さまの救いをいただくということでもありません。


祝福の木は私たちの人生の近くにあり、そこからいくらでも実を味わい、手にとり喜ぶことができるのです。愛が必要でしょうか。手にとることができます。安らぎを得たいでしょうか。赦しも慰めもたくさんの義の実が実っています。求めるならば与えられるのです。


幾つでも、溢れるほどに、両手でも抱えきれないほどの実が満ちるのです。
空の手で求めます。神さまの愛の中で祈ります。


わたしは、自分の心に誇りという木を植えて、そこから実を食べようとしていました。名誉という木も魅力的でした。賞賛や成功も見栄えが良いものでした。たくさん求めるものがあって、人生が複雑で、混沌としていました。どれも自分の人生には必要だと思っていたのです。

 

神さまが私たちの人生に与え、見させてくださる人生はどのようなものであったでしょうか。
実は、ものすごくシンプルで豊かなものなのです。たくさんのものが必要ではありません。


わたしは、緑の牧場にいる羊のようです。本当は小さくて迷いやすい存在ですが、羊飼いのイエスさまに愛されています。その牧場は、神の国の豊かさが満ちています。


たくさんの美味しそうな実がなっている木があります。愛も喜びも平安もあります。それを必要な時に、手を伸ばして味わうことができます。近くには、きれいな、きれいな川が流れています。飢えることも乾くことのない大地です。神さまのみことばが尽きることなく、渇くことなく、毎日豊かに流れ出ているのです。


私たちは、目を閉じて、心を開く時に、この神の国の風景の中で生かされ、神の義の実を味わうことができます。


この日、1日、明日のことは心配せず、豊かに満たして与えてくださる神さまの愛の風景の中を一緒に歩きませんか。
 

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4月23日 感謝で心は守られる

おはようございます。
私たちの愛するものに、私たちはしだいに似てくるようです。


☆今日の御言葉 創世記7章16節
『入ったのものは、すべての肉なるものが雄と雌であった。神がノアに命じられたとおりであった。そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。』


「おうちですごそう」と言われている時ですね。大勢の中から小さな家族の単位で、喧騒の中から互いの愛の中で、評価や成果によって生きるところから、そのままの存在が尊ばれる中へ、私たちは今大切なことを教えられている時期なのかもしれません。

 

今日はノアの箱舟のお話です。
ノアの時代とわたしの心を見つめます。


暗闇の地の扉は閉じられて、新しい世界の扉は開かれました。

 

自分の心を見つめ、神さまの守りの中に入りましょう。

 

・心に計ることが常に悪に傾いていた(創世記7章5節)
 わたしは、少しでも愛を、誠実さを、人格の豊かさを示し、評価されて歩いていきたいことがあります。しかし、本当は心に計ることが常に悪に傾いてしまうのです。
 わたしたちは、自分の心のあり方に固執することをしません。自分の誠実さで生きることを諦めます。心を見つめ、イエスさまに助けていただき、わたしの心は時間がかかっても、神さまの愛の御言葉で整えら、変えられていくのです。
ノアの箱舟は自分を諦める船でした。


・地は神の前に腐敗し、地は暴虐で満ちていた(創世記7章11節)
 良いお話ではりません。この地は、世界は、社会は良い方向に行くことを期待しています。人の努力の可能性を信じています。しかし現実は厳しいようです。ノアの時代は、今から何千年もまえの時代ですが、今の時代にも通じています。地は暴虐で満ちています。本当に正しいことは失われているでしょう。痛みのある人に寄り添うことができず、耳や口を閉ざしている者です。神さまの前に悔い改めます。
ノアの箱舟は悔い改めの船でした。


3 すべてのものは息絶える(創世記7章17節)
 人間の力は無限ではありません。どうな成功も、名声も名誉もこの世で価値をもたらしても、やがて人々の記憶から消し去られます。健康も右肩上がりに良くなるわけではありませんし、体力や気力の健康も長続きしないことがあります。神さまは命の箱舟に一人ひとりを招いています。呼びかけています。滅びの地に生きるものを、恵みと救いの箱舟へと、その扉を開いています。今、今日、わたしたちは、この神さまのもとに行きましょう。
ノアの箱舟は救いの船でした。


☆最後には、虹が見えました。
「私は地の上に雲を起こすとき、雲に虹が現れる。その時、私は、あなたがたと、またすべての肉になる生き物と立てた契約を思い起こす。大洪水がすべての肉なるものを滅ぼすことはもはやない。」(創世記9章14節)


はこぶねの中でゆっくりと自分を見つめ、神さまを見つめる日でありますように。
 

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4月22日 はこぶねですごそう

おはようございます。
私たちの愛するものに、私たちはしだいに似てくるようです。


☆今日の御言葉 創世記7章16節
『入ったのものは、すべての肉なるものが雄と雌であった。神がノアに命じられたとおりであった。そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。』


「おうちですごそう」と言われている時ですね。大勢の中から小さな家族の単位で、喧騒の中から互いの愛の中で、評価や成果によって生きるところから、そのままの存在が尊ばれる中へ、私たちは今大切なことを教えられている時期なのかもしれません。

 

今日はノアの箱舟のお話です。
ノアの時代とわたしの心を見つめます。


暗闇の地の扉は閉じられて、新しい世界の扉は開かれました。

 

自分の心を見つめ、神さまの守りの中に入りましょう。

 

・心に計ることが常に悪に傾いていた(創世記7章5節)
 わたしは、少しでも愛を、誠実さを、人格の豊かさを示し、評価されて歩いていきたいことがあります。しかし、本当は心に計ることが常に悪に傾いてしまうのです。
 わたしたちは、自分の心のあり方に固執することをしません。自分の誠実さで生きることを諦めます。心を見つめ、イエスさまに助けていただき、わたしの心は時間がかかっても、神さまの愛の御言葉で整えら、変えられていくのです。
ノアの箱舟は自分を諦める船でした。


・地は神の前に腐敗し、地は暴虐で満ちていた(創世記7章11節)
 良いお話ではりません。この地は、世界は、社会は良い方向に行くことを期待しています。人の努力の可能性を信じています。しかし現実は厳しいようです。ノアの時代は、今から何千年もまえの時代ですが、今の時代にも通じています。地は暴虐で満ちています。本当に正しいことは失われているでしょう。痛みのある人に寄り添うことができず、耳や口を閉ざしている者です。神さまの前に悔い改めます。
ノアの箱舟は悔い改めの船でした。


3 すべてのものは息絶える(創世記7章17節)
 人間の力は無限ではありません。どうな成功も、名声も名誉もこの世で価値をもたらしても、やがて人々の記憶から消し去られます。健康も右肩上がりに良くなるわけではありませんし、体力や気力の健康も長続きしないことがあります。神さまは命の箱舟に一人ひとりを招いています。呼びかけています。滅びの地に生きるものを、恵みと救いの箱舟へと、その扉を開いています。今、今日、わたしたちは、この神さまのもとに行きましょう。
ノアの箱舟は救いの船でした。


☆最後には、虹が見えました。
「私は地の上に雲を起こすとき、雲に虹が現れる。その時、私は、あなたがたと、またすべての肉になる生き物と立てた契約を思い起こす。大洪水がすべての肉なるものを滅ぼすことはもはやない。」(創世記9章14節)


はこぶねの中でゆっくりと自分を見つめ、神さまを見つめる日でありますように。
 

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4月21日 あなた自身を大切に

おはようございます。

神さまに愛されるために今日があります。


☆今日の御言葉 詩編16編11節
『命の道を私に示されます。御前には満ち溢れる喜びが、右の手には麗しさが永遠にありますように。』


今朝は、軽井沢をランニングしました。海老名のですが・・。毎朝、海老名のハワイを走ったり、海老名の箱根もあります。心は自由に世界を走っています。現実は変えることができませんが、私たち自身の中では変えられるものがたくさんあります。


心のままに、自分を大切に生きています。周りにある困難さは、私たちの大切な人生を不幸にするものではありません。人の態度や振る舞いも、その人自身の問題も大きく、自分を責めたり憂いたりしなくていいのです。


今日のみことばは、深い喜びの詩篇です。苦しみや痛みの中で書かれました。不自由や理不尽なことを抱えていても、まっすぐに生きようとする姿を見ることができます。心が神さまの愛の盾で守られています。闇に覆われることのないように、光である神さまのそばにいつも留まります。

 

もう迷うことはありません。今日、みことばの中で静まりましょう。


1、神さまは、命を道を示されました。
もう起きている事柄に動揺したり心配しなくても大丈夫です。人の期待にすべて答えることはできません。人の思いを満たすことが人生の中心ではありません。神さまが、1日今日、生きる道、大切な使命、なすべきこと、祈りを導いてくださっています。


3、神さまのそばには満ち溢れる喜びがあります。

他の人が満たしてくれる喜びではありません。誰かの評価や言葉によって承認される喜びでもありません。そのままで、何も手にしていなくても、何も成し遂げることができなくても、傷つき、悩み、心渇く一人ひとりを慈しみ、愛し、心を十分に満たしてくださる神さまのもとに歩みます。


2 神さまの手には力と麗しさがあります。
私たちの人生は変えられます。家族は変えられ、わたしたちの祈りは聞かれ、神さまご自身が豊かない働いていてくださる恵みの世界に生きています。もう、自分で何かを変えなくてはと、疲れながらもがんばる必要はありません。現実の変えられないものは、わたしの心を神さまに変えていただきましょう。変えられるものは、祈りつつ、すべてを神さまに委ねましょう。空の手で神さまをたたえましょう。


神さまは、あらゆる状況、環境、人を通して、私たちをより良く造り変えてくださるのです。
感謝を神さまに、愛を人々に祈りと共にささげましょう^ ^
 

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4月20日 心のビタミン・4種類

おはようございます。
新しい日、きっと新しい神さまの恵みがあります。

☆今日の御言葉 テモテへの手紙2章15節
『あなたは、適格な者、恥じることのない働き手、真理の言葉をまっすぐに語る者として、自分を神に献げるよう努めなさい。』

この時期は、春の日差しが心地よく、花は綺麗に咲き、爽やかな風が吹いています。今の私たちはどうでしょうか。季節の変わり目は、心身のバランスの崩しやすい時でもあります。神さまの愛で心を見つめてみませんか。御言葉の日差しで、心を照らしてみませんか。今日も共におられるイエスさまによって心のバランスをもとに戻しましょう。

心に4つのビタミンを(AからD)

1、あなたは適格者です。
 自分ではそう思えない時があります。不適格という烙印が心にはしっかりと刻まれているようです。この烙印は誰が押したのでしょうか。他の人かもしれませんし、自分自身であるかもしれません。神さまは、今日、不適格の烙印を消し去り、「尊い神の子」の烙印を押してくださっています。神さまは私たちを心配し、日毎の糧、御言葉の恵みを満たしてくださっています。
心のビタミンA → 今日は、好きな美味しいものでも食べましょう。

2、あなたは恥じることのない働き手です。
自分を恥じてしまうことがありますか。誰でも完璧に生きることができません。自分のプライドや理想が逆に恥を強くしてしまうことがあります。自分で自分を追い詰めてしまうことがあるのです。だれも誇らず、自己否定することなく、今日、神さまに生かされ、御言葉に示される一つの使命を果たし、その小さな自分すら今ここに大切に存在していることを感謝しましょう。
心のビタミンB → ちょっとした時間に花や自然の中を歩きましょう。

3、あなたは真理の言葉をまっすぐに語る人です。
まっすぐな道に歩くことは結構大変です。まっすぐ足を進めていても、体は傾き、少しずつズレてしまうことがあります。神さまは、いつでも後ろから囁くように、御言葉から歩む道を一歩一歩教えてくれます。迷う時にこそ御言葉は語られます。つまずく時にこそ立ち上がる力を備えてくださるのです。ただこの道を一緒に歩きましょう。
心のビタミンC → 私たちは孤独ではありません。だれかとの繋がりを大切にしましょう。

4、自分を神さまに献げます。
こんな小さなものを喜んでくださるのでしょうか。神さまの愛の手は、私たちの人生のすべてを包んでいてくださっています。委ねるならば、喜んで神さまは、その祈りを聞いてくださり、良いことをしてくださいます。献げることは、自分の中から何かが失われて不足することでもありません。自由になることです。固執やこだわりから離れて、私の人生のすべてが神さまの手によって守られます。
ビタミンD → 自分にとってのクオリティータイム(至福な時間)をもちましょう。

心にたくさんの栄養を、人生にたくさんの恵みを、いつもお祈りしています。

※昨日4/19の海老名シオンの丘教会主日礼拝のメッセージ録画動画です。
 (お時間のある時に・・)
Youtubehttps://www.youtube.com/watch?v=UkmtkreYxQk