おはようございます。
☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二 5章7節
『私たちは、直接見える姿によらず、信仰によって歩んでいるからです。』
ウイルスは目に見えないので、いろいろと気をつけながら生活されていると思います。このウイルスは、わたしたちの生活を一変させてしまいました。人々の心に与えたダメージも大きいと思います。本当に祈っています。
もう一つ、目には見えませんが、私たちに本当の喜びと希望を見つめさせてくれる信仰があります。ぜひ、このことに私たちは目を留めて、今日の日を心健やかに歩きたいです。
ウイルスも信仰も同じように目に見えないものですが、一方では恐れと病を、もう一方は命と喜びを与えるものです。
ウイルスはどのように私たちの体内に入るでしょうか。
そして、信仰はどのように私たちの体内に入るでしょうか。
創世記に一つのヒントがあります。
創世記2章7節にこのような御言葉あります。
「神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命を息を吹き込まれた」
人が神さまによって造られたました。
土の塵から造られましたが、そこには命の息が吹き込まれたのです。
命の息が鼻から入ってきました。鼻に付着するウイルスは洗い流し、命の息を吸い込みましょう。
土の塵は、もろく、傷つきやすい姿です。弱さをもっています。神さまを必要とする存在として造られたのです。恐ることもあります。病を経験するものです。神さまに祈り求める存在なのです。
命の息が吹き込まれました。それが信仰です。誰の心にも、神さまを求める思いが必ずあるのです
今日、ウイルスの脅威よりも、命の息が吹き込まれたことを思い巡らしましょう。大きく心の深呼吸をするようにして、命の息を入れましょう。どのようにすればいいでしょうか。
1 現実の恐れをみことばで上書きする方法
現実の見える事柄が心に入ってきます。良いものはそのままでもいいかもしれませんが、重荷になること、心配すること、心乱されることは、その一つひとつのことに対して、みことばが語られることを待ち望みます。待っていれば大丈夫です。心に納めて深くは考えなくていいのです。みことばがやがて風のように吹いて、心の埃を吹き飛ばしてくれます。
2 聖なるあきらめ
見える現実に固執すると、石のようにその思いが固まり、固執して、その気持ちの支配から離れられなくなります。たとえ、自分の思い通りにいかないことがあっても、固執した思いが満たされなくても、積極的にあきらめましょう。静かに、ゆっくりと神さまの手にのせます。神さまは、それを良い希望の場所へと運び、わたしたちの心をつくり変えてくれます。
3 未来の事柄に集中する
どうしても、視線が足元に置かれてしまいます。今しか見れないのです。今のことでしか何かを判断しないのです。この足もとのことは、確かに深刻な問題もありますが、石ころのようなものです。歩いていたり、走っていたりすれば、その苦しみは過ぎ去ります。新たな問題も浮上しますが、しっかりと対処して、視線は未来へ、その先のことへ、神さまが生きて働き、すべての益としてくださるところを見ています。
吹き込まれた命の息、信仰の喜びを実感する日です。
ウイルスは外ーー!命の息(信仰と祝福)は内ーー!
でいきましょう。