海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

10月4日 心は愛で満たされます

おはようございます。
秋の爽やかな風が心にも安らぎを与えられますように。


☆今日の御言葉 ルカによる福音書19章9−10節
『イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを探して救うために来たのである。』


聖書にザアカイという人が登場します。ザアカイという名前の意味は、「正しい」「清い」という言葉から来ていますから、日本語では、「ただしくん」、「きよしくん」という名前でしょうか。


ザアカイが生まれた時には親の期待、社会でりっぱに生きて欲しいという願いが込められていたのだと思います。どのような生育過程であったかはわかりませんが、ザアカイは収税人となりました。当時の収税人は、皆から嫌われ、人々から徴収したお金の一部を騙しとり、不当に利益を得ていました。


ザアカイの親の気持ちであったらどうでしょうか。悩んでいたかもしれません。思うように子育てできなかったと自分を責めてしまうでしょうか。

 

子育て情報誌「コミュニケーション」でクリスチャンの精神科医である佐々木正美先生が次のように書かれています。


「親の前で甘えられる子は、小さなたくさんの安心を心に刻みながら、すこしずつ自分に自信を貯えているのでしょう。子どもが親に甘えられず先生に甘えていたり、家ではいい子なのに外ではわがまま放題の場合、その子は、「こっちを見て」「自分を愛して」というサインを一生懸命出しているのだと、気づいてあげたいものです。」


ザアカイは、イエスさまが通り過ぎる時に、皆は静かにイエスさまの姿を見ていたのですが、突然木に登りました。皆はジロジロと批判するような眼差しでみていたでしょう。「イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。」(19:4)周りの人たちは、困った人だと呆れたかもしれません。誰かが注意したかもしれません。でもそれは、ザアカイの心の寂しさであったのでしょう。「自分を愛してほしい」という思いが、木に登るという行為だったのでしょう。

 

エスさまは、そのザアカイを見つめました。皆が迷惑しているからやめなさないと、しつけをするようにはしませんでした。じっと見つめたのです。語らずとも、「どうして欲しいの?」という眼差しを向けたのです。ザアカイは、心に寂しさを抱えながら生きていたのです。

 

ザアカイも心をイエスさまに向けたでしょう。そして、イエスさは、ザアカイの気持ちを汲み取ったのです。「急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に止まることにしている」(19:5)突然のイエスさまの言葉です。でもそれは、突然ではありませんでした。イエスさまとザアカイの心の対話があったのです。だからこそ、イエスさまは、ザアカイの気持ちを受け止めて、ザアカイの家に泊まることにしたのです。


愛を飢え渇く心があります。お金でも、友情でも、埋めることのできない心の空洞です。それは、イエスさまの愛でしか満たすことのできない心の一部分があるのです。周りの人たちは、イエスさまに非難の声を浴びせます。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」(19:7)ザアカイは、そのように人々に思われていたのです。しかし、もう関係ありません。イエスさまが心の友となってくれたのです。あの木に登る行為を否定しなかったのです。心の叫びを受け止めてくれたのです。ザアカイは、喜んでイエスさまを迎えました。


エスさまは、ザアカイとゆっくり食事をしました。話を聞きました。時間がたつにつれて、ザアカイの心は愛に満たされていったのです。変わりたいと思っても変わることができなかったザアカイが、イエスさまの愛で変えられたのです。「財産の半分を貧しい人々に施します。誰かからでも、だまし取ったものは、それを四倍にして返します。」(19:8)


私たちもザアカイのように木に登るようにして、自分の心の渇望を何かで満たすために、「自分を見て」「自分を愛して」と心が叫ぶかもしれません。イエスさまは、その心をじっと見つめて、わたしはあなたの側にいると呼びかけてくださるのです。豊かにそのままで愛されているのです。


「今日、救いがこの家を訪れた!」(19:9)
神さまの救いは、その場所に訪れます。


大きな愛の御手が今日の日を満たしているのです。


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