おはようございます。
すべては神さまの手の中で守られます。
☆今日の御言葉 使徒言行録4章31節
『祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、堂々と神の言葉を語りだした。』
私は1999年に神学校を卒業しました。その年は、〇〇の大予言というものが世間では話題となっていて、地球滅亡の時と言われていました。全く信じていませんでしたが、8年間も神学の学びをして、やっと卒業という時に、世界が終わったら・・と冗談のようにして友人と語り合った時を思い起こします。
この世界は、確かに終わりの時がありますが、聖書は「慌てないように、惑わされたりしないように」と私たちに語りかけます。16世紀の宗教改革者マルチン・ルターは、「たとえ明日、世界が終わることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」と言われました。いつまでも希望を持ち続ける思い、悲観的にならずに、神さまのしてくださることに期待する祈りがそこにはあります。
神学校を卒業して以来、いつも3つのことを祈らされています。それは、自分自身の課題でもあり、まだ十分にできない事でもありまが、困難の時代の中にあっても、たとえ終わりの時に向かう時があっても、力強い神さまの愛に満たされる秘訣でもあると思っています。
1、謙遜でありたいー祈る人
イエスさまのお弟子さんたちは、祈りの人になりました。ローマが支配する世界にあって、たくさんの不満があったでしょう。自分の人生のこだわりもあったでしょう。自分の思い描く理想はなかなか実現しないこともあったと思います。すべての苦しみ、困難は、その人のうちに祈りの領域を生み出します。それは、深く、豊かな、神さまの愛が注がれるためです。祈りの心は、神さまの豊かな働きを見る目となるのです。
2、忠実でありたいー聖霊に満たされる人
イエスさまは、お弟子さんたちに「高い所からの力に覆われるまでは都にとどまっていなさい」(ルカ24章)と言われました。高い所からの力をすぐに経験したわけではありません。ずっと待ち望み、みことばの約束を握りしめる歩みがありました。諦めたくなること、もう嫌だと思ってしまうことがあっても、明日のことは心配せずに、今日一つのみことばに支えられて生きて行く歩みを続けます。待ち望む道の先に、思いがけないような神さまの助けが与えられます。たとえ、すべての状況が良いものでなくても、解決には程遠い山道を一歩、一歩と登るように、今日の日、支えらえて、次の日、守られて、神さまと共に歩む先に、見たことのない風景、神さまの恵みの高嶺で喜ぶ時が待っているのです。
3、大胆でありたいー福音を伝える人
人が変わることは難しいでしょうか。弱さと恐れの中にいたイエスさまのお弟子さんたちは、「堂々と神の言葉を語り出しました」言葉は、心の深いところから生み出され、語る言葉が、私たちの人生の道を開くものになります。神さまは、どのような状況の中にあっても、喜びの知らせを心に響かせてくださっています。「恐るな、わたしがあなたを救う」と呼びかけてくださっています。すぐに実感できなくても大丈夫です。神さまはみことばを語ることを諦めません。やがて、心にみことばが満ちる時に、わたしたちは語り出し、歩み出します。神さまをたたえながら歩くその道に、たくさんの神さまの業という花が咲くのです。
周りの雑音も、この世の恐れの嵐も吹いていますが、神さまの愛から決して離されることはありません。