海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

8月31日 試練の中にある人へ

おはようございます。
愛し、愛されための今日の日です。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第一 10章13節
『あなたがたを襲った試練で、世の常でないものはありません。神さまは真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。』


「神さまは、耐えられないような試練に遭わせることはない」というのは聖書の有名な言葉です。歌手のYoshikiさんや、競泳女子日本代表で白血病を患った池江璃花子選手、フィギアスケートの羽生結弦選手がテレビやインタビュー等で語っていることが話題になりました。


試練という言葉は、聖書が書かれたギリシャ語でみると「誘惑、試み」という意味があります。苦しいことや、絶望的な状況だけを試練と呼ぶのではなく、試練と思える出来事によって神さまの恵みが見えなくなる事が私たちにとっての大きな悩みとなってしまうのです。愛が冷め、希望を諦め、神さまがどのような中にあっても、共にいてくださることを見ないようにされる誘惑、試みがあるのです。


試練の意味
試練は、決して私たちを悩ますために起きるのではありません。もちろん、痛み、葛藤、深い悲しみ・・かつて経験したことのないような出来事に打ちのめされるような気持ちになります。試練は、私たちをイエスさまの十字架に近づけさせるのです。傷ついたイエスさまは、私たちの痛みも悲しみも理解できないお方ではありません。深く、豊かに私たちを慰めてくださるのです。その時、試練を通して、十字架のイエスさまと一つになります。十字架のイエスさまと一つになる時に、復活のイエスさまとも一つとなり、試練の先にあるとても大きな神さまの奇跡と力の業を見るようになります。
「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。」(ヤコブ1:12)


試練と共に逃れる道

試練の時の逃れる道は、現実逃避する場所ではありません。逃れる道という言葉は、別の道、新しい歩み、行き止まりはなく、神さまの希望の道は開かれていることを意味してます。私たちは、今日まで守られ、人生の道を歩いてきました。うまく事柄が進んだことも、また計画を変更しなければならないこともありました。時に、試練という行き詰まり、行き止まりの道のように感じてしまうことがあります。イエスさまは、死の先にも命の道を開いてくださった方です。悲しみの先にも深い喜びの道を開いてくださいました。行き詰まりは、曲がり角であって、また新しい道は、開かれ続けるのです。


恵みの座への招き
試練は、人生を見つめ直す時にもなります。がんばって、誠実に、一生懸命歩いてきました。それでも、もう自分の力では、知恵ではどうすることもできない場所に立たされるのです。でも、失望しないでください。心配で心を覆い尽くすことをしないでください。試練は、わたしたちをイエスさまの恵みの座へと招くのです。
「大祭司(イエス)は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯さなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。それゆえ、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ4:15−16)


試練を通りすぎた人にだけ分かる、神さまと私の秘められた宝が与えられるのです。
 

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