海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

7月23日 私の心は燃えている

おはようございます。
雨の日ですね、心には神さまの恵みの太陽が輝きますように。


☆今日の御言葉 ルカによる福音書24章30、31節
『イエスはパンを取り、祝福して裂き、二人にお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は互いに言った。「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。』


クリスマスの時に教会に飾られるお花で「ポインセチア」があります。赤いポインセチア花言葉は「私の心は燃えている」という意味があるようです。ポインセチアはメキシコを原産としていました。メキシコでは聖夜という意味の「ノーチェ・ブエナ」と呼ばれているそうです。


メキシコにはポインセチアにちなんだ素敵なお話があります。昔、ぺピタという貧しくも優しい少女がいました。ある日、彼女は従妹のペドロと一緒に教会に祈りを奉げに行きました。貧しい彼女は神さまへの贈り物がない事をひどく悲しみました。ペドロは彼女に真実の愛を神さまに奉げ祈る事が、どんな高価な贈り物より大事だと教えました。


しかし、気が収まらない彼女は道端の花でブーケを作りました。みすぼらしいように見えるブーケを見た彼女は情けなくなり、涙が止まらなくなりました。


ペドロの言葉を思い出しキリストの十字架の前に置くと、そのみすぼらしいと思っていた花束が光に照らされて美しい赤い花であったことに気がつきました。それがこのポインセチアであったと言われています。


これは、童話のようなお話かもしれません。神さまの前に捧げられたお花が赤く輝き、美しい姿であることを知ったのです。それは、神さまの前にいる私たちの姿でもあります。


今日のみことばに登場する二人の人は、意気消沈していました。イエスさまが十字架で死んでしまったからです。夢も希望も失われてしまったかのようでした。エルサレムからエマオへと重たい気持ちを抱えて歩いています。イエスさまは、その二人に近づき、聖書のみことばを語り伝えました。そして、イエスさまの出会いを通して、のちに「私の心は燃えていた」とその時の心の変化を告白したのです。


わたしたちは、今日どのような道を歩いているでしょうか。恐れと不安の道み、失望と悲しみの道、イエスさまは私たちのそば近くにともに歩いてくださっています。イエスさまの姿をすぐに見たり知ったりできなくても大丈夫です。共に今日を歩き続けます。神さまの愛によって私たちの心は燃えていくのです。どのようにしてでしょうか。


1、目が遮られてしまう時、耳が開かれます
苦しみや痛みは、本当に大切なことを見失わせてしまうことがあります。私たちの心は、良い方へと思いを高くしていくよりも、悪い方、最悪なことへと思いを低くしてしまうことがあります。目が遮られてしまう時、神さまは耳を開いてくださるのです。みことばを心に語りつづけてくださるのです。その人の内には、希望の命が心に宿り、やがて、喜びの心になっていくのです。見えることで失望することがあっても、耳をすませば、みことばが聞こえてくるのです。


2、目が開かれる時、信仰の世界が見えます
耳が開かれると、新しい視点で世界を見えるようになります。目も開かれ、神さまが大きな愛をもって今日を守っていてくださることを知るようになります。神さまにとって私はむなしい存在ではありません。宝のような尊い存在なのです。苦しみと悲しみの人として生きる人生から、神さまの恵みと愛の中で生かされていることを豊かに知るようになります。


3、心が燃えている時、私の本当の姿を知ります

そのままの私の姿、苦しみを抱えていても、悲しみの中に生きていても、それでいいのです。イエスさまは、一人ひとりを招いています。一つのお花がイエスさまの前に飾られた時に、光に照らされて輝いた姿になったように、心の内に神さまの愛が輝くのです。宝を土の器に納めています。苦難を受けることがありますが、行き詰まらることはありません。神さまがいつでも道を開いてくださるからです。途方に暮れても失望しません。失望は希望を生み出すことを知っているからです。倒されても滅びません。イエスさまが立ち上がらせてくださるからです。宝が輝き、私の心は燃えているのです。


あなたのうちに輝くこの光はこの世の希望です。

 

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