海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

6月3日 エデンの園を体験する

おはようございます。
神さまのみことばが心の潤いとなりますように。


☆今日の御言葉 創世記3章5−6節
『女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。』


もし、エデンの園を1日体験することができたらどんなに素晴らしいでしょうか。エデンの園では、神さまの声がいつでも聞こえます。とても豊かな世界で、悩み、悲しみはありません。いつでも助けられ、慰められ、神さまの愛の中に安心して過ごすことができるのです。不足するものもありません。搾取や争いもありません。飢えることも、渇くこともありません。


毎日が冒険にあふれ、心は満たされ、大自然の中で深呼吸しながら、生かされていることの喜びを実感します。過去も未来も何も心配することはありません。豊かな神さまの足音が聞こえるほどの距離で、過ごすことができるからです。


今、私たちの生活の場所は決してエデンの園のような安全な場所ではないでしょう。恐れや不安が近くにあり、偏見や痛みがあります。神さまの深い愛、慰めを豊かに実感できない時もあります。


エデンの園の外で過ごすことになってから、人と人との争い、不破がすぐに心を支配しました。イエスさまは、十字架の後、復活し、聖霊を人々に注がれ、神さまと私たちの関係は回復され、エデンの園への道が再び開かれたのです。


エデンの園の中を今日神さまとともに歩みましょう。


エデンの園の深く入っていきます。道を進んでいくと、エデンの園の中央に2つの木がありました。


一つは「命の木」でもう一つは「善悪の知識の木」です。エデンの園の喜びと平安は、善悪の知識の木の実を手にしてしまった時から失われました。今日、わたしたちがエデンの園の祝福の中を歩むために、すでに手にしてしまった善悪の知識の木の実を一つずつ手放してみることです。それはとても難しく、1日で達成できる目標でありません。それほど・・善悪の知識の木は魅力的なものだったのです。


・食べるに良く・・・自分自身で、美味しいもの、口に合わないものを判断するようになりました。非難、無理解、偏見はこここから生まれます。


神さまが与える実は、いつでも良きものにつながっています。何事も自分の判断だけに頼って物事を解決しなくて大丈夫なのです。祈りと信頼の実をいのちの木から手にして歩む時に、神さまは、わたしたちの生活をいつでも最も良きことへと導いていてくださるのです。


・目には美しく・・美しい花に囲まれているような人生であったらと願います。だれもがその美しさ、豊かさ、目で見て良きものを求めています。それは手にとってみると輝いているように一瞬感じるものです。しかし、その輝きはどのようなものであっても永遠ではありません。


神さまには、永遠があります。たとえ、目で見て自分の満足する良きものでなかったとしても、目で見て美しいと思えない現実があっても、神さまにあって、私たちの内は日々新たにされて輝き、人生の中身は深い味わいと喜びがいつまでも溢れているのです。


・賢くなる・・知的な欲求は私たちの人生を充実させるものです。階段を一段ずつ駆け上がっていくように、知識は私たちの人生を次の新しいステージへと導いてくれるものであるかもしれません。イエスさまは十字架の上で「なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言われました。苦しみの意味を問われたのです。


苦しみの意味、困難を経験していることの意味を無理に理解しなくいいのです。ともに祈りの道に歩みます。求めながら、分からないと思いながら道を進みます。その道の先には、自分の想像をはるかに超えた、すばらしい神さまの恵みの世界が広がっています。知識の高嶺よりももっと、喜びと感謝が満ちているところへと導かれるのです。


もう、自分の手で「善悪の知識の木」の実を握りしめなくて大丈夫です。


今は良きものに見えない祈りの課題も、やがて神さまを賛美することに変えられていくでしょう。


目に見える美しさがたとえ失われることがあっても、自分の思い通りにいかなくても、私たちは今ここから神さまの深い輝きで内実が満たされていくことができるのです。


知識の高嶺を急いで目指さないでも、別の道があります。祈り、信じ、委ね、愛いをもって生きるその道の先に祝福が待っているのです。


手からこぼれ落ちた善悪の知識の実は腐敗しますが、命の木の実は、これから永遠に輝き続けるのです。

 

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