海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

10月15日 カエル🐸と神さま

おはようございます。
神さまがつくられた新しい日です。楽しみ喜びます。


☆今日の御言葉 イザヤ書26章4節
『どこまでも信頼せよ、主こそとこしえの岩。』


アメリカ人の友人が、日本に来た時に、観光地を案内しました。その時に、お礼にと言われて、かわいいカエルのイラストが描かれたTシャツをいただきました。


そのイラストの下に「Fully Rely on GodーIsaiah26:4 」(完全に神さまにより頼もう!)と大きく書かれています。英語の頭文字から「F.R.O.G」カエルがイメージされていたのです。


もし、今日F.R.O.Gを合言葉にどんな時にも、何をしていても、私のどこかの意識は、完全に神さまに依り頼むことができたらどうでしょうか。


今日1日でも実践してみます。常に何が起きても、どのような場所にいても、FROG(カエル)の姿をイメージするのも良いかもしれません。


カエルは、「変える」でもあります。つまらないことのようで(すみません・・)、大切な意味があります。憂いを喜びに変えましょう。怒りを平安に変えましょう。嘆きを感謝に変えてみましょう。F.R.O.Gを細かく見てみましょう。


・Fully(完全に)ー思い煩いを祈りに変える
この言葉は、完璧(パーフェクト)という意味ではありません。もし、完璧に、完全に間違えなく神さまを見上げるということであれば、自分にはできないと思ってしまうことがあります。完全にというのは、すべてのことにおいて、思い煩う心を祈りへと変えることを意味しています。
「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)


・Rely(より頼む)ー弱さを力強さに変える

頼るというのは、意思を強く持つということではありません。がんばって、神さまにしっかりとしがみつくように頼るということよりも、力を抜いて、神さまによりかかるように委ねる心を大切に今日の日を歩みます。弱さのままでも安心して委ねます。
「主に信頼する人はシオンの山のように揺らぐことなく、とこしえにとどまる。」(詩篇125:1)


・On Godー心配を信頼に変える
人生は、運命や人間の力だけが支配している世界ではありません。神さまの世界があります。この世界を造られた神さまがおられます。共にいてくださる揺るぎないお方です。今、心配していることも、絶望していることも、暗闇と思ってしまう祈りの課題も、そこに神さまの助けが与えられることを信じます。
「天をも地をも、私は満たしているではないか。」(エレミヤ23:24)

 

今日は、完全に神さまにより頼み歩みます。

 

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10月14日 希望を抱く人の1日

おはようございます。
お疲れが癒されるようなことがありますように。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二 10章7節
『目の前の事柄を見なさい。自分はキリストのものだと確信している人がいるなら、その人は、自分と同じく私たちもキリストのものであることを、もう一度よく考えて見なさい。』


「さあ、みんなで劇をやろう」という本をある方からいただきました。聖書を題材とした劇の脚本が記されています。その中で、モロカイ島のダミアン神父の生涯を描き出した脚本があります。ダミアン神父は、ベルギー出身の宣教師で、ハワイ州モロカイ島に流され、隔離されたハンセン病患者のケアーのために、単身島に渡り、来る日も来る日も死んだ方を丁寧に葬り、病気で動けない人のために家をつくりました。


19世紀、モロカイ島には、1800人近い病人が無理やりに連れてこられ隔離され、だれもこの島には近づくことはありませんでした。ダミアンは、そこにいる人たちが病気を抱えていても、一人ひとりの尊厳が守られるように、家を作り、畑を作りました。初めは、だまって見ていた人たちが、ダミアンを手伝いはじめました。ダミアンの存在は病気を抱える人たちの気持ちを希望へと変えていったのです。


希望を伝える人の存在は、今の私たちの周りにも必要です。希望を抱く一人の存在は、一粒の種のように、地に蒔かれ、やがてその周りに喜びの実を結びます。


私たちは、神さまにあって希望の種のような存在です。土に蒔かれることは、決して心地の良いことばかりではありません。なぜこの人生を、どうしてこの状況を、重荷を背負わなければと思うこともあるかもしれません。暗闇の地に、悲しみの場所に、混沌している状況に、希望が必要なのです。そのために、私たちを種としてこの地に蒔いてくださっています。


コリントの教会の人たちは、神さまの賜物をたくさんいただいていました。神さまによって恵まれている人たちでした。しかし、自分が恵まれて、他のことについては寛容になれませんでした。自分たちだけで満足してしまい、もっと豊かで、広く、深い神さまの心を理解することができなくなっていました。


心は広げることができます。視線は、大きく遠くまで未来を見通すことができるようになります。


演劇をするように、今日はモロカイ島に行くダミアンの役のように歩みます。私たちは神さまにある希望を手にしています。その希望の種をまくようにと神さまは私たちをあらゆる場所で生かしてくださっています。難しいことも、労苦もあるかもしれません。それでも、「ここに希望を与えてください」と祈りつつ、「神さまの祝福を満たしてください」と願いつつ、希望を抱いて生きる人のように歩みます。


・希望を抱く人は、今起きていることを神さまの視点でみます。今はわからないことがありますが、神さまは、決して絶望と苦しみの結果を与えることはないのです。


・希望を抱く人は、自分の考えで何事も断定しません。私たちの思いを超えて、希望は必ず芽生え、実を結ぶのです。


・希望を抱く人は、豊かな心をもって、誰かのために自分のできることで、希望を伝える人生となっていくのです。


今日は役者さんのように希望を抱く人として1日を。

 

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10月13日 祝福を心からお祈りします

おはようございます。
恐れはもう私たちを支配することはありません。


☆今日の御言葉 詩篇3編9節
『救いは主のもの。あなたの民の上に祝福を。』


母が天に召されてちょうど10年になります。葬儀の時に、牧師として司式をしました。祈り準備をしている時に、ある一つの賛美を思い出しました。それは、考えたというよりも心の耳に聞こえてくるような感覚でした。ゴスペルシンガーの岩渕まことさんが作曲した「God Blee you(神の祝福があなたにありますように)」という賛美の曲です。


このよな歌詞です。https://youtu.be/CDmAsL6Dphk


1、God bless you
神のみ恵み豊かに あなたの上に注がれますように。あなたの心と身体と すべての営みが守られ支えられ 喜びあふれるように 
わたしは祈ります。
God bless you. God bless you. God bless you. God bless you


2、God be with you
神のみ守りがいつでも あなたの上に注がれますように あなたがどこにいるとしても 何をするとしても いつでも神さまが共におられますように わたしは祈ります。
God be with you, God be with you, God be with you, God be with you


母は天国に行きましたが、一人ひとりのため、家族のために祝福を祈っている姿を思い起こしました。


神さまの祝福は、私たちにとって大きな宝です。祝福を祈られる人は、いつでも神さまの恵みが与えられることを信じる人になります。


3つの神さまの祝福が今日、私たちの心にあります。


1、欠けているものは神さまが満たしてくださる

「まず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。」(マタイ6:33)
欠けも、弱さも、空の手のままでも心は喜びをもって歩みます。悲観的にならなくて大丈夫です。手にはなにもないと嘆き心配しません。ただ神さまが祝福をあふれるほど満たしてくださることに信頼して歩みます。


2、呪いを祝福に変えてくださる
「祝福するのであって、呪ってはなりません。」(ローマ12:14)
私たちの感情は、時に、後ろ向きになり光よりも闇の方へ、悪いことを考えてしまいます。この心の向きを変えるのが、祝福の祈りです。呪いや苦々しい気持ちに支配される前に、祝福を祈ります。私の心も、状況も変わってくるのです。


3、すべてが神さまの栄光となる
イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神を崇め、賛美することができますように。」(フィリピ1:11)
私たちの生活習慣は、自分の世界観だけで完結しません。神さまの祝福があると、信じる時に、私たちは自分の人生をよりよく生かすことができるのです。生かしてくださるのは自分の力ではなく、神さまですから、喜びは二倍にも三倍にもなるのです。


神さまの祝福を心を込めてお祈りします。
 

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10月12日 祈りの深呼吸

おはようございます。
心と体の緊張を緩めて、今日を歩みます。


☆今日の御言葉 詩篇37編7節
『主の前に沈黙し、主を待ち望め。成功の道を行く者、謀(はかりごと)を遂げる者に怒りを燃やすな。怒りを解き、憤りを捨てよ。・・それはただ悪を行うに至る。』


ある牧師先生が紹介してくださった記事に目が留まりました。


〝「正義中毒」という言葉ある。脳科学者の中野信子氏は、人間が正義感をもとに他人に制裁を科すと、快楽物質「ドーパミン」が分泌されることを指摘しています。この快楽に溺れてしまうと、やがて極端に不寛容になり、他人を許さずに正義感から裁くことで快楽を得ようとし続けてしまう、正義中毒になるというわけである。〟


正義感は、とても大切なものでしょう。それでも、本当に大切な正義感は、そこに愛と寛容が含まれています。感情のコントロールは非常に難しいことがあります。でも、もし感情はコンロール可能であると言われたら、どう思うでしょうか。ある意識をもつだけで、感情の暴走を防ぐことができるのです。


私たちの視点を一つに集中させます。
それは、どこにいても、何をしていても、「今」という時だけを見つめます。過去も未来も見つめません。


神さまの前に沈黙し、待ち望みます。「祈りの深呼吸」ということを意識します。


深く息を吸って吐きながら、そのままで神さまの愛に包まれている自分の今の姿だけを思います。そうすると、自分の内のあらゆる感情が見えてきます。その感情を客観的みます。こう思ってしまうこと、あのように感じてしまうこと、それらを否定することをしません、神さまの愛の中でそれを感じてしまう自分をそのまま観察します。神さまは、私と一緒のテーブルに座り、心を聴いてくださっている、と思うのも良いかもしれません。今、一緒にいてくださる神さまだけに集中すると、恐れや憂いが小さくなっていくことに気づくと思います。


しだいに、心が静かになります。
荒れ狂う波のような感情が、静かで穏やかな海辺にいるような心になります。
それが本当の私の姿です。


祈りの深呼吸をする時に、心のチェックをしてみます。(時間がとれる時がありましたら・・)
・いつも何を見ると心が騒ぎますか。
・許せない感情が高まる時は、どのような状況が見えますか。
・自分の生きる意欲を失わせるものは、いつも何をしている時ですか。
・過去と未来といつもどちらのことを憂いたり、心配したりしますか。


この心のチェックは、決して否定的に向き合うことをしません。
裁いたり、苦々しい気持ちにならなくても大丈夫です。共におられる神さまから目を離しません。
神さまの豊かな愛は、私たちを包み込み、傷も悩みもよく知っていてくださるのです。


そして、私たちの心のすべての動きをみことばに書き換えます。
吸って、吐く息は、愛と喜びと平安です。


・愛に満たされ
「愛には恐れがありません。完全は愛は、恐れを締め出します。」(第一ヨハネ4:18)
注がれる神さまの愛は、私たちの今をいつでも包んでいるのです。


・喜びを抱き
「今までは、あなたがたがは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうずれば与えられ、あなたがたは喜びに満たされる。」(ヨハネ16:24)
願いは天に届けられます。そして、私たちは祈りの答えを手にして喜ぶことができるのです。


・平安に歩みます
「イエスが真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。」(ヨハネ20:26)
エスさまいつでも人生の真ん中に立ち、平和があるようにと語られます。心配も憂いも、この平安の中で小さくなっていくのです。


もう、小さな心の動きに惑わされることがありません。
憎しみや怒りや嫉妬が心の中心ではありません。
エスさまの愛で、今日私たちは満たされているからです。
 

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10月11日 みんなちがって、みんないい

おはようございます。
心に良いこと、体に良いこと、自分を大切にする日でありますように。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二12章9節
『力は弱さの中で完全に現される』


聖書は「弱さ」というテーマで私たちに大切なことを伝えています。この世界では、弱さをテーマとすることはあまりないでしょう。強さや生産性、豊かさや誇りを持つことについての多くの書物があり、いろいろな人たちが研究します。神さまは、弱さを大きな価値あることだと語るのです。それは、決して負け惜しみのようなことでも、簡単な慰めを与えようとしていることでもありません。


弱さは、新しい私たちの価値を見させてくださるものです。今の時は、多様性の時代であると言われています。強さや誇りは、崇高なことのようで、非常に狭い価値観や思想へと人の思いを導いてしまうことがあります。強さや誇りも悪いことではありません。でも、弱さの価値を見出すとより深い人生へと、より豊かな心へと導かれていくのです。


以前、朝日新聞天声人語で金子みすづさんの「私と小鳥と鈴」という詩が掲載されていました。


「わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、とべる小鳥はわたしのように、地べたをはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴るすずはわたしのようにたくさんな歌は知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」


一つの価値がすべてではありません。人と比べて違うところがその人の一番魅力的な部分です。この真実は、聖書が伝える「弱さ」と関係があります。


人は、だれでも強さと弱さを持ち合わせています。そして、強さを肯定し、弱さを否定的にみてしまいます。しだいに、強さだけを人生の価値あることとして追い求めます。さらに、弱さを見せないために、強さにしがみつき、やがて疲れきってもなお歩みを止めることができなくなります。


弱さは、私たちを豊かな心へと導く神さまの力です。多様な価値観を自分のものにする時に、新しい世界が開かれて、ストレスが少なくなります。


パウロは、力のある人でした。神さまに出会った時に、人生の目的が変えられました。イエスさまを信じる人の一番の魅力は、弱さを誇れるほどに神さまの愛で満たされることです。大きな心で、深い愛で、豊かな視点で物事をみるようになります。


自分に固執することから、人々に愛を分かち合う人生になります。自分の何かを実現することから、神さまの心を大切にする歩みになります。弱さをたくさん感じることがありましたが、それを喜び、感謝する毎日を生きるようになります。


私たちも今日の日、特別な神さまの愛と安らぎがありますように。

 

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10月10日 休み方改革

おはようございます。
台風から守られますようにお祈りしています。


☆今日の御言葉 出エジプト 記20章11節
『主は六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り、七日目に休息された。それゆえ、主は安息日を祝福して、聖別されたのである。』


「自分らしさ」を見つめるという冊子の中にC.S.ルイスの言葉が紹介されていました。「われわれのなすべき第一歩は、自分のことを全く忘れることである。われわれが自己を求めている限り、われわれはほんとうの新しい自己・・は与えられないであろう。それは、われわれがキリストを求める時に、与えられるものである。」(C.Sルイス「キリスト教の真髄」からの引用)


自分を全く忘れるというのは、自分・・私・・ということだけにこだわらない自由な生き方です。神さまの大きな愛の中に、完全に守られている私の姿を想像します。


その豊かさを私たちが実感する時が、聖書の「安息日」と呼ばれる時です。


神さまは、六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造りました。神さまは活動的であり、創造的(クリエイティブ)な方です。仕事も家庭も、神さまの豊かな創造の中にあることを思い巡らします。その時、3つの心の安らぎを経験します。


1、希望の中での安らぎ
神さまが天地を創造された時に、無から有が、混沌から光が生まれました。神さまに支えられて、守られている私たちの人生です。太陽、大空、光、動物がいました。神さまの愛は、満ち溢れている日々です。もちろん、大変な問題、深刻な出来事があります。それでも、私たちは、神さまの創造の世界に生きています。悪も見えることがあります。絶望も支配することがあります。光を創り出す方に、照らすことのできない闇はないのです。

 

2、使命に生きる安らぎ
安心して、委ねて歩みます。神さまの賜物と力で仕事をします。神さまの知恵で生活をします。自分の範囲以上のこと、自分らしさを見失わせることに、多くの時間を使わなくても大丈夫です。それよりも、今の恵みを数えていましょう。今生かされていることは、どんなに大きな恵みであるかを思い巡らしましょう。1日、1日、私らしく仕事をし、私らしく生活をし、自分を祝福して、自分にだけ執着をせずに歩いていきます。


3、愛の中での究極の安らぎ
そして、安息の七日目があります。私に戻る時です。神さまのそばで憩う時です。神さまの前での安息はどのような効果があるのでしょう。
・神さまの愛の中にいる自分を見出します。
・自分が担う重荷を知り、神様に心配を委ねることができます。

・神さまは私たちの心を変えられます。憎しみを愛に、虚しさを喜びに変えてくださるのです。
・力は神さまのもとから来ることを知ることができます。


私たちの人生の一週間は、神さまの御手の中にあります。
安心して、今日を歩みましょう。
 

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10月9日 言葉を超えた優しさ

おはようございます。
状況は変えられなくても、心は変えられます。


☆今日の御言葉 列王記上19章5ー7節
『彼は一本のえにしだの木の下で横になり眠った。すると御使いが彼に触れて言った。「起きて食べなさい。」見ると、頭のところには石焼のパン菓子と水の入った水差しがあった。エリヤは食べて飲み、もう一度横になった。すると、主の使いがもう一度エリヤに触れ、「起きて食べなさい。この道のりは耐え難いほど長いのだから」と言った。』


学生の頃、同級生がいつも仲間たちと食堂で賛美をしていました。そのグループは、やがてリラ(Lyra)という賛美グループとなり、数枚のアルバムをリリースしています。リラの曲で、「だから忘れないで」という賛美があります。歌詞がとても優しく、慰められるものです。


「これから先、いろいろあると思う。泣きたいこともあると思う。耐えられなくて、何もできなくて、逃げ出したくなるかもしれない。だけど、忘れないでいて、あなたを決して離すことのないイエスさまが、共におられることを。私たちが生きていく限り、喜びばかりじゃないだろうけれど、苦しみの時に祈り求めよう。命まで捨てて、あなたを愛した、イエスさまは、今も生きている。」


今日のみことばに登場するエリヤは、力強い人でした。バアルの預言者と激しくたたかい、疲れ切っていました。忙しく、緊張し、気力を振り絞るようにして生きていました。ある時、命を狙われるほどの困難が迫り、恐れが心を支配するようになります。バタンッと倒れるように、木の下で横になって眠っていました。神さまの優しい眼差しは、このエリヤに向けられていたのです。御使いが彼に触れて「起きて食べなさい」と石焼のパンの菓子と水がおかれました。エリヤは、労わりと優しさを必要としていたのです。


神さまの優しさが今日届いています。


・ゆっくり休めますように
「主は愛する者には眠りをお与えになる。」(詩篇127:2)
そのがんばりも、労苦も涙も、イエスさまは一番深く理解してくれています。イエスさまは、決して私たちに絶望を与えるようなお方ではありません。心の荷物も下ろしてください。今の問題も最善のことに導かれることを信じています。1日が終わったら、安心して休んでください。


・さあ、食べてください
「さあ、来て朝の食事をしなさい。」(ヨハネ21:12)
心の回復ためには、神さまの愛の中に留まります。体の回復のためには、神さまが日々の糧を備えてくださっています。忙しさから少し離れてゆっくりと食事をしましょう。今、味わっているものに感動しましょう。本当に美味しいと思えるものを今日は食べましょう。イエスさまは、お弟子さんたちに「さあ、来て食事をしよう」と呼びかけました。その食事は、神さまの恵みを思い起こす時間です。神さまが私の人生に良くしてくださったことを思い起こしましょう。


・もう、嘆かなくて大丈夫です
「嘆きの谷を通る者たちはそこを泉に変えます。」(詩篇84:7)
嘆きの谷を歩くような人生は、本当に辛いですね。人には理解できないような心労をかかえることがあります。やりきれない気持ちになってしまうかもしれません。祈れない時があってもいいのです。私がお祈りさせてください。何もできなくてもいいのです。できることがあればさせてください。助けが必要な時には、いつでも声をかけてください。この道のりはまだ続きます。耐え難いほど長いかもしれませんが、やがて喜びの泉を見い出すのです。


エスさまの優しさを今日、味わいましょう。
 

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