海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

7月30日 誰にでもできるお祈り

おはようございます。
みことばはあらゆる恐れから守ってくれます。


☆今日の御言葉 ルカによる福音書11章9節
『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。』


お祈りをされたことがありますか?ある人にとってお祈りはクリスチャンがするもの、信仰をもって年数を重ねて祈りが深くなると思う人がいるかもしれません。お祈りはそのままの心の願いであり、自由で、喜びを感じるものです。今、問題や大変な出来事がありますか。ともにお祈りしましょう。


エスさまが私たちにお祈りすることの意味を伝えるために、たとえ話を語られました。
状況を想像してみてください。


登場人物:主人公、友
ストーリー:ある人は困っていました。突然、親しい友達が家にやってきました。とても飢えていて、困っていて、なんとか助けてあげたいと思いましたが、自分の家には、その友達にあげるパン(食料)がなにもありません。もう時間は、夜中の2時ごろ・・。今のようにコンビニもスーパーもありません。そこで、知り合いの家に行くことにしました。


夜中で迷惑なことは承知で、その知り合いの家に行きました。「トントン、トントン、夜分にすみません。「パンを3つ貸してください。友達が旅をして私のところに着いたのだが、何も出すものがないのです。」家の中から声が聞こえました。「面倒をかけないでくれ、もう戸は閉めたし、子どもたちは寝ている、もう一緒に寝ているのだから起きることはできない・・」しかし・・必死で頼みました。しつこく頼みました。そうすると、家の門の扉が開いて、その知り合いが起きて来て、パンを3つ与えてくれたのです。(ルカ11章8節)


お祈りをする私たち手には何もなく、失望していても、それが祈りの出発点です。真夜中に友の家に行くように、暗闇の中で祈ります。すぐには祈りが聞かれないように思います。その祈りをしている自分が情けないと思うかもしれません。やがて祈りの思いは届けられて、扉が開き、神さまの手から祈りの答えをいただくのです。


エスさまは、このたとえの後に、「求めなさい、探しなさい、叩きなさい」と3つの思いをもって神さまに求めるならば、その祈りは聞かれると言われたのです。


3つの求めと3つの答え(パン)があります。


1、求めなさい、そうすれば与えられる
困った時、不安に思った時、恐れる時、それは祈りを通して、神さまが私たちをそばに呼び寄せようとしている時です。求めは、渇望や弱さや自分では解決できない問題の中から生まれます。それは決して人生のマイナスではなくて、神さまの愛の近くに招かれ、そこで祈りの答えを聞くことができるのです。神さまがどのような恵みを与えてくれるかを知ることができるのです。


2、探しなさい、そうすればば見つかる
祈る時に、神さまに愛されて祝福されている特別な存在であることに気づきます。人生に神さまがたくさんの恵みを与えてくださることを知ることができます。自分の内にたくさんの良きもの、神さまのために仕える思い、喜びと平安を見いだすことができるのです。私たちの本当の求めは、神さまに愛されていることなのです。


3、叩きなさい、そうすれば開かれる
人生の夢を実現する力を神さまは与えてくださるのです。挫折、後悔する出来事、辛いこと、すぐには解決できないことがたくさんあります。門を叩き続けます。やりきれない思い、心の痛み、それらが溢れて、感情を制御できなくても、どんな感情の前にも「神さまーー」を付けてください。思いも見ないような素晴らしい道が開かれるのです。


今日は、お祈りの日です。ただ求め、探し、天の扉を叩きましょう。
 

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7月29日 必要な愛と不必要な恐れ

おはようございます。
神さまの守りと思えることが今日きっとありますよ。


☆今日の御言葉 ヨハネの手紙第一 4章18節
『愛には恐れがありません。完全な愛は、恐れを締め出します。」


日本に「愛」という本当の価値が伝えられたのは、キリスト教の宣教師によってだと言われています。16世紀ごろの日本では、「愛」という言葉に良いイメージをもっていませんでした。人間のもっている愛は、不確かなもので、欲深いもので、自己愛を連想させるものであったからです。


神さまの愛を伝えようと思った宣教師たちは、どのように聖書に示されている神さまの愛を伝えようかと悩みました。そこで使われた言葉が「大切」という意味の言葉を使ったと言われています。この「大切」という言葉を語り、神さまは「あなたを決して忘れない」「あなたを決して一人にしない」「あなたが苦しむ時、一緒に苦しむ」という表現で神さまの愛を伝えました。


聖書に示されているこの「神さまの愛」は、決して「ことば」ではありません。神さまの愛は生きているのです。あたたかく感じることのできるものです。力となるものです。勇気と希望、喜びの平安が心に宿る感覚を与えてくれるものです。愛は、神さまご自身であるからです。


今日、完全な愛を手にして歩ませんか?この愛は、私たちに深い心の喜びを与えてくれるものです。
その愛は、どのように実感できるでしょうか。


・共に苦しむ神さま
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、痛みの人で、病を知っていた・・。」(イザヤ書53:3)私たちが神さまの愛を一番深く知ることのできる場所は苦難と悲しみの中です。助けられること、良いことが起きること、充実することによって、神さまが私を愛していると思うことは難しいことではありません。そのように神さまが私たちに良いものを与えてくださることがあります。


さらに深く神さまの愛を知る場所は、私の苦しみと一緒に苦しんでくださるイエスさまの姿を知る時です。裏切り、絶望、心と体の痛み、孤独・・イエスさまはそのすべてを経験されました。それは、私の苦しみを担い、ひとりで背負いきれないこの世の苦難を、共に負い、やがて共に神さまの光を味わい見ることを経験させてくださるのです。愛は、苦しみを通して、恐れの現実を通過して、イエスさまと共に、恵みの出来事へと導き、もはや恐れは、私たちを支配することがなくなるのです。


・これ以上ない大きな愛
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はありません。」(ヨハネ15章13節)苦労することがありますか。誰かのために心痛めることがあります。自分が一生懸命がんばって、何かに尽くしても報われないと思うことがありますか。神さまは、私たち一人ひとりの心を見つめてくださり、労苦を知り、痛みを知り、あなたがしていること「これ以上に大きな愛はない」と言ってくださっています。手の業も、今日の行いも、誰かのために尽くすことも、すべて「大きな愛」なのです。イエスさまはその大きな愛のすべてを私たちのために与えてくださったのです。


恐れは、私たちの中から生じるものです。恐れに栄養をもう与えません。現実のことがら、自分の判断だけで生きようとすると、恐れは大きく育ち、私たちのこころを支配してしまいます。神さまの完全な愛を思い巡らします。どれほど私たちは愛されているか、共に苦しむ神さまが「大丈夫だよ」と語ってくださっています。今日の労苦も働きも手の業も大きな愛で包んでいてくださっています。


私たちの今日の歩みには、神さまの完全な愛が包んでいます。
恐れは全く必要ありません。


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7月28日 心が渇いた時には、この水を

おはようございます。
幸せになる道を神さまは今日、一人ひとりに用意しています。


☆今日の御言葉 テモテへの手紙第一 1章5節
『清い心と正しい良心と偽りのない信仰から出て来る愛を目標としています。』


私の好きな賛美歌の一つに「あまつましみず」(賛美歌21の404番)があります。この曲の作詞者である永井英子さんという方は、日本とアメリカでジャーナリストとして活躍した有名なお方です。宣教師との出会いを通して、クリスチャンとなり、日本で初めて楽譜付きの賛美歌集を完成させ、17歳の時に「あまつましみず」を作詞したと言われています。このような素敵な歌詞です。「あまつましみず ながれきて、あまねく世をぞ うるおせる。ながくかわきし わがたましいも、 くみていのちに かえりけり。・・」救われることの喜びがこの歌詞の中に表現されています。


神さまとの出会いは、一つの宗教を信じるということを超えています。クリスチャンになることは、神さまに愛されているそのままの私の姿で喜んで生きることです。神さまがいつでも降り注いでくださる愛に満たされて、心うるおされ、恵まれて生きることができます。


喉の渇きは体で感じることがあっても、心の渇きは、気づけない時があります。心が渇いたままでいると疲れ果て、自分の本当の姿を見失い、人を愛することも難しくなります。


今、立っている場所がどのようなところであっても、八方塞がりのような状況あったとしても、天の窓はいつでも開かれていて、私たちの必要のすべては、尽きることなく私たちに注がれているのです。その時、私たちは何を感じることができるのでしょうか。


清い心ー満たされた心
私たちは、自分で自分の心を清くすることができません。コップの中に泥水があったなら、その泥水をコップの中だけで魔法のように清い水に変えることはできません。唯一の方法は、清い水を注ぎ続けることです。私たちは、良いものを得るためには、それなりの対価を支払う必要があるのではと思ってしまいます。


エスさまは、すでに十字架で代価を完全に支払ってくださいました。信じるだけで救われます。求めるならば与えられます。門をたたくならば開かれます。その恵みの世界に生きているのです。良いものを与えて、楽しませてくださる神さまが今日共にいてくださるのです。


正しい良心ー力が与えられる
神さまの心と私たちの心が一つになるときに、良い心が生まれます。神さまの心は愛です。神さまの愛は、私たちを急かしたり、慌てさせたり、何かを強制することはありません。赦しがあり、憐れみがあり、忍耐があり、寛容なのです。


私たちは、良いものに触れれば、その姿につくりかえられていきます。その成長はゆっくりです。最初は、種のような小さいものでしょう。土にまかれ、何も良いものが見えません。自分がすぐにふさわしいものになれなくても失望しないでください。理想と現実があまりにかけ離れていても、慌てません。ゆっくり確実に、神さまの愛のそば近くで育まれ、愛の実を結びます。


偽りのない信仰ー愛の実を味わう
神さまを信じる思いから愛と安らぎが出てきます。私たちは、自分に愛がないと思っても絶望する必要はありません。今、人間関係の困難な状況があったとしても、許せなかったり、受け止められなかったりしても、それは足りなさではありません。神さまの愛が与えてくださった愛の実を味わうようにして今日の日を歩みます。その実は、心に、喜び、平安を与えてくださるのです。もし、1日の歩みで、神さまが共にいてくださる安らぎと愛を感じることがあれば、そこに本当の信仰の喜びがあるのです。


今日も1日、良い日でありますようにお祈りしています。

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7月27日 眠れない夜に

おはようございます。
大丈夫です!神さまが今日も一緒です。


☆今日の御言葉 出エジプト12章42節
『その夜、主は、彼らをエジプトの地から導き出すために、夜通し見張りをされた。それでこの夜、すべてのイスラエルの人々は夜々にわたり、主のために夜通し見張りをするのではある。』


夜、なかなか眠れないと思う時はありますか。スイスの哲学者であるカール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」という書物を読んだことがあります。敬虔なクリスチャンで、その思想は多くの人の人生に影響を与えました。書物の中にこのような一節があります。「この世がどんなに欠けたものであろうとも、なおここは美しく豊かなものとなる。この世はもっぱら愛を生きるための機会から成り立っているから・・」ヒルティは、暗闇の中でもすべてを包んでいる神さまの愛を受けること、その愛を分かち合う希望がこの世界にはあることを語ります。


神さまは、ある時、眠られぬ夜を過ごしました。その日、人々の恐れ、悲しみ、恐怖が満ちていました。イスラエルの人々は、エジプトの苦役から救い出され、これからモーセとともに約束の地に向けて歩み出そうとする時です。しかし、夜はやってきました。この夜を通らなければ朝が来ないのです。だれもが、暗闇を経験したくありません。ただ太陽が輝いているような神さまの愛の光を受けていたいのです。神さまの愛の光は、暗闇の中で強く、そして豊かに輝くのです。


・眠れないことの意味(彼らをエジプトの力導き出すため)
神さまが私たちの人生に新しいことをしてくださる時、多くの場合、その人は激しい試練のような出来事の中におかれます。その試練の嵐は、心に恐れをもたらし、ついには自分の力ではどうすることもできないという無力を感じます。もし、眠れないことがあったら、それは今まで見たことのない豊かな恵みを神さまは私たちに与えようとしておられるのです。眠れないほど、頑張って生きてきた人です。たくさんのことを背負って生きてきた人です。誰かのために一生懸命であったからです。


イスラエルの人たちは、エジプトで苦役に服していました。疲れ果てて、弱っていたと思います。そのエジプトでの最後の夜です。ここから新しい出来事がはじまります。過去の苦しみ、過去の後悔と痛みの夜は終わります。そのすべての苦しみを忘れてしまうほどの神さまの恵みに喜ぶことになるのです。


・心と体の安らぎを得る(夜通し見張りをされた)
暗闇の中にこそ・・神さまとともにいてくださるのです。まだ太陽の光が照らすその前にも、真っ暗や闇と思える絶望の夜にも、共にいてくださるのです。エジプトに出発する前夜、イスラエルの人々は不安と恐れの中にいました。神さまは、そばに寄り添うようにして夜通しに寝ずの番をされたのです。闇をすぐに光に変えたのではありません。問題の中で簡単な慰めを示したのでもありません。夜は、夜でした。しかし、その夜は、暖かい心の平安、一人ぼっちではない安らぎ、守られていることの喜びを感じていたのです。


エスさまは、インマヌエル・・と呼ばれます。その言葉は、「主はともにいる」という意味です。私たちは、まだ光が見えなくても平安なのです。まだ問題が解決しなくても信じているのです。問題はすぐに解決しなくても、共にいてくださる方の愛の温もりが私の存在を支えてくれているのです。


見たこともない朝の光ー新しい出発
眠れない夜を通して、人は成長し、神さまの愛の中で育まれます。母のお腹の中にいる胎児のように、その暗闇は安らぎとなるのです。「あなたはわたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか、わたしの魂は知っている。」(詩篇139:14−15)


希望は育まれ、暗闇で成長し、新しい命溢れる場所へと生み出されるのです。それは、今日の日の祝福です。


それでも・・眠れないときは、牧師のメッセージを聞いてください。よく眠れるそうです・・(_ _).。o○
7月26日 海老名シオンの丘教会 礼拝メッセージ「安心して生きる道」
https://youtu.be/S32s5AlZN7A

 

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7月26日 Go to Jesus キャンペーン

おはようございます。
休息が与えられ元気を回復する日でありますように。


☆今日の御言葉 申命記8章2−3節
『あなたの神、主がこの40年間の間、荒れ野であなたを導いた、すべての道のりを思い起こしなさい。主はあなたを苦しめ、試み、あなたの心にあるもの、すなわちその戒めを守るかどうかを知ろうとされた。そしてあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたもその先祖も知らなかったマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きるということを、あなたに知らせるためであった。』


「Go to キャンペーン」が始まりましたね。まだまだ新型コロナウイルス感染症の心配がある中ですがどうなることでしょうか。自然豊かなところでホッと一息、綺麗な景色を見たりしたいですね。気分転換できる場所はたくさんありますが、わたしたちにとっての本当の憩いの場所があります。


エスさまの所には安らぎがあり、命の尊さと生きていることの喜びがあります。今日は、イエスさまのもとで休みましょう。愛を呼び覚まし、希望を抱き、ありのままの自分の姿を喜びましょう。たくさんの荷物(重荷)を背負って生きると心は重たくなり、疲れ果ててしまいます。


荷物を整理して、必要なものだけをもって、歩むならば、今日の日は、素晴らしい喜びに満たされます。イエスさまは、過去を恵みに変え、未来を希望に変え、今を喜びに変えることができるのです。


エスさまと一緒に今日を喜びの日としましょう。


1、荷物を整理する
エスさまと一緒に荷物を整理してみましょう。今日のみことばに「すべての道のりを思い起こしなさい」とあります。私たちはたくさんのことを経験してきました。たくさんの困難を乗り越えてきました。喜びもありました。この過去の経験という荷物は、自分ですべて抱え込まなくていいのです。


抱え込むと、自分の思考で何かを判断してしまいます。そして、それはしだいに重たくなっていくのです。ただ眺め、自分で良い、悪いの判断をするのではなくて、イエスさまと一緒に見つめます。イエスさまは慰めてくださいます。「よくやった」と言ってくれます。「大丈夫、わたしが最善のことにしよう」と呼びかけてくださるのです。自分で背負いきれない問題は、イエスさまが「わたしの手に委ねなさい」と語りかけてくださるのです。


2、必要なものを持つ
私たちの人生には、試みと思えるものがありました。「主はあなたを・・試み、あなたの心にあるもの・・知ろうとされた。」試練と思えるようなことがありました。それは決して私たちの人生を絶望に陥れるためではありません。本当に大切なものを何かを気づかせるためでもあったのです。


本質を知るならば、私たちはこれからの生涯、自分にとって大切なものに集中して生きるようになります。大切なものは、そんなに多くのものではないことに気づいたはずです。苦しみは、私にとって大切なことは何かに気づかせ、私らしく生きるものへと導く力となるのです。


3、自由と喜びで生きる
過去のことを神さまに結びつけて考えて見ます。長い周期で、神さまが私を愛し、私のためを思ってなされたひとつひとつを心に留めます。自分の感情で苦しいもの、最悪なもの、後悔に満ちたものとして見てしまうことから守られます。「主の口からでる一つひとつの言葉」が届けられるのです。過去の痛みにも、一つひとつ・・過去の憂いにも、一つひとつ・・、だから大丈夫です。神さまのみことばが、私たちの人生をきよめてくださるのです。私たちは、新しい人生の領域を知ることになります。それは・・光と静けさだけを感謝するのではなくて、闇も嵐の中でも神さまを賛美するようになるのです。


いつでも愛をもって、私たちを祝福し、守ってくださる、イエスさまのもとへ行きましょう。
Go to Jesus キャンペーンはどうでしょうか。


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7月25日 人生最良の日

おはようございます。
雲の上には太陽があるように、神さまの愛は今日も変わりません。


☆今日の御言葉 ヤコブ4章13−14節
『さて、「今日か明日、これこれの町へ行って一年滞在し、商売をして一儲けしよう」と言う人たち、あなたがたは明日のことも、自分の命がどうなるかも知らないのです。あなたがたは、つかの間に現れ、やがては消えていく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは「主の御心であれば、生きて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。』


アップルコンピューター社を創業したスティーブ・ジョブズ氏は、2005年6月にアメリカのスタンフォード大学の卒業式でスピーチをしました。今日のみことばを読みながら、その内容の一部を思い起こしました。


〝私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。・・〟


本当に大切なことは今日、何でしょうか。自分にも問いかけています。「今日か明日、これこれの町へ行って一年滞在し、商売をして一儲けしよう」それはもしかしたら、りっぱに人生を築く知恵かもしれません。それでも富も名声も、プライドも成功もやがて消えていく霧のようなものになってしまうでしょう。


人間関係においても、競争や嫉妬、後悔や怒り、それらのものも今日の私に大きな影響を与えているかもしれませんが、一番大切なものではありません。感情も現れては消えていく霧でしょう。


今日の日を豊かに、毎日が人生最良の日として生きるために、「神さまの御心」を中心にしてみます。
霧がはれて、闇が過ぎ去り、私たちの人生は、自由な喜びと感謝に満ち溢れるのです。


神さまの御心はなんでしょうか。神さまの心は、愛です。


・神さまは、救いを受け取ってほしい、と願っています。
「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることである。」(ヨハネ6:40)
心を閉ざさないでください。そのままの心のすべてを神さまは知っていてくださり、赦してくださり、救いを与えてくださるのです。空しいと人生と思わないでください。永遠の命の喜びは、今の私の人生を希望に満ち溢れさせるのです。心配はもういりません。恐れは支配しません。神さまの永遠の命の喜びは心に泉のように湧き上がるのです。


・神さまは、秘められた計画を知ってほしい、と語られます。
「秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。」(エフェソ1:9)
今、喜びの出来事が見えなくても、今自分の思うような現実ではなくても、失望しないでください。私の視界の範囲では収まらないほどの広い神の国の世界があるのです。私の知恵と思考では到達することができないほど、高くて広い神さまが見せてくださる恵みの風景があるのです。待ち望みながら祈りの道に進む時、素晴らしい祝福が待っています。


・神さまは、内に働く力で生きてほしい、と祈っています。
「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」(フィリピ2:13)
弱さや足りなさをもう嘆かないでください。弱さは神さまの力を体験するために必要なものです。足りなさは優しさと愛を生み出すために必要なものです。私たちの人生にマイナスと思えるようなことがあったとしても、無駄なものは何一つないのです。火を燃やすためにはあらゆる薪(痛み、失望・・)が必要です。神さまにあってすべてのことが用いられて、内に神さまの愛の炎が燃えて、生きる喜び、私にしかできない働き、奉仕へと思いも行動も導いてくださるのです。


たとえ今が喜ぶことができないことがあっても、素晴らしい出来事を経験するための一歩手前にいる時なのです。


今日の日が、神さまの心からの願いを知る、人生最良の日でありますように。


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7月24日 奇跡の道の歩き方

おはようございます。
心に祈りのスペースを、ゆっくり歩みましょう。


☆今日の御言葉 出エジプト記14章21−22節
モーセが海に向かって手を伸ばすと、主は夜通し強い東風で海を退かせ、乾いた地にした。水が分かれたので、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。』


あるエッセイを読んでいた時に、〝心のエンジンを止める〟というお話がありました。


「みことばを読む時に、頑張るエンジンを止めてほしいのです。・・分かろうとするのではなく、ゆっくりと耳を澄まし、受け止めてほしいのです。世の中には、分かろうとしても分からないことがある。分かることも大事だけど、分からないことも実は大事です。なぜならそこにこそ、あなたの理解を超えるものへの可能性があり、あなたの視野が広がる奇跡があるからだ。」


エジプトの苦役から救い出されたモーセイスラエルの民は、葦の海の前で立ち止まりました。男女、子ども合わせて300万人以上いたと言われています。後ろからは、人々の命を奪うためにエジプトの軍隊が迫ってきます。前には大きな海があります。絶体絶命のピンチです。逃げ場はありません。問題の解決の糸口は一つも見出せません。


モーセイスラエルの民もここにたどり着くまでは心のエンジンは全開だったはずです。オーバーヒートする寸前であったでしょう。そして立ち止まるのです。心のエンジンを止めました。恐れの中にあっても、静かな時間が流れます。神さまの業が現されようとしているのです。奇跡の道が今開かれようとしているのです。


心のエンジンが止まる時、神さまの力が動き出します。静まる時に、すべてを支配しておられる神さまの奇跡が現されるのです。モーセイスラエルの民が海の道を歩いたのは、昔のことではありません。今、今日、私たちも、海の中の道を、今まで歩いたことのない道を歩いているのです。


奇跡の道の歩き方


1、問題に祈りの手を伸ばす
モーセは、海に向かって手を伸ばしました。自分の歩み道を立ち止まらせている問題がありますか。見ればみるほど恐れを感じる出来事がありますか。解決の道は必ずあります。祈りの手を伸ばす時、モーセは海を見たでしょうか。目を閉じたことでしょう。そして、心の目が開かれて、静まり神さまの御業を思い起こしたのです。今まで、数々の神さまの助けが与えられました。困難を乗り越えてきました。神さまは決して見捨てることも見放すこともなかったのです。その出来事を思い起こし、恐れを心に入れるのではなくて、神さまの恵みの業を心に思い巡らしました。その時信仰が心に宿り、力が与えられて、神さまを信頼して歩くことができるのです。すべては守られます。


2、みことばの声を聞く
私たちは、立ち止まることを余儀なくされる時があります。今まで頑張って歩いてきました。何かをしても報われないと思う時もありました。祈っても状況が改善するよりもさらに悪い方へ進むような失望を経験することもあるかもしれません。苦しみや痛みは、人生の行き止まりではなく、新しい神さまの恵みの世界を開く扉です。叩くならば開かれるのです。求めるならば救われるのです。モーセは、夜通し吹く東風の音を聞いていました。すべてを支配される神さまの力のみことばを思い起こしたのです。聖霊の風が吹いてきます。それはみことばの声です。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。ただ信じていなさい。」神さまの恵みの扉は開かれます。


3、奇跡の道を大胆に進む
奇跡の道を歩みましょう。自分の知恵の中ですべてを考えなくていいのです。自分の思い通りにならないことも大歓迎です。なぜなら、神さまは私たちの思いを超えた道、私たちの理解を超えた、可能性に満ちている生涯、自分という枠組みを超えた、神さまの視点で見る広い世界を見せてくださるのです。恐れ、不安、行き詰まりと思うことは、自分の知恵と思考の世界で起きていることです。それがすべてではないとするならば、知恵と思考を超えたところにある、神さまが生きて働く、海の中の奇跡の道を歩くような今日の日を与えてくださっているのです。


神さまはどんなに難しい問題が見えても、守り導いてくださる方です。
ここにも奇跡が、あそこにも自分の思いを超えた恵みがあったと喜ぶ日でありますように。


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