おはようございます。
幸せになる道を神さまは今日、一人ひとりに用意しています。
☆今日の御言葉 テモテへの手紙第一 1章5節
『清い心と正しい良心と偽りのない信仰から出て来る愛を目標としています。』
私の好きな賛美歌の一つに「あまつましみず」(賛美歌21の404番)があります。この曲の作詞者である永井英子さんという方は、日本とアメリカでジャーナリストとして活躍した有名なお方です。宣教師との出会いを通して、クリスチャンとなり、日本で初めて楽譜付きの賛美歌集を完成させ、17歳の時に「あまつましみず」を作詞したと言われています。このような素敵な歌詞です。「あまつましみず ながれきて、あまねく世をぞ うるおせる。ながくかわきし わがたましいも、 くみていのちに かえりけり。・・」救われることの喜びがこの歌詞の中に表現されています。
神さまとの出会いは、一つの宗教を信じるということを超えています。クリスチャンになることは、神さまに愛されているそのままの私の姿で喜んで生きることです。神さまがいつでも降り注いでくださる愛に満たされて、心うるおされ、恵まれて生きることができます。
喉の渇きは体で感じることがあっても、心の渇きは、気づけない時があります。心が渇いたままでいると疲れ果て、自分の本当の姿を見失い、人を愛することも難しくなります。
今、立っている場所がどのようなところであっても、八方塞がりのような状況あったとしても、天の窓はいつでも開かれていて、私たちの必要のすべては、尽きることなく私たちに注がれているのです。その時、私たちは何を感じることができるのでしょうか。
清い心ー満たされた心
私たちは、自分で自分の心を清くすることができません。コップの中に泥水があったなら、その泥水をコップの中だけで魔法のように清い水に変えることはできません。唯一の方法は、清い水を注ぎ続けることです。私たちは、良いものを得るためには、それなりの対価を支払う必要があるのではと思ってしまいます。
イエスさまは、すでに十字架で代価を完全に支払ってくださいました。信じるだけで救われます。求めるならば与えられます。門をたたくならば開かれます。その恵みの世界に生きているのです。良いものを与えて、楽しませてくださる神さまが今日共にいてくださるのです。
正しい良心ー力が与えられる
神さまの心と私たちの心が一つになるときに、良い心が生まれます。神さまの心は愛です。神さまの愛は、私たちを急かしたり、慌てさせたり、何かを強制することはありません。赦しがあり、憐れみがあり、忍耐があり、寛容なのです。
私たちは、良いものに触れれば、その姿につくりかえられていきます。その成長はゆっくりです。最初は、種のような小さいものでしょう。土にまかれ、何も良いものが見えません。自分がすぐにふさわしいものになれなくても失望しないでください。理想と現実があまりにかけ離れていても、慌てません。ゆっくり確実に、神さまの愛のそば近くで育まれ、愛の実を結びます。
偽りのない信仰ー愛の実を味わう
神さまを信じる思いから愛と安らぎが出てきます。私たちは、自分に愛がないと思っても絶望する必要はありません。今、人間関係の困難な状況があったとしても、許せなかったり、受け止められなかったりしても、それは足りなさではありません。神さまの愛が与えてくださった愛の実を味わうようにして今日の日を歩みます。その実は、心に、喜び、平安を与えてくださるのです。もし、1日の歩みで、神さまが共にいてくださる安らぎと愛を感じることがあれば、そこに本当の信仰の喜びがあるのです。
今日も1日、良い日でありますようにお祈りしています。