おはようございます。
必要が満たされる日でありますように。
☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙4章7節
『あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。』
心と考えは、今日も様々なことに対処することがあります。充足する時もあれば、時には、冷たい風を受けるかもしれません。失望の嵐の中に巻き込まれてしまうかもしれません。心と考えが傷つき、自分自身の本当の姿を見失ってしまうようなこともあります。
神さまの平和が、今日、心と考えを守ってくれます。
試練の時に、悩みの時にも、大丈夫です。
今日のみことばには、「あらゆる人知を超えた神の平和」と記されています。
「あらゆる・・」というのは、多くのものを含んでいます。
たくさんの祝福です。数えられないような恵みです。
神さまの平和の光が今日、豊かにそして優しく注がれています。
その時、私たちの心と考えはどのように守られるのでしょうか。
・和解の祈り
憎しみ、怒り、不和、それらの思いは、自分の心を苦しめています。その痛みが強くなる時に、周りにも憎しみが広がっていきます。神さまは、人と人との間、事柄と事柄の間に立ち、とりなし私の手ともう一方の手を握り、真ん中に立って「平和があるように」と呼びかけてくださるのです。
・揺るがない安心
神さまとの絆が結ばれる時に私たちの心に安心が与えられます。目で見える状況が大変な時こそ、神さまとの絆が深められる時です。人生で経験するマイナスを悲観する必要はありません。苦しみは、神さまの呼びかける声です。「わたしに繋がりなさい、平和を与えよう」と。
・健全な心
健全な心になるのは、よりシンプルに生きることです。100個の重荷を背負って生きることは難しいです。そしてもっと難しいのは、重荷を手放し委ねることです。荷物を背負うことには一所懸命でも、その荷物を降ろしたり、委ねたりすることはなかなかできないのです。荷物を持っていない自分を不安に感じているからです。シンプルで大丈夫です。世にある安心を持てなくても、神さまはあらゆる平和を備えてくださっているのです。
・究極の満たし
今の現実の中ですべてを満足できない時があります。与えられているものよりも、与えられていないことの方に目を向けてしまうことがあるからです。わたしたちの心は、隙間、空間、満たされていない部分を必ず抱えています。それは空しさや不満足感を強くしてしまいます。心の空いているところに信じる思いを満たしていきます。信じる思いとは、まだ見ぬ希望、まだ与えらていない祝福を、すでに手にしているかのように神さまに感謝します。その時、良いものを与えてくださる神さまを経験するのです。
・信仰の助け
私たちの生活は、信仰を持っても、持っていないくても同じように日々歩いていきます。信仰はある時は杖として表現されます。同じ人間、変わらない人生、でもその手には杖があるのです。支えがいつでも備えれていて、祈りの杖を高く掲げる時に、海の中にも道が開かれます。私が弱くても神さまが力強く導いてくださっているのです。悲しみは慰めに変わり、嘆きは喜びへと変えられていくのです。それは神さまの平和が与えられているからです。
・みことばの光
明日のことを思い煩いません。将来のことを心配しません。過去のことを悔やんでいつまでも心を暗くしません。みことばの光が今日を照らし、どのような困難な道でも、みことばの光に導かれて、歩いていくことができます。周りの状況を憂いたり、恨んだりする必要はありません。暗闇という霧は自分ではどうにもならないことがたくさんあるからです。解決方法は、その手に光を持つことです。神の平和というみことばの光を手にしているのです。
・赦された罪
イエスさまは、十字架につけられ、三日目に復活されました。平和を叫びつづけたイエスさまの声は、響いています。「罪は赦された、あなたは大切な神の子」と。十字架の重荷を負っていたお弟子さんたちに、「もう重荷を下ろしなさい。わたしはよみがえった。平和があるように」と語られました。自分を責めることをしないで、イエスさまを見つめます。何かを憂いたりしないで、イエスさまを信じます。自分のあり方に固執するのではなくて、ただ委ねます。平和と愛が今この時を満たしているからです。
あらゆる平和・・語りつくせないほどです。(長くなってごめんなさい・・)
たくさんの天の祝福をもって、今日の日を守っていてくださっています。