海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

5月11日 味付けはお好みで

おはようございます。
神さまを知ると感動することが多くなります。


☆今日の御言葉 詩篇104編15節
『人の心を喜ばせるぶどう酒を生み出し、油で人の顔を輝かせる。パンは人の心を強くする。』


わたしは、毎日納豆を食べています。(きらいな方がいたらごめんなさい・・)先日、とても安くて美味しそうな納豆を買いました。その納豆を食べようと思った時、とてもショックなことが起きたのです。なんと・・その納豆には、味の決めてとなるタレもからしも付いていませんでした。パッケージにはこう書いてあります。「味付けはお好みで・・」


伝え方はとても大切だと思いました。「タレとからしは付いていません」というのと「味付けはお好みで」というのは印象がだいぶ違います。
ちょっと表現を変えるだけで、何か新しく、自由で、ユーモアが生まれることがあるのです。


悩み深い出来事を抱えることがあるでしょうか。神さまは、その悩みの渦の中で練られた私たちを見違えるように美しい輝く姿に変えてくださるのです。誰かと比べて弱さを抱えることがあるでしょうか。自分の弱さを味わう人は誰よりも人の痛みに寄り添うことができ、勝利者として高い頂上にひとりでいるよりも、人々と喜びと痛みを分かち合うことになるのです。弱さ、不足ということでさえ、神様がよりよく味付けされるならば、あなたの可能性は無限に広がり、想像をはるかに超えた神さまにある人生の喜びに繋がるのです。


今日の聖書箇所は、読み方によってとてもユーモアに感じます。


・ぶどう酒はどのように生み出されますか?
ぶどう実は摘み取られます。豊かに実ったぶどう、美しく見えるぶどう、それが人の手で摘まれ、なんと踏まれてしまうのです。どうしてでしょうか。ぶどうの気持ちになって見てください。なぜ、足で踏まれなくてはいけないのでしょうか。涙が出ます。しかし、それはものすごく豊かなぶどう酒になるためでした。人々の喜びにつながることでした。
人の足で踏まれるような惨めな思いをしたことがありますか。なぜ、この人はこんなことをするのかと打ちのめされる経験をしたことがありますか。ぶどう酒は美しいです。ぶどう酒は、味わい深いです。魅力はさらに引き出され、多くの人の心の喜びとなったのです。


・油はどのように抽出されますか?
油分を取り出すために、原料を加熱したり、破砕・圧扁されます。なんとひどい話でしょうか。誰のせいですか。ただ原料はそこに植えられて成長しているだけでしたが、摘み取られて、破砕される必要があるのでしょうか。悲しくなります。もしかしたら、丁寧には扱ってもらえないかもしれません。投げ出され、大雑把に扱われるでしょうか。人間であれば、そんな扱いをされたら耐えられないことでしょう。その油は、ものすごい価値をもたらします。人の顔を輝かせるのです。どんな素敵な人でしょう。苦しみと痛みは、だれかの幸せにつながっているのです。


・パンはどのように作れますか?
ここまでくるとお分かりだと思います。パンは、ものすごく複雑な工程をとおって、出来上がります。捏ねられたと思えば、放置され、叩かれ、潰され、伸ばされて、熱いオーブンに入れられます。わたしは耐えられません。一つの苦しみではありません。一つの試練ではありません。次から次へと、何かの手が加えられていくのです。そして、美味しいパンは焼かれるのです。人の心を強くするのです。わたしたちは、何度打ち叩かれるような思いで試練を乗り越えたでしょうか。その経験は、最高に味わい深く、人の心を強くする人、あなたの輝きです。


朝からずいぶんひどい話をしてしまいました。
わたしたちは、神さまにあって、どこからでも立ち上がることができます。
わたしたちは、練られても、叩かれても、焼かれても、さらに豊かなものにされていきます。


タレもからしもないと嘆くのではなく、味付けはお好みで、と言ってしまいましょう。
神さまに味付けしてもらうのが一番です。自分には足りないものあると気づくことが、
逆に、ものすごく大きな可能性を秘めていることにつながっているのです。


弱さに胸を張り、苦しみに笑顔を輝かせ、倒れてもさらに豊かなものとして立ち上がれるのです。


今日は神さまがどのような味わいを加えてくださるのでしょうか。
幸運をお祈りします。


※5月10日の海老名シオンの丘教会 礼拝動画です。
 お時間のある時がありましたら。
Youtube :   https://youtu.be/iX8LmvbYTY0

 

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5月10日 魂の自由人

おはようございます。
私たちはとても愛されている神さまの子どもです。


☆今日の御言葉 ガラテヤ3章28節
ユダヤ人もギリシャ人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。』


今朝、大空を羽ばたく鳥の姿を見ていました。
その鳥は、大地から飛び立ち、風に吹かれ、朝の澄んだ空気の中を、今日の必要の糧を求め飛んでいます。その姿に神さまにある自由を思い起こしました。


自由と喜びは、自分という小さな枠組みだけに固執するところから離れ、大空に羽ばたく鳥のような、助け、備え、守り、共生、生かされていることを豊かに見つめることなのでしょうか。


私たちの世界は自由です。大きな神さまの愛に包まれて、今日の日が与えられています。それと同時に、自由を妨げている何かがわたしたちの内には存在しています。硬い岩のように、鎖のように、自由に飛び立つ鳥にはなれないことがあります。イエスさまは、私たちにみことばの風を吹かせてくだるのです。その魂の自由を今日経験しましょう。


・自分という小さな世界は、神さまの愛という豊かな世界に包まれているのです。
・私の世界観を神さまの視点からのものに変えてみます。


この2つを意識するだけで、魂は自由にされていくのです。


ユダヤ人、ギリシャ人は、神さまの民の豊かさの中に置かれました。
私たちは、それぞれの民族性や人間性、育った環境の中に生きてきました。それはとても大切な人生です。その自分の本質と思う部分にこだわって生きています。その部分が決して崩されてはいけないと思っています。アイデンティティと呼ばれるものをさらによく育てることを人生の目標としています。しかし、自分の豊かさを育てるようで、自分の内面のあり方のみに固執してしまうのです。わたしたちの本当の自由は、自分に集中することから離れ、神の民にされたところを拠り所として生きることなのです。自己に固執することから離れ、イエスさまの愛に目を向ける時に、自由になるのです。


★奴隷も神さまの愛する子とされました。
運命は、本質的にはわたしたちを支配することありません。立場や役割は、運命に繋がれて、自由になれない時があると思っています。しかし、実は運命を縛っているのは私たち自身なのです。価値を高めるために、自分自身の役割を承認してもらい、他の人に正しく評価されることによって、その人生が報われることを求めます。しかし、多くの場合に、十分な評価がないのです。心地よい言葉や賞賛を得ることができません。人生は不幸と決めてしまいます。人の評価の上に立たなくていいのです。神さまはどんな小さなことも見ていてくださって、十分に報いてくださる恵みの世界を生きることができるのです。運命はイエスさまと共に歩むことで変えられるのです。


★男も女も、神さまの慈しみの眼差しで見つめられています。
男性も女性も、尊厳を求めています。尊厳は、この世で生きる私たちにとっては最高の価値です。この尊厳は、誇りによって高く築かれていきます。たくさんの誇らしいことを積み上げ、相応しさという壁で覆い、家をりっぱに仕上げていくのです。尊厳の価値を撃ち壊すものがあれば、どんな力をもっても阻止しなければといつも気を抜くことをしません。イエスさまは、何も積み上げることをしませんでした。すべてを捨てて、嘲られてもなお十字架の道に歩みました。この苦しみの人は、最も祝福された人となったのです。最高の祝福は、空の手を天に向けて、栄光の冠をいただくことです。


エスさまにあって違いを乗り越え、愛し合い、祈り合い、今日の日を自由に羽ばたきましょう。

 

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5月9日 神さまとアイスティー

おはようございます。
神さまは微笑んで、ある時は喜んで今日を祝福してくださっています。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙 6章4節
『キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。』


美味しいアイスティーの入れ方を教えてもらったことがあります。アメリカの方なので甘いです・・。水二カップを入れた鍋に、ティーバック2袋を入れて、一旦沸騰させます。そのまま10分おいて、できた濃厚ティーを、大きめのポットに注ぎます。まだ熱い内に、ブラウンシュガーを2カップ入れて、よく混ぜ、さらに2リットルの水と氷を入れて味を整えます。一つひとつの素材が融合し、溶け合い、そしてとても味わい深いアイスティーになるそうです。お気に入りのカップに注いで、ゆっくりと味わうと幸せな気持ちになります。


水とアイスティーというのは不思議な関係です。味のついていなかった水が、ある人の手によって、非常に美味しい飲み物へと変化していくのです。
神さまは、私たちの人生にも同じようなことをしていてくださっています。


水は、とても大切な飲み物です。水は水として存在していますから、ほかの物質にはなれません。水に「あなたは生リンゴジュース」ですと言い聞かせても、一瞬でも変化するでしょうか。それは無理なことです。私たちは、時には、自分という存在を、全く違う存在と比較して、評価し、自分が他の何かにならなければいけないと、苦しんでしまいます。


私たちは別の性質、性格には、決して変わることができませんが、
自分らしく、より個性の輝く姿へと変わることはできるのです。

 

水という存在はものすごく可能性があるものです。ここにある工程が加わることによって、味わ深く、意味深く、そして人々を幸せにすることができるものに変化するでしょう。この変化を実感できるのが、神さまと共に歩む道なのです。


神さまはひとり子イエスさまを私たちに与えてくださいました。
人として生まれ、十字架の道を歩み、栄光の復活の体験しました。
今日は、イエスさまと一緒にその栄光に続く道を、わたしたちの人生の道を見つめながら、思い巡らしてみましょう。


エスさまの生涯に、死と復活があり、そこから新しい命が生まれました。
わたしたちは、新しい命に生きています。


死(鍋の中の水)・・十字架は苦しみと死の象徴です。わたしたちは、ある時十字架を背負うのです。恐れの時です。水が大きな鍋に入れられて、火によって沸騰させられるように、わたしたちの内側の何かが動かされます。激しい試練の中で自分のあり方が変化していきます。耐えられず、自分の力も知恵もその中では無力なのです。わたしたちは死を経験します。自分自身の死であり、その死は消えてなくなることではなくて、新しい力に満たされるための変化の時です。失望したり、自暴自棄にならないでください、イエスさまの苦しみと一つになれる時です。苦しみを通して、信仰の深みへと到達します。


復活(栄光の味わい)・・神さまは、わたしたちが一番弱いと思う時に助けてくださるお方です。捨てることはなく、見離すことはないのです。イエスさまの死は新しい時代を開く扉となりました。神さまは、もっとも深い悲しみの十字架に、「栄光」を輝かせてくださったのです。神さまを体験する場所は、わたしたちが砕かれ、生きる道を見ることができずにいる時です。弱い時の力となり、絶望の時の希望となり、闇の中での光となるのです。死から新しい姿へと造り変えられるのです。


新しい命(個性の輝き)・・もう水は水のままではありません。試練もありました。神さまの深い御心に出会うために、自分自身のあり方が変化していく過程を通りました。神さまを経験するものとされ、沸騰した水に砂糖が溶け込み、紅茶の葉が溶け合うように、まったく新しいものが生じたのです。そして、この新しい命は、自分のためだけではありません。人は、用いられたり、役になっていると思ったり、だれかの幸せのために生きる時に、自分の人生を幸せにすることができるのです。神さまの愛の導きによって、個性は輝き、人の喜びのためにも用いられます。


水は、あなたらしい、あたらしい、味わい深い人生に変えられました。
わたしたちはどんなティーですか?


△ 甘く優しい スイートティー
△ 魅力的な シナモンティー
△ だれもが好む ミルクティー
△ 個性豊かな ハーブティー
△ 深い思想をもつ アールグレイティー
△ いつでも直球、素直な ストレートティー
△ 刺激的な レモンティー
・・・・


どなたも素敵な人々です^ - ^
 

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5月8日 人は変われる

おはようございます。
希望を信じる人の周りには、心地よさがあります。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書20章21−22節

『「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」』


人が変わるのは難しいでしょうか。自分を見ると、どうにもならない頑なな思いがあります。そうなってしまうのには理由があります。決して私たち自身の性質の問題ではありません。人は、今までの経験してきた出来事によって、よくも悪くも、自分自身が形成されてきました。


私たちの意識では、過去と現在と未来が、一本の線でつながっていると思うことがあります。過去に痛みがある場合は、今も痛みがあり、未来にも不安が出てきます。過去に喜びがあれば、今も平安な気持ちが心に宿って、未来を拓きます。


エスさまが十字架から復活をされてから、「時の感覚」が変化しました。
過去と現在と未来ではなくて、平和と使命と希望で人生がつながっていくのです。


私たちの人生のあり方を今日、書き換えて見ましょう。
それは、わたしたちが本当に恵みによって豊かに変えられていくためです。
過去と現在と未来は、つながっているようで、実は、切り離し、整理し、よりよく連結させることができます。そのために、意識的にする心の作業があります。


*過去を平和に書き換えます
私たちは、前を向いて人生を歩いているようで過去に縛られているのです。今日の気持ちは、過去から来たものであるでしょう。その過去を整理する時に、私たちの今日は変化していくのです。過去という言葉の意識を「平和」と書き換えてください。


平和は、神さまの赦しです。平和は、わたしたちの後悔や失敗を委ねることです。平和は、環境や人の言葉で傷ついたその出来事に支配されないで、ただ神さまの愛を受けることです。平和は、過去のどんな場面にも一人で振り返らずに、恵みのイエスさまと共に事実を見ることです。過去は平和へと変えられます。


*今を使命に書き換えます
わたしたちは、自分の能力や知恵によって今を生きています。その枠組みで今の現実を見ています。自分への評価が人生の幸不幸を決めると思ってしまっています。


エスさまに導かれる今、とても不思議なことが起こります。時に、難しい重荷を背負ったり、なぜ自分がそれをしなくてはいけないかというストレスを経験することがあるのです。自分を責めたり、人のせいにしたりします。でも過去や周り、自分を見つめ続けないでください。神さまの使命があるのです。今いるここが、イエスさまがわたしを遣わした場所です。重荷に感じたり、自分にはできないと嘆く必要はありません。必要としているすべてのことは神さまから与えられます。知恵も力も言葉も、慈しみも愛も注がれるのです。


*未来を希望に書き換えます
わたしたちは、未来を見ることができません。どんなに能力があっても、富をもっている人も、だれも未来を見ることはできません。大きな声では言えませんが・・実は今、未来を見せられることがあるのです。それは奇跡とか観念的なことではありません。イエスさまはお弟子さんたちに「聖霊を受けなさい」と語られ、息を吹きかけられました。風を受けたのです。みことばが自然と前へゆく力を与えてくださったのです。


吹く風を受けて進む時。自分の力を抜きます。未来を信じます。自分が拓く未来は想像の範囲内ですが、聖霊の風が拓く未来は、予想外で、まだ見たことのない、神さまの恵みをたたえる大きな感謝につながるのです。未来を恐れるよりも、この聖霊に導かれていけば、今日は希望へと続いているのです。


未来予想図 (神さまにあって実現可能なことです)
□多くの問題は、心配している通りにはならないでしょう。
□祈り続けてきた祈りの課題が、一つひとつ最善のこととなるでしょう。
□思ってもみなかった人が救われるでしょう。教会にも来るでしょう。
□体の健康は損なわれることがあっても、私たちの内側は日々新しくされるでしょう。
□あなたにしかできないことが、人生の最後の時まで与えられるでしょう。
□わたしたちの信仰の証しは、永遠に語り継がれるでしょう。
□その続きを書き記してみてくださいね。
                                 
                                 
                     
わたしたちは今日変えられます。より良い未来に共に歩みだしましょう。

 

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5月7日 心の窓を開けてみると

おはようございます。
コロナの渦の中ではなく、神さまの只中に生きています。


☆今日の御言葉 ヨハネ20章29節
『私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。』


わたしたちは、今、お部屋を換気したりして、風通しをよくしていると思います。私たちの内側はどうでしょうか。もしかしたら、現実の空気だけを取り入れて少し息苦しくなっているかもしれません。この先の見えない不安を感じながら、自分であれこれと考える時間も多くなっているでしょうか。今日は心の窓を開けて、みことばの恵みの風景を見てみましょう。神さまの愛という新鮮な風が吹いてきます。


心の窓をなかなか開くことができない人がいました。イエスさまのお弟子さんのトマスです。先が見えず、期待が裏切られ、イエスさまの十字架の意味と復活の希望を信じることができないでいました。それはとても辛いことです。トマスが心に神さまの恵みを信じることのできなかった3つの理由があります。それが心の窓にかたく鍵をかけていたのです。


1、こだわり・・イエスさまの十字架は、理解できないものでありました。人々はより豊かになること、生活に平和が訪れること、抑圧から解放され自由になることを求めている中では、十字架は、弱さの象徴であり、敗北の姿であり、死そのものでした。


「わたしは決して信じない」(ヨハネ20:25)その思いはトマス自身を生きにくくさせていました。「こだわり」から「みこころ」を静かに思い巡らします。自分のこだわりの窓を開け、神さまのみこころの吹く風を感じましょう。


2、不安・・不安とは、自分の立っている場所を見失うということから生じる心の思いです。トマスは、立ち位置を失いました。自分の足で立っているそのところは、圧政と苦しみの地に生きていると思っていました。


不安を取り除く、たった一つの方法があります。それは、周りを見すぎず、自分の足元を自分の人生という土台に立つことを諦め、みことばの土台に立つことです。非常に幅の狭い平均台の棒に立つように、不安定に感じるかもしれません。もとのいた自分の知恵や経験という土台の方が、広く、確実で歩きやすいのです。でもその道の先には人間の限界地点があるのです。


わたしたちは、今日語られるみことばの上に立ちます。それは、狭く、細く、(みことばメールのように・・)理解し難いことも多くあります^^;祈りの手でバランスをとります。心の姿勢を崩すことがあれば、みことばで整えます。そのように、少しずつ、一歩一歩、進む時、しだいにこの細くて、そして、実に豊かな道に慣れて来ることです。その道は天の御国へと続いているのです。


3、行き詰まり・・人生の歩みの中では、一度や二度、本当に行き詰まってしまうことを経験することがあるかもしれません。行き詰まる時、自分の信じてきた夢が奪われ、大きな絶望の壁が立ちはだかり、それをどう乗り越えていいのか分かりません。


トマスはそこで、イエスさまと出会いました。行き詰まり、自分の限界、そこは、恵みの神さまとの出会いの場所です。行き詰まりはなく、それは、曲がり角で見えなかっただけです。先に進んで、曲がり角に立てば今までは全く違う、恵みの世界が開かれ、新しい神さまの愛の風景を見せられて、必要を備えてくださる道に歩むのです。


心には3つの窓がありました。一つひとつ鍵を開けて、今日は新鮮な風を感じましょう。

 

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5月6日 夜明けに立つ人

おはようございます。
空しさの中でこそ豊かな神さまと出会えます。


☆今日の御言葉 箴言4章18節
『正しき者の行く末は輝き出る光のようだ。進むほどに光を増し、真昼の輝きとなる。』


一日の時間を人生に当てはめると、今どのような時を歩いているでしょうか。


◇真夜中にいるようにずっと暗闇に囲まれているという時を過ごしていることもあるかもしれません。◇朝の光を浴び、今が一番期待と希望に満ち溢れている時だと感じている人もいるでしょう。◇そして、昼の光を全身に浴びるように、最も祝福され、最も充実していると思える時を過ごしているでしょうか。◇しかし、午後の日差しが強くなるように、何かに疲れ、少し前までは何ともなかった出来事が、重たく感じる時もあります。◇そしてやがて、夕暮れ時を迎えます。よく歩いてきました。疲れもあり、後悔があっても守られていました。でもどこか生活の変化に心がついて行けずに、現実を受け止めることがまだできずに寂しさを抱える時があります。◇しだいに、闇は深く、深くなってきます。かつての喜び、日の光に照らされた充実もありません。失われるようなことばかりです。とてもつらい現実を歩むことになります。


多くの場合は、年齢や環境の変化、今経験している出来事には抗うことはできません。良い方に進んでいると思えれば、安心ですが、もし悪い方に行くのではないか思えば、今日を喜ぶことが難しくなります。体も心も、環境も変化し続けていきます。


実は、ここにこそ信じて生きる道の価値を知ることができます。◇年を重ねるごとに恵みは増し加わり、喜びの質が変化します。◇乗り越えた試練の数だけ、神さまが支えてくださる力を知り、その経験は誰かのための祈りや励ましに用いられます。◇弱さの中でこそ、みことばの恵みの体験が深くなり、よりイエスさまの御心に近づきます。◇人生の中で、わたしの力も状況もうまく行かないと思う時こそ、新しく扉は開かれ、その道を信じて歩む時に、わたしたちの周りにいる人たち、家族にも恵みが注がれていくのです。


神さまに導かれて、今日立っている人生の場所は、それはいつでも夜明けなのです。
この静かな時間、空気も澄んでいます。何ごともまだ慌ただしく動いていません。
でも、これから神さまの恵みの光が照らされようとしていることを知っています。


今日、今、わたしたちは、たとえ人生のどのような時を経験していても、神さまと夜明けに立っていて、希望を信じてとりなし祈ります。しだいに、神さまが照らしてくださる光の強さを感じます。ますます恵まれ、祝福は増し加わり、真昼の輝きのような時を過ごすのです。


みことばの光は、真上からあたたかく、豊かに照らしています。
その中を共に歩みましょう。暗く、うつむき、自分自身で心配の荷物を背負わなくていいのです。


夜明けに立つ人は、これから始まる、素晴らしい神さまの業に期待するのです。
そして、それが実現するのを見るのです。信じて進むほどに光が増していきます。


朝日から昼の光へと、そして神さまを賛美する美しい夕刻へと、人生は素晴らしい方向へと導かれています。


年を重ねることは美しく、日毎にみことばを心に刻む人は輝いてます=(^.^)=

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5月5日 弱さを克服する方法

おはようございます。
今日はわたしの課題に最善に生きればそれで十分です。


☆今日の御言葉 ヤコブ1章5−6節
『あなたがたの中で知恵に欠けている人があれば、神に求めなさい。そうすれば、与えられます。神は、とがめもせず惜しみなくすべての人に与えてくださる方です。少しも疑うことなく、信じて求めなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。』


何かに欠乏することは、私たちに悩みをもたらすことがあると思います。何かと比べて劣っているとか、誰かの振る舞いをみて、自分には良きものがないとか、この世の中の事実を見ると、豊かさや成功や、見栄えの良いものが満ちています。その客観的な事実は、わたしたち自身を生きづらくさせてしまっていることもあると思います。


自分は「知恵に欠けている・・」と思っている人がいました。当時、知恵は、人の中にある一番高価な宝のようなものでした。その宝をたくさん持っていると思う人もいれば、そうではない自分に思い悩むこともあったのだと思います。


わたしたちは、すぐに変えることができない事柄、自分の力では解決できないこと、この世の動かしがたい事実、その前で無力であり、そこにたくさんの心配と悩みの種があるのです。
その心配の種を育ててしまうこともできますし、逆にそれを宝ともすることができるのです。知恵に欠けていることを宝と、なぜ言うことができるのでしょうか。


それには理由があります。祈り求めても変わることがない現実、過去のトラウマ、自分の性質や人間性、より良いものがたくさんあったとしても、心配の種が芽を出し、木となり成長し、人生を暗く覆ってしまっている現実をわたしが見ているだけなのです。


この暗闇が覆っている現実を変えてみて見ましょう。悩みの種となっていることに祈りを加えます。ちょうど、お料理に塩をふりかけるように、むなしいと思う事実にみことばの命を吹き込むのです。素材はそのままであっても、味が変わります。それを受け止める感覚が変わります。わたしたちが経験する一つひとつの出来事にその作業を加えます。自分の感情で処理するのではなくて、静かな湖畔で神さまと一緒にいるように祈ります。多くの場合はこの作業には時間が必要です。


祈りと信仰を、わたしが経験する出来事の上に味付けし、色付けし、意味づけをします。


私自身の欠乏、弱さを通して、何が起きたのでしょうか。
それは、神さまが求めるこんなに豊かな祈りささげる人になったのです。
弱さがなければ、人の痛みも気づけないこともありました。
苦悩し、挫折をすることを通して、わたしにふさわしい恵みの扉が開かれました。
立ち止まり涙することもありました。そこで恵みのイエスさまに出会うことができたのです。


苦しみや弱さや、挫折の経験は、自分の力ではない、圧倒的な神さまの力が人生の道を開く経験となったのです。この苦しみを乗り越える経験は、だれかの助けとなり、神さまをほめたたえて生きる証しとなり、表情も人生も美しい祈り人とされているのです。


天の倉庫には、わたしの祈りの答えのすべてが積み込まれています。
もうすでに存在しています。あとは、その道筋、配送ルートを確保するだけです。


神さまに求めるならば、その道が開かれます。
いつでも、どんな時にも、満たし、惜しみなく与えてくださるその愛を知るのです。


天国の宅配便は、大きな荷物を届けてくれます。


天の故郷から届く配送物を受け取りましょう。
そして、みんなで開いて喜び、わたしたちの大切な人生に用いていきましょう。
 

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