海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

9月4日 今日が救いの日

おはようございます。
自分の良いところが生かされ誰かが喜ぶ日でありますように。


☆今日の御言葉 ヨハネ黙示録1章17−18節
『この方を見たとき、私は死人にようにその足元に倒れた。すると、その方は右手を私の上に置いて言われた。「恐れてはならない。私は最初の者であり最後の者、また、生きている者である。ひとたび死んだが、見よ、世々限りなく生きており、死と陰府の鍵を持っている。』


以前、アメリカのキリスト教の歴史を勉強しているときに、ジョナサン・エドワーズという人の生涯を調べたことがあります。18世紀のアメリカで信仰復興運動(リバイバル)が起こり、その運動を導いた指導者と言われています。当時のアメリカの社会には、差別、格差、腐敗してしまうような人々の生活がありました。あるとき、ジョナサン・エドワーズが聖書からメッセージを語ったときに、多くの人々の心に神さまを求める思いが宿り、今まで教会に行ったことがなかった人たち、聖書を読んだことがなかった人たちが、神さまの救いを求めるようになったのです。人々が教会に押し寄せました。そして、人々の生活は変えられ、そのことが社会全体に大きな影響を与えるまでになりました。


書物の中で、ジョナサン・エドワーズは、ある日体験した、神さまとの出会いを記しています。「私は涙にあふれ、声をあげて泣いていた。たましいが燃え上がり、空っぽで消滅したとしか表現しようのないものになるのを感じ、塵の中に横たわってキリストだけに満たされ、聖い純粋な愛でキリストを愛し信頼し、キリストによって生き、キリストに仕え、聖なる天上の純粋さによって完全に聖められて、純粋になるのを感じたのである。」


神さまは、あるときに、私たちに深い悲しみを見せるときがあります。大きな重荷が自分の人生を苦しめていることを気づかせてくれることがあります。喜びではなくて、私の心の深いところにある闇と思えるような罪が見えるのです。その罪は、犯罪者ということではなく、自分の中にある不信、冷えた愛、欲望の虜、恐れ囲まれた深い闇を抱えているものであることに圧倒されるのです。


黙示録の著者は、「私は死人のようにその足元に倒れた」と表現しました。涙があふれ、本当の自分の深い内面に自分を奮い立たせる力がないことを思うのです。どうにか、背伸びをして自分の力で立とうとがんばるかもしれません。それでも、自分の力では完全に力強く立てない存在なのです。神さまを必要としている私たちです。自分の意識や感覚では、神さまを信じることの抵抗感を強くもちます。しかし、純粋に本質的に、本当の私の存在は、神さまの救いを求めているのです。


右の手を私の上に置いてくださる方がいます。右の手というのは、神さまの力強さの象徴です。「恐れてはならない」と呼びかけてくださる神さまがいます。自分で立ち上がることができないときこそ、恵み深い神さまの愛を知るようになります。罪は私たちを支配しません。暗闇はもう私たちを悩ますことはありません。死と滅びは私たちの人生の終着点ではありません。


今日の御言葉に「死と陰府の鍵を持っている」とあります。死と陰府に向かう門の扉に鍵をかけて、閉じるように、イエスさまの十字架は、私たちを救う力となりました。だれでも、神さまをよび求める人は、救われるのです。新しい人生がはじまるのです。心には喜びが与えられ、いつでも神さまに愛されている者としての祝福の日々が待っています。


エスさまを信じるお祈り
「神さま、そのままで私たちを愛していてくださることをありがとうございます。愛を信じ、救いを信じます。私の暗闇に光をてらしてください。自分を信じ、神さまを必要としていないかのように振舞っていました。おゆるしください。私が求める時、祈りを聞いてください。私の生涯に神さまの祝福と愛を豊かに満たしてくださり、祝福を伝え、愛を分かち合い、赦されたものとして赦し、愛されたものとして愛し、祈りの道に歩いていくことができるように守ってください。心にイエスさまを迎えます。アーメン」


神さまを信じる道に喜びがあります。
 

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