海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

12月17日 神さまと私-最強の関係

おはようございます。
神さまの愛はあたたかく今日を包んでいます。


☆今日の御言葉 ヨハネの手紙第一 2章1節
「私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、私たちには御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。」


オカリナ牧師(久保木聡先生)の「聖書ゆるり散歩」という記事を読みました。このように書かれています。


「牧師を始めて間もない頃、良い牧師と言ってもらえることを求めて、心を尽くして仕えていました。良い説教と言われることを求めて、説教の準備をしていました。相手に喜んでもらえたことや必要に届いたこともあります。でも、いつもがそうではありませんでした。


その人の必要は、その人でなければ分からないゆえ、どれだけおもんばかっても届かないことがありました。相手が求める量や時間を提供できないこともありました。相手の称賛、拍手を求めれば求めるほど、苦しくなる自分がいました。そんな中で、「自分の労苦に満足を見出す」という言葉に出会いました」


自分の労苦に満足を見出す・・人と比べてではなく、気を引くためでもなく、たとえ感謝されないことがあって、むなしいと感じる時にも、今生きていること、だれかのために寄り添っていることは尊いことです。


労苦は、私たちの人生につきものです。労苦は避けることができませんが、乗り越える道は与えられています。心を整理にして、本当に大切なことを担い、使命に歩み、人と違っていても、弱さや足りなさがあっても、不必要に重荷を担いすぎず、委ねて、集中して生きる道があります。


神さまは、「私の子よ」と私たちに呼びけてくださっています。私たちは神さまに愛されている子です。子どもは、一日一日、その時その時に生きています。明日の心配、未来を憂いて生きません。大変なこともあります。嫌なこともあります。それは過ぎ去ります。そしてまた新しい一日を日ごとに楽しみ、喜びます。


父と子の関係ー神さまと私の関係によって、人生は豊かになるのです。目に見えるものはかたちを変えますが、神さまとの愛の関係は、決してなくなることがありません。祝福は溢れ、尽きることがないのです。


この父と子の関係から離れては、私たちは本当の喜びを得ることができなくなります。聖書は、この愛の関係が破綻してしまうことを「罪(的が外れる)」とよびます。罪は私たちの行いが改善することで解決するのではなくて、神さまとの関係が回復することで、人生がより豊かなものとされていくのです。


今日、父なる神さまと私との関係を見つめてみませんか。心配や恐れや自分の心の傷を見るのではなくて、慰めと癒しを与えてくださる神さまがそばにいてくださるのです。


目を閉じて、思いめぐらして見ましょう。私たちは一人ではありません。


・弁護者が共にいます
失敗もあります。後悔もあります。だれもが完全には生きることができない弱さを抱えています。この人生の課題は、私たちを悩ますためにあるのではなくて、神さまと私をつなげるためにあるのです。私の心の痛みに寄り添い、とりなし、すべて益としてくださるのです。


・正しい方が共にいます
私の正しさが拠り所ではありません。誠実に精一杯生きることがありますが、自分の正義はすぐに揺らいでしまうことがあります。神さまのもとに本当の正しさがあります。良いことをしてくださり、人生を最善に導いてくださるのです。


・イエスさまが共にいます
エスさまは悲しみを知っている方です。深い祈りをもって私を支えてくださっています。弱くても、力は与えられます。道に迷うことがあっても、真実な道、良い道に歩ませてくださっています。闇は支配することはありません。悪に負けることはありません。心は神さまを賛美する人生にさせてくださるのです。


一生懸命に、丁寧に、祈りつつ今日の日を。
 

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12月16日 思考の柔軟体操

おはようございます。
寒い朝です、お風邪をひかれませんように。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書1章4節
「言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。」


人生は発想の転換で新しい道が開かれたりすることがあります。心を柔軟に、自分の可能性ではなくて、神さまが与えてくださる可能性に目を留めて今日の日を歩みます。


関西のテーマパークで「ユニバーサル・スタジオ・ジャパンUSJ)」があります。USJの年間入場者数が右肩下がりに落ち込んでしまった時がありました。しかし、あることをきっかけにV字回復していきます。


その一つの象徴となったのが、ジェットコースターを後ろ向きに変えて走らせたことでした。今までの常識では、ジェットコースターは前向きに走らせることでしたが、少しの発想の転換で、とても面白いアトラクションに変わっていったのです。


大きなことを変えたのではありません。今まであったものを一新したのでもありません。今の状況、可能な範囲で、少しだけ発想を転換することで、新しいものが生み出されていきます。


エスさまを信じることと、この発想の転換は似ています。イエスさまは社会のシステムを変えるためにこの世に生まれたのではありません。現実は、変わることなく、人々の生活の中に困難がありました。


エスさまの救いの道を紹介した人がいます。洗礼者ヨハネと呼ばれる人です。ヨハネのメッセージは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ3:2)でした。


エスさまのメッセージの第一声も「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」(マルコ1:15)でした。


「悔い改め」は、難しいことではありません。神さまの方に向きを変えることです。悲しみから喜びを与えてくださる方へ、痛みから癒しを与えてくださる方へ、絶望から救いを与えてくださる方の方に向きを変えます。


思考の柔軟体操です。固執した思い、考え方のくせ、固まった気持ちに伸びをするように、深呼吸しながら今を見つめます。神さまの愛があることを思って、大きく腕を伸ばします。どうせ自分は・・というマイナス思考から、こんなに愛されている自分に・・という感謝が与えられます。


もう一つのエクササイズ・・たとえば、目の前に困難があります。この問題は自分の力ではどうすることもできないものです。原因を探すでしょうか。より良い対処方を模索するでしょうか。


柔軟体操です。神さまの愛のみことばの中で静まります・・。

 

神さまにある人生の中に本当の意味での「困難」はありません。困難はわたしが作り出した意識でしかないのです。確かに難しいことはあります。しかし、それを通して神さまの助けを知り、恵みに出会い、寄り添ってくれる人の存在を改めて実感したり、自分が成長している姿を見るならば、決して「困難」ではありません。


何も恐れることはありません。不安も絶望も、見方を変えられば、その出来事があるからこそ、神さまを信じることの価値が輝いていくことがあるのです。

 

この世は暗いと嘆くより、光を見つめる人になります。神さまの愛が、スポットライトのように今日の私の歩みを照らしています。周りが暗くても、問題があっても、神さまの愛と救いは決して離れることはありません。


心配は、祈りに変わります。憎しみという心の重荷を降ろして、ゆるしの道に歩みます。わたしが暗闇で立ち止まっても、イエスさまは、力強く私の手を引いて、命と希望の道に歩むようにと語られるのです。それが私の本当の幸いであることを知っているからです。


どんな中にあっても、心は幸せに生きる私たちです。
 

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12月15日 届いています、神様の声

おはようございます。
新しい朝、憂いは過ぎて、光が照らされています。


☆今日の御言葉 ヘブライ人への手紙7章25節
「それで、ご自分を通して神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。この方は常に生きていて、彼らのために執り成しておられるからです。」


神さまの声があるとしたら、どのような響きなのでしょうか。体の耳は、世の中の声をたくさん聞いています。良い情報もあれば、人の言葉で傷つくこともあります。


耳から入る情報や言葉は、私という存在の根底に満ちていて、人格や思想を形成しています。その根底に満ちている思いや考えは、試練や困難の時があると、動揺や存在不安に変わってしまうことがあります。


何を聞いて、何を心に満たし生きるかはとても大切なことです。


実は、体にある耳ではなくて、心にも耳があります。心の耳は、神さまと私を結びつける、祈りの心です。人間はだれでも、何かに祈りたい、求めたい、自分以外の崇高な存在を求める思いを持っています。


心の耳は、静かな声を待っています。真実な声を聞きたいと願っています。神さまは、その私たちの心の耳に語りかけます。「恐ることはない」と毎日語られるのです。


心の声でみことば聞く時に、私の存在は、神さまの愛に守られていることを知ることができます。闇の中にも光が照らされ、恐れの中にも信仰は輝き、力と備えは神さまが与えてくださることを求め続けるようになります。


ゆっくりと静まり、神さまのささやくような小さな声を聞きましょう。あなたは祝福の人です。今日の日は、困難があっても神さまの愛と守りは満ちています。


手に握っている恐れや不安は、自分で抱えずに横に置きます。


神さまの御声が届いています。そのままで耳を傾ける時に、希望はやがて実を結ぶことを知ることができます。


・神さまの愛に招かれています
心の耳を開いて聞いてみてください。私たちは、愛されている存在です。虚しさを経験したでしょうか、落ち込ませる言葉を聞き続けてきたでしょうか。弱い者だと、足りない者だと思ってしまっているでしょうか。そうは真実ではありません。ただの体の耳で聞いてきた情報や言葉なのです。私たちの存在の根底にあるのは神さまの愛なのです。


・あなたは救われます
エスさまは、手を左右に縛られて十字架につけられました。それは、大きな手を広げて、私たちを救いへと招く神さまの愛の姿です。この救いの道に歩くことができます。何も背負いこまなくていいのです。心配の代わり信仰の杖を持ちます。一歩一歩、支えられます。一日一日、必要なものは備えられます。労苦もありますが、神さまの救いに通じる祝福の道を歩いているのです。


・Stand by me ー 共にいる
一人で歩く道には寂しさがありますが、救いの道には、神さまの愛の温もりがあります。イエスさまが一緒に歩いてくださるからです。自分でどうすることもできない問題を抱えることがあるでしょうか。自分自身だけを見つめる人生から視点を離し、共に歩いてくださるイエスさまを見つめます。私の心をすべて知り、いつでも助けてくださるのです。


・祈られている幸い
お祈りは、私(人)が神さまに向かって祈るということだけではありません。イエスさまが私たちのために祈ってくださっているのです。悲しみが深く、祈れない時があります。希望を抱けないことがあります。現実の困難に直面し生きる力を失います。そっと寄り添い、とりなし祈られているのです。祈られている人は、その現実の中に神さまの業を見るようになります。自分の力が弱くても、力強い守りの出来事を経験するようになるのです。


神さまの声で私の今日は祝福に包まれます。
 

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12月14日 大丈夫、勝てます!

おはようございます。
降り注ぐ神さまの愛は、今日とても豊かです。


☆今日の御言葉 ヨハネの手紙第一5章4節
「神から生まれた人は皆、世に勝つからです。世に勝つ勝利、それは私たちの信仰です。」


世に勝つ勝利・・それは私たちの信仰です。今日、この日、私たちの人生は、敗北や後悔、挫折は支配することはありません。心には、様々な思いがあることでしょう。イエスさまは、一つひとつを慈しみ、憐れみ、赦しの愛をもって見ていてくださっています。


必要以上に思い煩ったり、心配する必要はありません。過去は変えられず、明日はまだ来ていません。神さまに愛されているという今だけが人生の中心にあります。


人には、それぞれに課題が与えられています。祈りの課題でもあり、目の前にある問題です。自分の心の痛みであるかもしれません。これらのものは、私たちが成長するために与えられているものです。


誰かのせいにするのでもなく、自分自身をも責めず、祈りをもってただ観察するように、見つめます。この課題は、決して悪いものではありません。悩ましいものでもありません。やがてそこに神さまの栄光は現されるのです。


神さまは、必ず助けてくださるでしょう。弱い時にこそ助けは与えられ、葛藤する中で信じる思いは成長し、心の痛みの中から深い祈りが生まれます。


不必要な感情の動きで、今日の大切な日を悩みの日にはしません。すべては益となります。神さまの手の中ではいつでも最善がつくられます。


一人ひとりに与えられている課題は、誰かがその人の代わりに取り組むことはできません。自分でしかその課題に取り組めないのです。でもそこに希望があります。神さまと私との関係の絆(信仰)は、この課題に取り組む中で強くなるからです。


神さまは、私たちに信仰という宝を与えてくださってます。その信仰の可能性を大きく育てます。恐れに目を留め続けると、恐れは成長します。心配に思いを寄せると悩みが心を覆い尽くしてしまいます。雑草のように私たちの心に根付き、暗闇で覆い尽くしてしまうのです。


神さまは、私たちにイエスさまを与えてくださいました。イエスさまは、農夫のようなお方です。私たちのうちに来てくださり、泥まみれで、雑草がたくさん生えているその心に、命のタネを蒔き、傷を癒し、悩みの雑草を抜き、祝福の花を咲かせてくださっているのです。


人生は変えられます。神さまの愛によって、信仰が豊かに実を結ぶ人生にしてくださるのです。祝福は次から次へと、恵みの上にさらに恵みが与えられるのです。


私たちが暗闇の方に、否定的思いの闇へと進みゆく時、神さまの愛は、追いかけて来て、本来立つべき場所、生きるべきところ、神さまにある信仰の勝利を味あわせてくださるのです。


大丈夫です。私は弱くても、私たちに与えられている信仰はその問題に勝利することができるからです。
 

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12月13日 あなたは祝福の人

おはようございます。
寒い朝ですね、みことばで心を暖かくしてくださいね。


☆今日の御言葉 ガラテヤ書3章14節
アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、私たちが、約束された霊を信仰によって受けるためでした。」


クリスチャンアーチィストで、久米小百合さんという方がいます。40年の前、「異邦人」という曲が大ヒットしました。今でもテレビCMなどで曲が流れているので、聞いたことがある方もいるかもしれません。当時は、久保田早紀として活躍していました。


デビューから2年後にクリスチャンになります。小さな頃、教会学校に通っていました。あるインタビューでクリスチャンとなるきっかけとなったことをお話しされていました。


歌手として活躍している当時、取材などで曲作りの動機や音楽のバックボーンを尋ねられることがたくさんあったそうです。


「何のために生き、誰のために歌うのか」ということを考えていた時に、教会に戻ろうという気持ちにさせられます。そしてクリスチャンになりました。自分の生きる意味、歌う意味を見い出したのです。


異邦人という曲は、旅がテーマとなっています。苦労や心の傷を抱えて旅をします。それでも、悲観的な旅ではありません。道は続いています。挫折の道、痛みの出来事も通って、人は新しい経験をしてくのでしょう。


今日のみことばに、アブラハムに与えられた祝福が、キリストによって私たちに満ち溢れている喜びが語られています。


旧約聖書アブラハムという人が出て来ます。アブラハムは、ある時、神さまから語られて、旅をしました。行き先も知らずに、ただみことばに励まされて旅をしたのです。異邦人で歌われている旅のようです。


神さまは、アブラハムに語りかけました。
「私はあなたを大いなる国民とし、祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福の基となる。」(創世記12章2節)


人生の旅路は過酷でした。決して安全、安心が保証されていたわけではありません。道のりは困難でした。しかし、アブラハムを支えていたのはみことばの約束でした。


神さまは、私たちを祝福の基としてくださっています。誰が何と言おうと、何が起ころうと、たとえ苦しみの道を歩いても、苦しみの人、悩みの人ではありません。祝福の人です。


祝福の基となって、祝福の源流となって、周りに川のように、神さまの恵みは流れていくのです。この暗闇の地で希望を語る人です。悲しんでいる友のために信じて寄り添いいつまでも祈る人です。


自分の存在の価値、生かされている意味、自分の根底を支えているものは、神さまの祝福であり、守りだからです。


神さまの愛は、今日の豊かに注がれています。


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12月12日 祈りが聞かれる時間帯

おはようございます。
無いものを嘆くより与えられているものを感謝します。


☆今日の御言葉 詩篇5編4節
「主よ、朝に私の声を聞いてください。朝が来る度に、あなたに向かって身を整え、待ち望みます。」


私たちの人生は、絵本の1ページずつをめくっていくような日々の歩みです。大変な日もあります。良いことが起きない日もあります。それでも、その日、1ページが悪いものであっても、次のページがあります。


朝が来る度に、神さまは私の祈りを聞き、今ままで歩いたことのない道、神さまの恵みの日がはじまります。過ぎたページのことは終わりました。


手元に1冊の絵本があります。アリソン・レスター作の「どうぶつがいっぱい!」という絵本です。


少しだけ、想像して読んでみてください。
少年、少女のような気持ちで・・。


「もし、いまいるところが、とおいくに、あるいはおおむかしの、大自然の中だったなら、いったい、どんなけしきが見えるでしょう。思い浮かべてみましょう。そのあとで、そっと、ページをめくってください・・」


1ページ目「もしここがほんもののジャングルだったら・・おしゃれな、ちょうがとんでいて、ひょうが、いばってあるいている。おしゃべりインコは、赤や青。木のぼりサルは、ひょーい、ひょい」


目をつむって、つぎのページを開いてみて!と続いていきます。そのページには、花や木、ジャングにたくさんの動物たちがそれぞれの生活をしているきれいな絵が描かれています。なんとも楽しそうです。


もし、今日の日が神さまの愛の世界であったら・・想像してみてください。


花は神さまを讃えて美しく咲き、空は神さまの大きな手を広げるように満ちていて、悲しんでいる人のそばにイエスさまがそっといてくださる、喜んでいる人には、天使が手をあげて祝福している・・


どのような暗闇が覆っていても、神さまは大きな愛をもって私たちの見ていてくださり、祝福していてくださっているのです。


朝ごとに、神さまは力を与えてくださっています。その時の助けや知恵、迷う時には道を示してくださるのです。


さあ、今日も新しい1ページが始まります。


目をつむって、想像してみます。私の願いを聞いてくださる神さまがおられます。良いもので満たしてくださるお方が一緒に歩いています。


そしてまた・・
朝が来て、次のページがはじまります。少しどんよりとしたくらい気持ちが抱えるような日でしょうか。そんな日もあります。


黒い雲が覆っていても、その雲の上には太陽があります。涙を流すことがあるでしょうか、その涙をそっと拭っていてくださるイエスさまが見えます。多くの愛に囲まれています。神さまの恵みは、海辺の砂のように、空の星のように豊かなのです。


一日、一日、過去の出来事は、もう今日のページにはありません。未来の心配も、まだしなくて大丈夫です。結末は、お楽しみに。悪いことには決してならない、神さまの計画があります。


神さまの恵みは朝ごとに新しいのです。
今日は、どのような神さまの愛に出会えるでしょうか。
 

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12月11日 本当の愛は一方通行

おはようございます。
恐れなくても大丈夫です。救いは与えられます。


☆今日の御言葉 ルカによる福音書16章10節
「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。」


マザー・テレサノーベル平和賞を受賞した時に、周りの人たちからこう言われたようです。「なぜ、あなたのように有名な人が、インドの貧困をなくし、世界平和のために声を上げないのですか?」マザー・テレサはこう答えました。「私には、偉大なことはできません。私にできることは、小さなことに、大きな愛を込めることなのです。」


神さまは、私たちの日々を見守っていてくださっています。誰かのための手の業、祈り、そっと助けようとする思いを知っていてくださっています。


大きいことと小さいことがこの世界にあるのではありません。私たちに与えられている、目の前にある一つのことに、一人の人に愛を込めて関わったことは、神さまの目には大きな祝福の出来事なのです。


「小さいことに忠実な人・・」それが今日の私たちです。


忠実という言葉は、ギリシャ語では、「信仰」とも訳すことができます。些細なこと、空しいと感じてしまうこと、何の良いものがあるだろうかと思うことがありますが、グッと堪えて嘆きません。


神さまは働いてくださるからです。小さなことの中に、意味ある出来事を与えてくださるのです。空しさのなかにも、尊い価値を見出す時に、現実は変化していくのです。


私たちは、自分の知恵で、大きことや小さいこと、価値あることや価値ないものと思ってしまうことがあります。これは良い、これは悪いと判断をくだします。しかし、それは単にこの世や人が見ている事柄にすぎません。信仰が働くとどうなるのでしょうか。闇に光が、弱さにも強さが、貧しさにも豊かさを見ることができるのです。


無から有を生み出すことができる神さまは、私たちのどのような現実の中にも、大切に学ぶべき課題を与えてくださっています。この苦しみの道を通って今の自分があると思えることがたくさんあります。私たちが今日するどのような手の業も無駄なことは一つもありません。


本当の愛は一方通行です。見返りを求めません。自分が満たされることだけを求めません。与えて、与えて、時には裏切られ、馬鹿にされます。それでも、与えて、愛して、祈り続けます。


報いは神さまから豊かに与えられます。溢れるほどです。
愛を込めて、大切な一日を歩みます。
 

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