海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

4月25日 神も仏もない??

おはようございます。
「今、ここが」充実していれば、人がどうであろうと大丈夫です^ ^


☆今日の御言葉 イザヤ書45章15−16節
イスラエルの神、救い主よ、まことに、あなたはご自分を隠される神。」


神さまは、どこに隠れているのでしょうか。
現実の様々な出来事を見ると、どこに救いがあるのだろうかと思うことがあります。


神さまは清く美しいお方であるので、きっと、この世もわたしの生活の課題も、きれいに整え、求めた祈りのすべてはわたしの思う完全なかたちで実現し、すべては心地の良い平和な社会が実現することを願うかもしれません。


とても理想的な人生を実現してくれたら、わたしたちは神さまを信じるかもしれません。


しかし、この世はあまりに痛んでいます。人々の苦しみ、果てしない暗闇、この世にも人の心にも、わたしの心にも良きものを見ることが難しいことがあります。
神も仏もない・・と言う人もいますね。


エスさまは、十字架につけられました。その当時、人々の目には神の子の姿には見えませんでした。神々しい姿ではありません。人々は、希望や愛の中に神さまを見い出したいと思いましたが、平和や喜びの中で神さまを見ることができませんでした。

 

エスさまの十字架のなかに誰が神さまを見たでしょうか。しかし、そこに神さまがおられました。神さまの栄光がありました。イエスさまは、苦しみと一つになりました。
痛みの現実とまったく一つとなる場所にいるのです。


神さまは、苦しみのただ中にいます。わたしとあまりに近くに、そして一つとなっているので、神さまが一緒にいてくださると思えないかもしれません。


喜びの中に神さまを感じるよりも、痛みの中でこそ深く慰めに満ちたイエスさまに出会うのです。平和の中だけではなくて、不安と苦しみの中でこそ、イエスさまがあまりに近く、寄り添い、癒し支えてくださっていることを見るのです。


そして、この痛みのキリスト、沈黙していると思ってしまう神、その理解を深めていく時に、わたしたちの心に願いや問いが生まれます。


「なぜ、苦しみがあるのだろうか」「神はいるのだろうか」「人生はどうなるのだろうか」
「助けてほしい」「守ってほしい・・」
心の渇きが生じるのです。それが祈りの原型です。祈りが心が生まれる瞬間です。


その時こそ、内なるキリストの声を聞くのです。
「わたしは苦しみの中にともいる。あなたを覆う暗闇は光に照らされる」
絶望の中でこそ聞こえる、イエスさまの声に出会うのです。
みことばに出会うのです。


神さまは今日共に生きています。痛みの現実の中でともに痛んでいます。


そして、やがて、見事に私たちは、苦しみから立ち上がらせてくださるのです。
どんな暗闇の中にあっても、神さまの愛が勝利するのです。


 

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