おはようございます。
みことばは、優しい光となって私たちの今日を照らしています。
☆今日の御言葉 ヨハネの手紙第一 5章10節
「神の子を信じる人は、自分の内にこの証しを持っています。」
自分の内に証を持っている・・なんと大きな喜びでしょうか。「証し」という言葉は、ギリシャ語で「Maturos」で、本来の意味は、命をかけてでも、自分の内に守りたいものがある、という揺るがないものです。神さまが私たちのためにしてくださったことの全てです。
それは、宝のように私たちの内側で輝いています。神さまは私たちの内に生きておられます。迷う時には助けられてきました。必要はその時々に一番良い方法で備えられてきました。これからも守られます。
今も一人ではありません。傷ついていても癒してくださるお方がいます。この先の道を見通せないことがあっても、神さまはいつでも最善のものを与えることができるのです。
クリスチャン作家の三浦綾子さんという方がいます。ある対談の中で、このように語られました。
〝私が死ぬときは結局、周囲のすべての人々に対して「いろいろありがとう」ということと「許してくださいね」ということと、この二つしかないような気がします。ほかにも探せばいろいろあるけれど、この二つの言葉だけは素直に、本心から言って死にたいですね。〝
これは、三浦綾子さんの「証」の言葉です。心から溢れる思いがありました。神さまとの関係を通して、この真実な言葉が私たちの内に宿るのです。そして、それは、優しさ、感謝、祈りとなって、私たちの口から出てきて、周りにいる人たちの心を励ますのです。
私も人生を終える時に、「ありがとう」「許してくださいね」と言いたいです。
ありがとうの心をいつでも大切にしていたいです。ただの口先だけの言葉ではありません。どのような人間関係にも、難しい人との関わりの中でも、必ず「ありがとう」と思える接点があります。
私たちは、愛されることを求め続けてしまいますが、愛されるよりも、愛することを大切にする時に、現実はより良い方向へと進んでいきます。
神さまは私たちと共に人生の旅路を歩み、手をつなぎ、見たこともない恵みに満ちた風景をこれからも見せてくださるのです。証がまた増えていきます。
今日の大切な人生の日のためにお祈りしています。