海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

11月29日 神さまの手の大きさ

おはようございます。
身は低く、心は高く歩ませてください。


☆今日の御言葉 イザヤ書59章1節

『見よ、主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。」


アルゼンチンのサッカー選手であったマラドーナ氏が60歳で亡くなりました。当時、14歳であった私は、1986年ワールドカップメキシコ大会の準決勝を見ていました。アルゼンチン対イングランドの試合で、ドリブルで五人抜きをしてゴールを決めた時には、全身鳥肌が立ちました。こんな素晴らしい選手がいるのだと、憧れ、サッカーに夢中になり、マラドーナが試合のために来日した時には、国立競技場まで見に行ったことを懐かしく思い起こします。


そのマラドーナイングランドとの準決勝の時に、自分の手でゴールを決めてしまう疑惑「神の手」と呼ばれる出来事が起こりました。真実が分からないので、「神」という言葉が使われたのかもしれません。


「疑惑の神の手」ではなくて、聖書には、「確かな神さまの手」があります。神さまの手は愛であり、私たちに力を与え、救いを実現するものです。この神さまの手が伸ばされる時に、私たちの人生は変えられていくのです。問題の中に、何か不思議な出来事が見えてきます。神さまは、荒れ野に道を開いてくださる方です。


イザヤ書の時代、暗黒がその地を覆っていました。


その時、人は、神さま手を見ることができませんでした。なぜ、救いを与えてくだされないのかと嘆いていたのです。


イザヤは人々に語りました。「主の手が短くて救えないのではない。その耳を遠くて聞こえないのではない・・・あなたがたの過ちが神とあなたがたとを隔て、・・罪が御顔を隠し聞こえないようにしている・・。」


神さまと私たちとを隔てている過ちと罪があります。イエスさまは、十字架で私たちの過ちと罪を背負い、その隔てを取り除いてくださったのです。


神さまの手が伸ばされます。私たちは、豊かにその手のあたたかさ、大きさに包まれているのです。闇の中にも光を与えてくださるkことを知ることができます。悲しむ人のそばに近づき、慰めのみことばを語られます。つまずきの石を取り除いてくださるのです。


神さまの手と私たちの祈りの手が結ばれる時に、人生の歩みの一つひとつは、私たちを悩まさせる課題ではなくて、暗闇の中にも、失望と恐れの中にも働いてくださる恵みの出来事とされるのです。


いつでも共に祈りましょう。


神さまの手が届かない場所はありません。
今日ここに神さまの恵みの出来事が起こります。


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