おはようございます。
神さまはそっと手をとり、今日を共に歩いています。
☆今日の御言葉 ルツ2章12節
『主があなたのそうした行いに報いてくださるように。あなたがその翼のもとに逃れてきたイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。』
今年、世界157ヵ国から、2万人の子どもたちが考えた「優しさ」が寄せられた「国際ユース作文コンテスト」というものが行われました。作文コンテストへの応募条件は、自身が考える「優しさ」を、10実践すること。この作文コンテストの前に、世界中で、2万人×10の「優しさ」が行われたとのことです。
最優秀賞である文部科学大臣賞を受賞したナイジェリアのビクトル君(14歳)の考える優しさとは、無償の愛でした。このような言葉で説明しています。
「ある日、町一番のお金持ちが言いました。『優しさなんてものは、弱い人間がもっと弱くてどん底の人間にみせるものさ』と。彼が亡くなった日、葬儀の会場には、9人しかいなかった。僕が思う優しさは、”無償の愛”です。僕には、”優しさ”そのものの存在であった、オカフォーという年の離れた友達がいました。オカフォーは、子どもの頃に両足を失い、とても苦労した人です。でも彼は、スケートボードに乗りながら、いつも町を掃除し、草を刈って、子どもやお年寄りを元気づけていました。足を失くしても、貧しくても、彼がいるところにはいつも喜びと笑顔があった。・・」
オカファーさんは、結核で亡くなってしまいましたが、多くの人たちがその死を悲しみました。ビクトルくんは、地域でボランティアのグループをつくってオカファーさんの優しさを今でも実践しています。
聖書に出てくる優しい人といえば、ボアズという人です。ボアズは、慰めの人であり、優しい人でした。ボアズは、イスラエルの地に逃れてきた外国人ルツを慰め、親切にしました。それは当時の感覚では信じられないことです。外国人は「よそ者」(ルツ2:10)で神さまの救いから一番遠い人たちと思われていたからです。ボアズは、ルツを神さまの翼のもとに逃れてきた人、として見ました。偏見、分断、拒絶の反対側に、優しさ、愛、慰めがあります。
聖書が伝える優しさとはなんでしょうか。
ボアズの優しさが私たちの心にも伝えられます。
10の優しさ・・を今日一緒に祈り、実践してみます。
・労う・・人知れず苦しみを抱えています。誰かをそっと労う日でありますように。
・祈る・・神さまの翼のもとでその方が慰めを得ることができますようにと、誰かのために祈る日でありますように。
・共に苦しみ、共に笑う・・何も語らず、心を合わせるように、心は離れず、一緒にいますように。
・愛する・・本当の愛には犠牲があります。誰かのための労苦は、純真な愛のしるしです。
・ゆるす・・ゆるすことは、祈ることです。自分の手で握りしめるものをそっと手放し、委ねる日でありますように。
・祝福を分かち合う・・祝福を信じている人の周りには、安らぎと癒しがあります。
・そっと手を差し出す・・だれにも見えなくても、だれから評価されなくても、優しさを誰かにプレゼントする日でありますように。
・共にいる・・ひとりぼっちではありません。心と心はイエスさまの愛で結ばれていることを信じる日でありますように。
・神さまの愛を知る・・神さまの愛に委ね、待ち望み、心を満たします。優しさは、心の満たしから溢れます。
・救いの道に一緒に歩む・・誰よりも優しいイエスさまが一緒です。救いは与えられています。希望を信じて生きる人は誰かを豊かに励ますことができます。
10の優しさ、一つでも、神さまの祝福が広がりますように。