海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

10月30日 あっぱれな人生

おはようございます。
問題に祈りをプラスすれば、解決になります。


☆今日の御言葉 ヨブ記9章27節
『「嘆きを忘れ、暗い顔を捨て、明るく振る舞おう」と言ってみても、私はすべての苦痛を恐れている・・』


天晴れ!(あっぱれ)という言葉があります。驚くほどりっぱであることや、見事なさまを賞賛する時に使われています。「お見事!」「素晴らしい!」という褒め言葉としても知られています。


実は、「あっぱれ」の語源は、「哀れ(あわれ)」というものだったそうです。全く意味が違うものになりますが、哀れ・・があっぱれとはどのようなことなのでしょうか。哀れもあっぱれも、喜びも悲しみも心の底から湧き出る感情のすべてを表す言葉です。心の底からの感情は、生命の尊さ、危うさの中にも、そこから生み出される力があることを、あっぱれと表現したのです。

 

人は様々な感情を抱くことができるからこそ成長し、立ち上がり、その経験は人を力強く育てるものに変わっていくのです。そして、「見事、素晴らしい!」思える人生を歩むことができるのです。


聖書の中に登場するヨブは、まさにあっぱれな人生でした。真っ暗ら闇のトンネルの中にいるような苦しみを味わいました。言葉にはならない激しい苦難、悲しみ、絶望、人間が味わう不幸と思えるすべてのことを経験しました。これ以上ない苦しみや痛みを経験しならがら、哀れが→あっぱれになっていくのです。


苦しんだ人は人生の深い喜びを知った人です。たくさんの涙を流した人は、流した涙の数だけ神さまの恵みに喜ぶことができるのです。あっぱれは、苦しみから生まれ、尊い人生の幸せは、自分の人生で起きた出来事を決して否定することなく、苦しみの中にある宝を発見する人です。


すべての自分の人生の時に向き合います。無理をせず、否定的に思わず、たとえ失望であっても、そこには希望が生まれることを信じていたいのです。ヨブは嘆きを忘れようとしてもできませんでした。暗い顔を捨てようと思ってもできませんでした。明るく振る舞えませんでした。それがあっぱれな人生なのです。


・嘆きを忘れなでいい
嘆きの感情は、落胆であり、誰にも理解されない悲しみでもあります。深いため息がでてしまうでしょう。これをあっぱれに変えてみましょう。みことばにつながるならば、私たちの人生は、しだいに変化していくことがあります。嘆きは、祈りです。嘆きの中にこそ、真実な神さまを求める思いが与えられているのです。嘆きの経験を忘れようと思わなくていいのです。嘆きは深い祈りへと、神さまを信じる思いの豊かさにつながっているのです。


・暗い顔の時もあります
暗い顔は、優しさの表情です。苦しみを知っている人は、だれかの痛みをわかってあげられる人になります。苦しみの表情は、広い心の現れです。広い心は、人生の痛みや失望を包み込み、新しい希望を生み出す人です。イエスさまは、十字架の上で暗い顔をしました。人々の痛みを背負っている姿です。苦しみや痛みを自分のものとして受け止めることができる、本当に尊い人なのです。


・明るく振る舞えない時もある
そのままでいきましょう。辛い時は辛いのです。嫌なことは嫌なのです。暗い夜道をそのまま歩くと、目は暗闇に慣れて、暗闇のままでも前をしっかりと向いて歩くことができます。ネオンの光ではなくて、私の内にあるみことばの光が輝き、道を照らすようになります。心は喜べなくても、明るく振る舞えなくても、内側が神さまの愛で喜んでいる新しい自分の姿を経験させてくださるのです。あっぱれです!


哀れは、あっぱれと言える人生の喜びは、神さまが今日実現させてくださいます。
 

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