おはようございます。
神さまの守りを実感する日でありますように。
☆今日の御言葉 詩篇119編159−160節
『私がいかにあなたの諭しを愛しているか見てください。主よ、あなたの慈しみにふさわしく私を生かしてください。あなたの言葉の一切が真実です。』
賛美歌21の493番に「いつくしみ深い」という賛美歌があります。よく歌われる曲で、クリスチャンではない人も知っている人が多い賛美歌です。この賛美歌の作詞者ジョセフ・スクラヴィンという方は、1819年アイルランドに生まれました。その後、カナダに移住します。結婚式の直前に婚約者を事故で失ってしまうという悲しみを経験しました。深い悲しみを経験した人は、深い祈りの人になりました。
そして、「いつくしみ深い」の賛美歌は、故郷アイルランドにいる病気のお母さんを慰めるために作った曲であったと言われています。歌詞になる前の詩の言葉を目にしました。
〝キリストこそ、この上ない良い友。私たちのあらゆる罪と悲しみを荷われる。祈りによってすべてのことを神に告げることができるのは何たる特権。おお、私たちがしばしば心の平和を失い、負わずともよい苦痛を負うのは、みな祈りによってすべてのことを神に告げないからである。〝
私たちも今日、何をしていても、どこにいても、イエスさまはこの上ない良い友として一緒に歩いてくださっています。良き友イエスさまに何でも話してみましょう。
・祈り尽くしてみる
祈りながらも、恐れや不安が心を覆ってしまうことがあります。まだまだ祈ることができるようです。まだまだすべての思いが祈りになっていないようです。時間がかかってもいいのです。喜びも悲しみも、今日の小さな感情の動きも心に触れている思いも、祈りに変えています。難しいことではありません。思い、感情、その気持ちに「神さま、」と呼びかけます。それでも心が祈りに向かない時には、みことばを読みます。みことばは、心を開かせ、神さまへと向かわせてくれるのです。
・一緒に歩いてみる
祈りの道があります。自分の生涯、今日の日、今この瞬間にいつもいつくしみ深いイエスさまの眼差しが注がれていることを意識します。上を見上げてもいいです。横を見てもいいです。このことをしている時も、あのところに行く時も、どこにいても、私たちは守りの中にいます。たとえ、恐れが迫ってくるようなことがあっても、今は現実の重荷が軽くならないと思うことがあっても、祈りの道を歩く人に注がれるイエスさまの慈しみ深い眼差しは離れることはありません。待っていてください。やがて大きな喜びの出来事を見るようになります。
・アーメン(はい、と言う)
「あなたの言葉の一切が真実です」(詩篇119:160)この言葉は、私たちがお祈りする時の最後に言うフレーズです。アーメンというのは、神さまが私たちに口に授けてくださる恵みの言葉です。アーメンと告白する者に、その真実が生活の中に実現していくのです。いつでも「アーメン(はい)」といいましょう。心が揺れてしまう時、恐れや不安に流されてしまうような時、未来の希望を見失う時、「大丈夫、わたしは神さまに守られる、アーメン!」と祈りの宣言をしましょう。
祈りは聞かれ、見たことも聞いたこともない、神さまの恵みを知るようなります。