海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

9月21日 安らぎを得る方法

おはようございます。
なんくるないさ〜 (なんとかなる、の沖縄の言葉)


☆今日の御言葉 ヘブライ人への手紙2章9節
『ただ、「僅かの間、天使より劣る者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と誉れの冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死を味合われたのです。』


クリスチャン作家の三浦綾子さんは、たくさんの病気を抱えていました。小説「天の梯子」の中で、私が病気の時は・・という素直な気持ちを書いています。


「この私の病気が、私の生涯にとって、必要欠くべからざるものであるということ、感謝をもって受けとめることができますように、力をお与えください。苦しみや退屈に耐える力を与えて、このベットを、自分に与えられた教室として、今日の日を過ごすことができますように。御心ならば、病むことを通して、人々にキリストの恵みを伝えることができますように」


とても辛い中にあっても、身体が思うようにならないことがあっても、心は自由に、信仰を拠り所として、生きる道があることを教えてくれます。


今日のみことば、ヘブライ人への手紙を書いた人も、十字架のような出来事を経験しつつも、イエスさまの栄光を見つめて歩いていきました。


エスさまの死・・それは苦しみの象徴であり、心の痛みと悲しみを思い起こす出来事です。見つめることが辛いことであったかもしれません。しかし、驚くことに、ヘブライ人への手紙の著者は、その死の苦しみの先に、「栄光と誉の冠を授けられた」ことを見たのです。見通しのです。祈りの中で、聖霊の助けをいただきながら、苦しみだけを見て恐れてしまう現実の先に、よく見ると、栄光と誉の冠が見えるのです。


私たちの労苦は、報われます。痛みや悲しみも絶望で終わることはありません。天の栄光を見続けます。イエスさまと一緒に歩み続けます。その時に、私たちも見て、やがて味わうのです。神さまの恵みが私の人生の中にも豊かに現されていることを知ることができます。


神さまの愛を心に満たします。安らかな心になることでしょう。
以下のことを思い巡らし、ゆっくりと祈りの時をもちます。


・「私が安全で守られますように」・・私が危険を免れ、危険に対する恐れから自由でありますように。私の中の傷つきやすく大切なものが守られ、損なわれませんように。


・「私の心が安らかでありますように」・・私が可能なかぎり幸せで満たされますように。私が、私のものに自由になることで、喜びに満たされ、解放されますように。私の活力がよどみなく流れ、心の健康がよい状態に保たれ、豊かになりますように。私が落ち込んでいる時、誰かがいてくれますように。


・「私の体が安らでありますように」・・私が可能なかぎり健康でありますように。私が健やかであり、痛みをまぬがれますように。私が恐れ、怒りあるいは緊張なく痛みとともにあることができますように。


・「私が思いやりをもって生きられますように」・・私が可能なかぎり少しのストレスで生きられますように。私の過ごす日々の周りにスペースがありますように。私のかかわりの中によどみなく流れる思いやり、温かさ、そして寛大さがありますように。


祈りは聞かれ、暗闇の中に光が差し込み、苦しみや痛みの先にも、栄光と誉の冠を見るように神さまが助けてくれます。



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