海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

9月12日 相撲(すもう)のルーツは聖書に!?

おはようございます。
ゆっくりと自分と向き合い、私らしさが輝く日でありますように。


☆今日の御言葉 創世記32章25ー29節
ヤコブは一人、後に残った。すると、ある男が夜明けまで彼と格闘した。ところが、その男は勝てないと見るや、彼の股関節に一撃を与えた。ヤコブの股関節はそのせいで、格闘をしているうちに外れてしまった。男は、「放してくれ。夜が明けてしまう」と叫んだが、ヤコブは、「いいえ、祝福してくださるまでは放しません」と言った。男が、「あなたの名前は何と言うのか」と尋ねるので、彼が、「ヤコブです」と答えると、男は言った。「あなたの名はもはやヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。あなたは神と闘い、人々と闘って勝ったからだ。」


相撲(すもう)が好きな方も多いと思います。あるテレビで紹介されていたことですが、旧約聖書には、原語のヘブライ語で「シュモー」とか「スモー」という言葉が出て来ます。この言葉は、「彼の名前」という意味があります。また、すもうで「ハッケヨイ、ノコッタ」という掛け声があります。これもヘブライ語では、「ハッケ=投げつけろ」「ヨイ=やっつけろ」「ノコッタ=やったぞ(大丈夫)」という意味にもつながるということです。中東と日本をつなぐシルクロードから「スモウ」の文化も伝えられたのではないかと思う人たちもいるようです。


ヤコブは、ある夜に神さまと格闘(すもう)をしました。非常に激しい取り組みでした。どちらが勝つか、負けるか、ハラハラしながら見つめるような状況であったと思います。ヤコブは、大きな問題を抱えていました。それは、兄弟との確執です。その和解のために、ヤボクという川の橋を渡っていました。和解できる望みはありませんでした。大きな課題、試練に向き合う時に、自分の力以上の存在を求めるようになります。


そして、問題の解決よりも先に、「大丈夫、神さまは守り祝福してくださる」と思えた時に、すでに祈りの答えをいただいたことになります。ヤコブは、神さまの祝福の確約を求めて相撲(すもう)をしました。


どのような格闘であったのでしょうか。ひと時も目が離せない取り組みでした。


・神さまの一撃
ヤコブは、神さまに挑戦します。力を尽くしました。ヤコブは、神さまを追い詰めていきます。人間は、つねに神さまに挑戦しているのかもしれません。あらゆる知恵を尽くして、あらゆる思いで神さまを乗り越えるようとしている人類の歩みがあります。ヤコブは、その時、股関節に一撃をくらいます。命の危険ではありませんが、とても大切な部分を怪我するのです。足をひきずったままでは勝つことはできないでしょう。私たちはある時、砕かれた心にさせられる時があります。神さまを必要としている私であることを気づくのです。


・祈りという得意技
神さまに力では勝てませんが、人間の切実な祈りには、神さまの心が動かされるのです。問題の中にある時、痛みの中にある時、切実な求める祈りが心に生まれます。ヤコブは、神さまを放しませんでした。諦めませんでした。祈り続けました。信じ続けました。痛みがあっても、そのことによって自暴自棄になることはありませんでした。いつでも、信じる道、祈りが聞かれる道があることを見つめ続けたのです。「祝福してくださるまでは放しません」問題の解決以上に、神さまに祝福の御手で守られることを求め続けたのです。


・祝福の人という勝利
わたしたちは、今、何を経験しているでしょうか。どのような自分の姿を見つめるでしょうか。神さまの祝福は、感覚的なものでも、目に見えて良いことばかりが起きる状況的なことでもありません。私自身の今が変えられることです。私たちは憂いの人ではありません。悩みの人でもありません。絶望を経験している人でもありません。祝福の人です。神さまは私たちとともに歩いてくださり、ヤコブは大きな課題に向き合わなければいけませんでしたが、祝福の人は守られるのです。心配する必要はありません。祝福の流れの中で、神さまの最善が行われるのです。


「神さまは私を祝福し必ず守ってくださる」と、心に豊かに思う日でありますように。
 

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