おはようございます。
試練+祈り=恵みになります。
☆今日の御言葉 ヘブライ人への手紙11章8、10節
『信仰によって、アブラハムは、自分が受け継ぐことになる土地に出て行くように召された時、これに従い、行き先を知らずに出て行きました。・・アブラハムは、堅固な土台の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計されたのは神です。』
ちょっとした小話を・・。以前、海老名シオンの丘教会でお招きした先生が子ども礼拝のメッセージの中でこのようなエピソードを話されました。先生がある時、小田急線に乗っていました。車内アナウンスにハッとされられて、とても神さまから励まされ勇気づけられたそうです。その車内アナウンスは、「次はしんじゅく(新宿)・・次はしんじゅく(新宿)に到着します」というものです。このアナウンスのどこに信仰の励ましがあるのでしょうか。よく聞いてみると「しんじゆく(信じ行く)、しんじゆく(信じ行く)」と聞こえたからです。
私たちも「信じ行く」今日の日です。大変な問題もあるかもしれません。生きにくさを抱えることもあるかもしれません。それでも、今日の日も神さまが造られました。今日は恵みの日、救いの日です。
信じ行く歩みを実践した人がいます。旧約聖書に登場するアブラハムです。ある時、神さまから語られました。「あなたは生また地と親族、父の家を離れて私が示す地に行きなさい。・・あなたは祝福の基となる」(創世記12章1−2節)アブラハムは旅立ちました。行き先も知らずに、一つの約束だけは握っていました。「神さまが限りなく祝福してくださる」という力強い確信です。
旅をすることは大変でした。住み慣れた地を離れ、どうなるか分からない現実があり、全てのことが守られるという目に見える確証はありません。人間的な思いでの確証はなくても、神さまにあって信仰の確信はありました。
私たちは、人生の旅路の中で、石橋を叩いて渡るように確証を必要としているかもしれません。幸せになるという確実な保証、目に見える安心、それがあって初めて前へ進んでいくことがあるのでしょう。しかし、私たちの人生には、明日の確証すらありません。何が起きるかは分かりません。どんな幸せを保証してくれるのかと尋ね求めても、自分の思うような答えがありません。
しかし、神さまにあって生きる道には、みことばの約束はあるのです。「あなたは祝福されます!」という確信です。どんな道にあっても、今はその祝福のひとかけらも感じられないことがあっても、神さまは決して私たちに最悪のことを与えて悩ませ続けることはありません。
私の好きな賛美歌の一つを紹介します。
「明日はどんな日か、わたしはしらない。晴れか、嵐か、曇りになるか。私は明日を心配しない。イエスが私を守られるから。明日はわたしには分からないないけど、明日を守られるイエスがおられる。」https://youtu.be/xODSzkBIpcM
今日の日が神さまの愛と恵みで包まれていますようにお祈りしています。