おはようございます。
祈りが天に届けられていることを知る日でありますように。
☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二 12章9節
『主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ。」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。』
1980年代に活躍したチャールズ・スポルジョンという説教者がいます。多くの書物を著し、日本語にも多く訳されました。ある書物に記されているスポルジョンの言葉です。
「私は1日の厳しい仕事の後、馬車で我が家に向かっていた。疲れ切って、ひどく気が滅入っていたが、そのとき、稲光のように突然、聖句が浮かんできた。「わたしの恵みはあなたに十分である」。私は「まったくそのとおりです、主よ」と言って笑い出した。・・まるで喉がからからに渇いた小さな魚が、川の水を飲み干してしまうのではないかと心配し、それに対してテムズ川がこう言っているようなものだった。「好きなだけ飲むがいい、小さな魚よ、私の流れはあなたに十分なのだから。」
新約聖書の多くの手紙を記したパウロは、目の病気を抱えていたと言われています。不自由な生活がありました。この病気さえなければ、もっと元気に神さまに奉仕することができると思ったかもしれません。もっと健康であれば、多くの人たちに福音を伝える良い働きをすることができると思っていたでしょう。パウロは、自分に一つの棘(弱さ)が与えられていると告白しました。この棘(弱さ)が取り去られるように、なんどもお祈りしていました。でもこの祈りは聞かれなかったのです。
聞かれないお祈りがあります。それは、神さまが私たちの願いを無視しているのではありません。苦しみを見て、ただ天から眺めているのではありません。私たちにとっての弱さと思えること、取り去られたらどんなにか楽だろうかと思うこと、それはパウロと神さまをつなぐ恵みの絆となっていたのです。
痛みの中でこそ生まれる祈りがあり、悲しみの中でこそ強くなる信仰があります。ある課題の前で疲れ果ててしまうことがあるかもしれません。神さまは、苦しみの中にも私を祝福する道を用意してくださっています。立ち上がれない時にも慰めの出来事を通して、私を守っていてくださっています。
自分の力ではどうすることもできない問題の中にこそ、キリストの力が現されます。そして、心から「私は、神さまの恵みの中でずっと守られていた。神さまの力は弱さの中でこそ与えられ、私に与えられた恵みは十分であった!」と思えるのです。後悔はありません。痛みの出来事もずっと私たちの心を支配することはありません。神さまを讃えて生きる人生を用意してくださっているのです。