海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

8月19日 誰か行ってくれますか?

おはようございます。
暑い日が続きます。体には栄養を、心には神さまの愛が満たされますように。


☆今日の御言葉 イザヤ書6章8節
『その時、私は主の声を聞いた。「誰を遣わそう。誰が私たちのために行ってくれるだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。』


以前、神奈川県大磯町にあるエリザベス・サンダーズホームという所を訪問したことがあります。澤田美喜さんというクリスチャンの方が創設した施設です。第二次世界大戦後に日本に駐留したアメリカ人の兵士と日本人女性との間に多くの混血児が生まれました。その子どもたちは父親も知らず、母親からも見捨てられるという現実がありました。ある日、澤田美喜さんが満員電車に乗っている時に、網棚から包み紙が落ちてきました。黒い肌の捨てられた赤ちゃんでした。動揺し、心が痛む現実の中で、神さまから「この子の母親になりなさい」と呼びかけられたように思ったようです。そして、大磯にエリザベス・サンダーズホームを設立し、多くの孤児たちを受け入れました。


それは、澤田美喜さんに与えられた神さまの「誰が私たちのために行ってくれるだろうか」という呼びかけでした。イエスさまの心は、痛みのある時に回復を、傷のある所に癒しを、暗闇の中にいる人に命の喜びを与えたいと思っています。神さまの使命のために、私たちのそれぞれの人生は与えられています。


その声はどのように私たちに聞こえてくるのでしょうか。


聖なる心の痛み
ある現実を見ながら、その人の痛みが私の痛みとなり、その暗闇と思える現実にどのように光をもたらすことができるだろうかと考えるようになります。改善したいと願うこと、傷から回復されていく姿を思い描くこと、もっと社会がよりよくなるために、何かできないだろうかと心に痛みが生じるのです。それは、神さまの使命が私たちに与えられている瞬間なのです。


みことばの語りかけ
私の心の願いと聖書のみことばが一つになることがあります。私たちは、ある時心に飢え渇きの思いが与えられるのです。「どうしたらいいだろうか」とか「この現実に何ができるだろうか」と何かを求めるようになります。その時に、不思議とみことばが私の心に解決を与えてくれるのです。道を示し、「そうだ、自分のできることでこれをしよう」と勇気が与えられるのです。みことばとの出会いが私たちの人生に新しい可能性を開きます。


希望と救いを伝える人とされる
イザヤ書の時代、人々はバビロンの圧政という現実の中で未来の希望を見ることはできませんでした。イザヤは、暗黒の中で悲しんでいる人、苦しんでいる人たちのところに、神さまのメッセージを伝えるために「誰を遣わそう」と呼びかける神さまの声を聞きました。暗闇の中でこそ、光が必要です。その神さまの光を受けて生きる人を通して、希望は語られるのです。今もこの時代、神さまの愛を伝える人が必要です。「ここに私がいます。私を今日、その場所に遣わしてください。」と祈りが与えられる時に、神さまの救いは広がっていくのです。


私たちの心にはみことばあります。私たちの手には希望があります。
今日、出会うすべての人に、神さまの祝福が豊かにあることを願っています。
 

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