海老名シオンの丘教会 366日バイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の366日みことばメール

6月12日 天からの封書を開くと…

おはようございます。
梅雨の時期も心も体も守られていますように。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書1章12節

『言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。』


海の魚は、水の存在を疑ったり、確かさを議論したりしません。空の鳥は、吹く風を憂いたり、雨の日でも悩んだりしません。野の花は誰とも比べず美しく咲いています。自分の存在を包み込むような愛に守られている今日の日です。神さまの存在を一生懸命、認識しようと思わなくていいのです。この逆風は自分のせいだと思わなくていいのです。人と比べて、人の振る舞いを気にして、自分には価値がないと思わなくていいのです。


言(ことば)というのは、神さまの存在の豊かさを現す表現です。
この世の単語、言葉、表現では語りつくせないものです。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1:1)
この言を受け入れると、私たちの世界観がまるで変わるのです。


少しの時間をとって、実験してみましょう。
もしかしたら今日も複雑な感情の中で、たくさんの重荷や心配を抱えることがあります。そのままで大丈夫です。言(ことば)を心に受け入れてみます。
理解しようとしなくても、ただみことばの力と愛を感じます。


今日、10分から15分でも、静まりの時をもちます。
1日の中で空いている時間で、自分自身と神さまの愛を深く思い巡らします。
深く呼吸をしながら、吸って吐く呼吸にだけ集中します。
「今」だけを見つめます。過去も未来も「今」には不必要なのです。
そして、静まった心でゆっくりとみことばを思い起こしてください。


初めに言があった
「光あれ!」(創世記1:3)
地は混沌であって、闇が深淵の面にありました。心に浮かぶ気持ち、思いはどのようなものでしょうか。それを評価したり、なぜ問題があるのか、その原因は何かと、突き詰めて考えることをストップします。ただ、認識はします。それが心にはあるということだけです。


人生の傷も見えるでしょう。その傷を恨みの感情に変える必要はありません。傷ついているという事実だけを見つめます。心配ごとを数えるとたくさん荷物が見つかるでしょうか。それも荷物のような箱と思います。重くても、軽くても、それはわたしが抱えているただの荷物なのです。わたしたちの心にみことばをたくさん心に納めます。納めるだけでいいのです。一生懸命理解し、人生に無理に適用しなくいいのです。みことばをそっと心に宿すのです。そこから命の芽が吹き出てきます。あたたかい神さまの愛が宿ります。光のような希望が心を包み込むのです。


言は神とともにある
「小さな群れよ恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12:32)
小さなものに注がれる、神さまの力強い守りがあります。神さまの真実がともにある時に、私たちの意識とはまるで正反対のことが起こります。小さいことは豊かな神さまの恵みを体験することになり、心配し恐れていることを通して、圧倒的な神さまの助けを経験することとなり、この世で頼るものが何もなくなったときに、天に蓄えられている富から必要なだけ、求めるものに注がれる備えを実際の生活で経験するのです。


言は神であった
「闇は光に勝たなかった」(ヨハネ1:5)
私たちはすでに結果を知らされました。まだ人生を全うしていません。まだ祈りの課題を抱えています。見える現実はあまり変わっていません。「言(ことば)」を受け止める時に、ある証明書がわたしたちに届けられます。その天からの封書を開けて見ます。そこには一言「闇は光に勝たなかった!」と書いてあります。今の祈りの課題の結果です。


私たちが抱えている問題の結末です。わたしたちは、もうプロセスを気にしません。光となる経緯を模索しません。もう十分なのです。封書を手にしています。すべては守られ、最善の神さまの出来事をやがて経験することになるのです。わたしたちの信仰の歩みは、もう勝利の約束を手にして今日を歩いているのです。


ゆっくり「言(ことば)」の意味を噛み締め、私の心とする時に、神の子とされた特権、力、喜びが溢れてきます。
神さまの祝福の日でありますように。

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