おはようございます。
少し気温が下がって過ごしやすい日でありますように。
☆今日の御言葉 テモテへの手紙第二 1章7節
『神がわたしたちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです。』
私たちの1日の歩みの中で、ある時は頻繁に訪れる恐れや臆病はいったい何なのでしょうか。どこからきて、どのように私たちの心を支配しているのでしょうか。
実は、恐れや臆病をつくりだしているのは、私たち自身なのです。恐れの正体は、わたしたちの中でつくられたアイデンティティーと呼ばれるものです。それは、人間性とか、わたしの本質として理解されますが、アイデンティティーは、環境や状況、人との関わりや言葉、誰かの手によって形成された場合が多いのです。しかし、この世で形成されたアイデンティティーよりも、はるか以前に、神さまの命の息吹が吹き込まれた、「ほんとうのわたし」がいるのです。
神の子として愛され、ものすごく豊かな個性が与えられ、天使たちに囲まれて、慈しみの眼差しで見つめられている「ほんとうのわたし」です。臆病な人ではありません。恐れの人でもありません。
力の人であり、愛の人であり、思慮深い人なのです。どのようにしてその「ほんとうのわたし」を豊かに見出して生きることができるでしょうか。
たとえば、3人の人が、霧が立ち込める夜道を歩いているとします。
一人目の人は、その夜道を恐れています。過去にもそのような道を歩いていて危険を感じたことがありました。行くべき目的地も見えず、大きな恐れが心が支配しました。
二人目の人は、なぜこの霧が生じてしまうのかと状況を分析しました。この霧は気温と湿度によって起きていること饒舌に話し始めました。恐れを少しは感じていますが、知識によって乗り越えてようとしていますが、不安な心は拭いきれません。
三人目の人は、全く恐れていません。状況はみな同じですが、この人の心には恐れはないのです。理由がありました。その手には、霧を貫きとおし、目の前の道をくっきりと照らす強力な懐中電灯(ともしび)をもっていたのです。
恐れや臆病はどこから来るでしょうか。霧や目的地を閉ざしている夜道が恐れの正体ではありません。その状況で、恐れを心に生み出すことも、信頼を生み出すこともできるのです。豊かな平安を見出し、神さまの助けに支えられて、一歩一歩進むことができます。
私たちの足元を照らし、周りを照らし、行く道を照らす信仰のともしびを手にしましょう。神さまは、わたしたちを限りなく祝福していてくださるのです。
力のともしび
恐れに巻き込まれないでください。心に臆病を育てないでください。神さまは、力のともしびをわたしたちの手にいつでも与えてくださるのです。神さまに愛されている者として今日を歩みます。
愛のともしび
一緒に歩む人たちとともに愛のともしびを手にします。暗闇を恐れている人がいます。怯え、傷つき、本当の自分を見失うことがあります。愛のともしびが必要です。自分だけの人生が照らされるのではなくて、一緒に歩む人をも愛で照らすことができるのです。
思慮のともしび
恐れや臆病や、いつでも私たちに近づこうとします。道に迷い、岐路に立たされ、これからの人生はどのようになるのだろうかと戸惑う時に、恐れはその戸惑いを餌にして私たちの心に住み着こうとします。思慮のともしびをみことばによって手にします。道は開かれます。神さまが一つひとつの歩みを示し、教えてくださるのです。