おはようございます。
ほどほどを目指すのがちょうどよいとのことです。
☆今日の御言葉 ヨハネの黙示録2章17節
『勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほか誰も知らない新しい名が記されている。』
心の負担を感じてしまうような時ですね。人間は、疲れたり、気力を失ったりするときがあります。それは、自然なことです。
もっと強くありたいと思っても、弱さを与えられることがあります。もっと愛をもって生きたいと思っても、愛のない姿を見ることがあります。
なぜ、思い通りにならないのだろうと嘆きますが、すべては大切なことを教えてくださる神さまの愛なのです。
弱さは人の気持ちを思う優しさに、愛のない姿は神さまを求める真実な祈りの人に、思い通りにいかなくても、すべては備えられていることを知ります。自分の限界と思えるその先にこそ、神さまが用意してくださる、祝福への道が開かれています。
自分の内面の弱さや目で見える事の心配よりも、神さまが優しい眼差しで私たちに与えてくださるものに集中してみます。
心を元気にする神さまからの贈り物
二つも届いています。
1、隠されたマナ(愛)
マナは、かつてイスラエルの民が荒れ野で経験した神さまの恵み(パン)でした。荒野は失望の場所です。恐れと不安の嵐が吹き荒れています。しかし、マナは毎日、それぞれに必要な分だけ与えられました。マナは、広大な大地に比べれば非常に小さいものであったでしょう。気づきにくく、隠されているようにも思いました。
今のこの世界にマナが降っています。生活のそば近くにマナがあります。人々は無視するかもしれませんし、その価値を見出せないでいるかもしれません。でも見てください。今日、神さまは共におられて、わたしの祈りに聞いていてくださり、必要とするすべてのことを知り、豊かに備えてくださるのです。
2、白い小石(赦し)
白い小石は、黙示録の時代の無罪宣告のしるしでした。黒い石は、その人を非難し、断罪するときに投げられました。人を滅ぼし、打ちのめし、気力を失わせるのは、大きな嵐は必要としないのです。小さな憎しみや怒りや、裁きの思いを投げかければ、その人は倒れるのです。たくさんの黒い小石を心に抱えて、それをなげつけたくなるような現実があります。黒い石を手にして、自分の痛みや不満足を投げつけるのです。その受け取った人の心には簡単には消えない傷が残ります。
白い小石はイエスさまご自身です。そのままでいいのです。黒い石を手にするわたしの手を赦しの愛をもって握り、わたしを癒し、白い小石をもたせてくださるのです。白い小石は、愛です。希望です。赦しです。この小石を手にとって見るならば、ひとりひとりの名前が刻まれているのです。「神さまに愛されている大切な______ 」と。
マナと白い小石を手にして、救いの道を今日歩いています。
本当に愛されて祝福されたひとりひとりなのです。
※今日は、オンラインで木曜会(聖書のメッセージ)があります。
4月16日 午前10時30分からライブ動画を配信します。
詩篇27編1−14節「主はわが光、わが救い」
・Zoom アドレス https://zoom.us/j/956433455 ←(10時20分からアクセスできます)
ミーティングID: 956 433 455
・海老名シオンの丘教会HPのhttp://ebinazion.com/yourchurch/ の
@yukiotamaiのツイッター https://twitter.com/yukiotamai をクリックして
ライブ配信を視聴できます。
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