おはようございます。
あらゆることを備え、楽しませてくださる神さまが今日も共にいてくださいます。
『かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。』
本当に重要なことはいくつもありません。
今日、わたしたちの内に愛の御言葉が宿り、どのような中にあっても「あなたを助ける」と呼びかけるイエスさまの存在が心に満ちる時に、健やかに、自分らしく歩いていくことができます。
もしかしたら、私たちの周りには、能力の評価や、自分の内面の弱さに悩まされることや、数や量の豊かさを競う争いが起きているかもしれません。世の歩みは早く、その進歩は限りなく、わたしたちはどうにかついて行こうと疲れ果てています。要求と評価と役割と責任が重く与えられています。しかし、それは表面的であって本質的なことではありません。生きていく上では大切かもしれませんが、地上のことのみがわたしたちの人生の使命ではないのです。
ゆっくりとイエスさまを味わうことができます。わたしの存在もひとりぼっちではありません。イエスさまの大きな手の中で、慈しみの眼差しをもって包まれているのです。やがてその美しい状況を実感する時がくるでしょう。
この世での人生を受け止めつつも、天の栄光の中に私たちは生きています。
たとえ、重い祈りの課題をかかえることがあっても、もう一方では神さまの完全な手の中ですでにそのことは動いています。心配しなくても大丈夫なのです。この地に生きながら、天の恵みを経験するからです。
キリストを深く、豊かに、思い巡らし、わたしの内に、キリストの内にわたしの人生も存在も、祈りもすべて置かれています。神さまのご計画の中でふさわしく導かれることでしょう。やがて、わたしたちの祈りの一つひとつ、人生の苦しみと思えることの一つひとつが、神さまの大いなる恵みを賛美する出来事に変えられていくことを見るのです。
ゆっくりと深く、イエスさまの愛を豊かに経験できる日でありますように。
自分の手に負えない出来事があれば、イエスさまにしていただきましょう!