海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

12月24日 言葉に尽くせない喜び

おはようございます。
クリスマスイブ、聖なる日、静かな夜です。


☆今日の御言葉 ペトロの手紙第一 1章8節
「あなたがたはキリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。それは、あなたがたが信仰の目標である魂の救いを得ているからです。」


「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」という本を読みました。著者は、福岡県立高校の先生で山崎圭一先生という方です。Youtubeで授業の動画再生で大変評判になりました。難しい言葉を使わずに、世界の歴史を一つの物語のようにして教えてくださるのです。


キリストの誕生のことはどのように取り上げられているかと興味を持ちました。その本の中で、「ローマ帝国時代にキリスト教が生まれた理由」を解説する中で、「三重苦の民に手を差し伸べたイエス」と書かれていました。


三重苦とは、生活の苦しみ、社会の苦しみ、信仰の苦しみというものです。生活の苦しみは、当時パレスチナは、豊かな土地ではないので、人々の生活は貧しく困窮する人たちが沢山いました。そして、社会の苦しみは、ローマ帝国の弾圧的な政治によって自由は奪われ、差別や偏見が支配していました。そして信仰の苦しみは、人々に救いを与えるユダヤ教の祭祀たちは、戒律を破ることによる神の裁きを強調していたということです。


そこに、イエスさまがお生まれになりました。


エスさまは、神の裁きによる罰ではなくて、神の救いの愛を語りました。愛というユダヤ教にない考え方が八方塞がりで苦しむ人たちに救いとなったのです。


今日はクリスマスイブです。世界中でキリストの誕生はお祝いされて、教会では礼拝が行われます。なぜ、そのような大きな影響があるのでしょうか。イエスさまの誕生は、昔の出来事ではなくて、今の私の人生を喜びで満たし、幸せを与えてくれるものだからです。


共にいてくださるイエスさまは、今も私たち一人一人に愛のみことばを語っています。闇が周りを覆っても、心の痛みを抱えていても、すべての時は絶望に向かっているのではありません。


エスさまは、私たちに希望の道、愛と赦しと平安の道へと歩ませてくださるのです。希望は必ずあります。自分の人生のあり方だけ、心だけを見つめて、心配しないでも大丈夫です。


どのような闇もイエスさまの光が照らすことのできない場所はないからです。


今晩、ご一緒にクリスマス賛美礼拝をともにできたらうれしいです。イエスさまを今、見ていなくても、言葉に尽くせない素晴らしい喜びに溢れますように。祈りつつ。

 

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12月23日 心と体の健康を取り戻す

おはようございます。
労苦は一日だけ、背負いすぎないでくださいね。


☆今日の御言葉イザヤ書62章3−4節

「あなたは主の手の中で誉れある冠となり、神の手のひらで王冠となる。」


私たちの心は、今の時代や周りで起きている事柄と密接に結び付けられています。世の中の風が冷たいと、心にも寂しさを感じてしまいます。周りで起きている出来事が私にとってのストレスであれば、数倍の力となって人生を悩みの中に支配してしまいます。


この見える現実とのつながりを少し緩くしてみませんか。そのかわりに愛と喜びと安らぎを与えてくださる神さまとしっかりと繋がります。


疲れたり、落ち込んだりしてしまうのは、多くの場合、自分自身の中にその悩みの元があります。自分でそれが何であるか分からないこともあります。心を緩くしてみます。事柄の原因を探したり、ダメだと決めつけたり、取り返しがつかないと焦りません。悩みの元をすぐに解決できなくても、認識するだけで、楽になってくるのです。


すべては神さまの手の中にあります。そして、私もとても大切な存在として、冠として喜びの存在として今日を生きています。


私たちは、決して一人ではありません。


神さまの手の中にいることを知れば、他の人の視線だけを気にして生きることをしません。どう思われても、神さまの優しさに触れているので安心なのです。

 

完全でなければいけないと思う必要もありません。神さまの手の中で、わたしは自分の過去の傷も自分の弱さもありのままで見つめます。回復と癒しは与えられるからです。


罪責感は、心を重く、人生を生きづらくしてしまいます。心に深く刻まれて、簡単には消し去ることのできないものかもしれません。どんなに深い罪責の思いも、十字架で示された大きな赦しの愛に包まれていくのです。


少し、心と体を楽にしてみましょう。一つのことにこだわったり、執着するよりも、気分が変わること、自分の心を喜ばせることを大切にします。


今は大変な時期ですが、解決の方法はあります。多くのことはなんとかなります、そしてどのような人生の場面も無意味で最悪で終わることはありません。


美しく輝く冠が、神さまの目に映るあなたの姿です。その眼差しに触れる時に、私たちの人生のあり方が変化していきます。悩みは最小限に、無駄な恐れに支配されることなく、何ができてもできなくて、今、神さまに生かされていることを喜ぶことができます。


自分の心と体に良いことを一つでも二つでも、忙しさなの中にあっても今日の日は少しリラックスして過ごせますように。

 

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12月22日 裏も表も私の人生

おはようございます。
みことばが今日の生きる力となりますように。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書14章17節
「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。」


NHKこころの時代で、寺院出身の神父である後藤文雄先生のことが紹介されていました。後藤先生は、今年91歳、カンボジア難民の里親となり、カンボジア全土に19の学校を建設されました。


後藤先生は、まだ幼い頃に聞いたある僧侶の言葉がずっと心にとどまっていたようです。


その言葉は「裏を見せ、表を見せ、散る紅葉」というものです。


人生のすべての時、良いこと、悪いこと、幸せなこと、後悔してしまうこと、それも含めて私の人生であることをありのまま受けとめて生きていく自由があります。


苦しみの道をどのように生きることができるでしょうか。悲しみの時にどのように人生の価値を見出すことができるでしょうか。


後藤先生のご自身最後のミサのメッセージの中で、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を引用して、3つの大切なことを語られました。


1、創造価値ー暗闇の中でも、悲しみの中でも、神さまが共にいてくださることを知る時に、創造的に生きることができます。暗闇の先の道を祈り求め、今を最善の時に変える神さまの業があることを待ち望みます。


2、経験価値ー私たちの今までの経験、良いことも悪いことも、それは今を生きるための知恵や助けとなります。経験は価値です。一つも無駄なものはありません。より良いことに用いることができるのです。

 

3、態度価値ー痛みの時も、暗闇の時も、先が見えず、思い通りならないことがあっても、神さまは決して私たちを離すことはないのです。「わたしは共にいる」それが支えです。静まりの中で祈りが生まれます。信仰が輝きます。


人生の事柄は、創造的に生きることによって、経験をより良くいかすことによって、支えられた揺るがない態度によって、どのような中でも平安を見出すことができるのです。


神さまは、私のありのままを愛していてくださっています。私たちをみなしご(悲しみと孤独)にすることはありません。人生のすべての時、私自身のすべてのこと、弱さ、後悔、自分の罪、受け入れたくない出来事のすべての時も、支えられながら生きる道があります。


何事も否定することなく、非難して終わることなく、裏も表も大切な私の人生です。


今日の日が支えられていますようにお祈りしています。

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12月21日 夜空の星と祈りの心

おはようございます。
疲れがたまる時期です。無理しないでくださいね。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書2章10節
「博士たちはその星を見て喜びに溢れた。」


あるニュースを目にしました。


「12月21日前後に木星土星が大接近する。これほど接近するのは日本では400年ぶりで、今年最後のビッグな天体イベントとなるだろう。木星土星は、地球から見て同じ方向に並ぶために融合しているかのように見えるという。


実は同じ現象がイエス・キリストが誕生した直後にも発生していたそうだ。キリストの誕生を告げたとされるこの星は、「ベツレヘムの星」や「クリスマスの星」と呼ばれている。海外では、今回の木星土星の融合は、その伝説の星が現代に再び蘇るかもしれないと噂されている。」


今日から2、3日夜空を見上げてみると、星のように光るものが見えるかもしれません。最初のクリスマスの時、博士たちは、星に導かれてイエスさまの所に導かれました。


ベツレヘムまでの道のりは長く、楽なものではなかったでしょう。それでも、一つの星だけを見つめて、旅をしたのです。


クリスマスを迎えようとしています。私たちは、今年1年たくさんのものを見てきました。そして経験してきました。私たちの人生はこれからどこに向かっていくでしょうか。今、どのような状況に置かれているでしょうか。たくさんの祈りの課題をかかえています。


空を見上げるように、大きく深呼吸をして神さまに祈りましょう。


静まりの時間です。過去に何があっても、これから何が起ころうとも、今あるのは神さまの愛だけです。優しく、力強く私たちのすべてを包んでいます。星を見上げるように、光だけを見つめます。希望があることを信じます。暗闇で終わることがない世界、闇の上にも輝いている無数の星があるように、神さまは、私たちの人生に数えることのできない恵みがあることを約束してくださっています。


クリスマスを待ち望む祈り
ー目を閉じて、ゆっくりする時間の時に思い巡らしますー

 

・東方の博士たちは、異邦人の地からやってきました。当時異邦人は、神さまの恵みから一番遠いところにいる人たちと思われていました。この星は、異邦人の地、暗闇と思わされていたその所に輝きました。どの場所にいても、この光が届かない場所はなく、照らすことのできない闇はないのです。


・自分自身を見つめます。自分のすべてをそのままで受け入れ、愛します。自分の存在価値は、誰かの言葉で決まるのではありません。自分の能力によって判断されるのではありません。神さまが愛をもって、良きものを与えておられるのです。もう、悲観的にすべてのことを思わなくていいのです。あなたは、最高に愛された神さまの子となるように今この瞬間も守られているのです。


・私たちはこれまで数多くの人生の選択をしてきました。間違ってしまったこと、後悔してしまうこと、辛いことを抱えてしまうことがあります。一度歩いた道は、戻ることはできません。過去を引きずってしまう時に、人生の道は重たく感じてしまうのです。その荷物を肩からゆっくりと下ろしましょう。イエスさまのもとで休みましょう。


・今日、イエスさまとともに旅をしています。心を開いて、すべてを打ち明けるようにして祈ります。そのままの思いを聞いてくださるイエスさまが一緒です。過去の痛み、悲しみの所にも一緒に行ってくださり、慰めとゆるしがあることを語りかけてくださるのです。すべてがまだ解決できないと思っても、後悔という重荷をイエスさまは一緒に背負ってくださるのです。


・さみしい心、自分自身の小ささや無力である姿を思うと、心はぎゅっと締め付けられます。イエスさまが生まれたベツレヘムは、いと小さき町と呼ばれていました。そこに光が輝いたのです。暗闇や絶望や恐れは、人生のマイナス部分ではりません。無力な中で、暗闇と思える中で、神さまは生きて働いてくださっている姿が見えるのです。


祈りの日、愛を分かち合う日でありますように。
 

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12月20日 小さな手のクリスマス

おはようございます。
優しさが心をあたたかくします。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書1章21節

「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」


クリスマス(Christmas)の意味は、Christがキリスト、masが礼拝を意味し、「キリストの礼拝」となります。教会では、今日クリスマス礼拝が行われます。


幼子として生まれたイエスさまです。神の子でありながら、小さな姿となってこの世界に来られました。「小さな手」という素敵なクリスマスの賛美があります。 https://youtu.be/XNnziS93ypI


このような歌詞です。


「ひときわ輝く、星のひかりが、小さな馬屋を照らした。
冷たい風、心まで貫く、この世界に、罪の重さを知った私は、心震わせて、向かった。


小さな灯りともる、あなたのいるその部屋へ。あなたは今この中に飼い葉桶で眠っている。そっと触れた小さな手は、私のため傷つくことを知ってるのにやさしく握り返した。私に微笑みながら」

 

エスさまの小さな手があります。幼子として生まれたイエスさまの手は、私のすべてを優しく包んでいます。幼子のような姿のイエスさまの前では、だれもが無防備になります。緊張は解かれます。心には安らぎが訪れます。静かな日です。愛の溢れる日です。何も心配する必要はありません。プレッシャーの感じて自分を追い詰めなくていいのです。


このクリスマス、イエスさまの小さな手だけを見つめます。この手は、やがて大きな愛となって、十字架で傷をつけられます。それは分かっていました。私を救うため、私を癒すため、私を暗闇から救い出すために、イエスさまはお生まれになったのです。


クリスマスを意味する、キリストを礼拝するということの意味は、この小さな手に自分の手を差し出すことです。りっぱさや自分の強さを差し出す必要はありません。そのままで、傷ついたままで、弱いままでも、クリスマスは私が私でいて愛されていることを知る日です。だれもが救いへと招かれています。だれもが希望を手にすることができます。


私たちが普段使う西暦は、イエスさまの誕生以前(A.D)と誕生以後(B.C)と区切られています。この時から何かが変わりました。世界のあり方、神さまと人との関係、生きること死ぬことの意味が大きく変化したのです。


私たちは、この世では苦しみを経験したり、悩みを抱えたりします。それでも、私たちは、もう暗闇や失望や死に向かって生きる歩みは終わりました。自分の力で葛藤を抱え、問題を解決しようと自分の力だけに固執することをしません。


神さまは希望の扉を開いてくださいました。ここからは、神さまが働いてくださいます。私が弱くても力は与えられ、行き詰っても打ち倒されることはありません。どんなに深い悩みを抱えても、神さまの愛に触れることを通して、人生は回復できるのです。


キリストの時代を今生きています。救いの道に歩いています。
もう闇の時代は終わったのです。


光は今心に豊かに照らされているのです。


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12月19日 宝の箱が届いています

おはようございます。
思いやりと祈り、優しい光となって今日を照らします。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第一 1章30節
「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」


今、教会ではアドベント待降節)の期間を過ごしています。クリスマスまでの日を静かに待ち望む時です。アドベントという言葉は、ラテン語では、アドベンチャーの語源と同じであると言われています。


アドベンチャーという言葉は、「冒険」や「胸が踊るような経験」という意味があります。二つの言葉は、同じ語源であったとしても、まるで違う動き方のように感じます。


静まりの時は、静寂と共に新しい出来事を経験するためにあります。神さまは、ひとり子イエスさまをお与えになったほどに、一人ひとりを愛されました。そこには神さまの愛の躍動があり、予期しない出来事を驚きをもって私たちに示すためでした。まさにアドベンチャーのような神さまの愛が動くのがクリスマスです。


エスさまが生まれた馬小屋に、東方の3人の博士が、黄金、乳香、没薬を携えて、やってきました。「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイ2:11)宝の箱が開けられました。光がその周りに輝いたことです。クリスマスは、私たち一人がこの輝きと美しさの中に招かれている時です。


今日のみことばに、イエスさまは義と聖と贖いとなられた、とあります。これは、黄金、乳香、没薬の意味と重ねて理解することができます。この宝の輝きに触れて、宝の箱を開けて見ましょう。


・黄金(Gold)・・神さまの義(正しさ)
もっとも価値ある金属とされていたのが黄金です。王さまの象徴です。私たちを完全に守り、大きな課題の中にあっても「恐れるな、わたしが一緒にいる」といつも力強く語りけてくださる王さまのようなイエスさまが一緒です。私が必要とするすべてのものがイエスさまの手の中にあります。求めるものは与えられ、足りないと嘆く思いを天へと高く上げて、祈り求める豊かな心で生きることができるのです。

 


・乳香(Frankincense)・・聖なる神さま
乳香は、体に塗ったり、もてなす時に部屋に香りをつけたり、死者の葬りの時に用いられました。体を清め、良い香りで満たします。乳香は、とても大切な人をもてなし、乳香の香りがその人を包み、幸せと喜びを実感させてくれるものです。困難な状況でも、現実は深刻であっても、心はいつでも自由に幸せを実感できるのです。イエスさまは、優しく、私たちに寄り添い、いたわり、良い香りで満たしてくださるのです。聖なる香りは祈りとなって隣にいる人にも伝えられるのです。


・没薬(Myrrh)・・贖いのイエスさま
没薬は、腐敗を防ぎ、病を癒し、回復させます。痛みがある私たちの心であるかもしれません。治療を必要している部分があります。イエスさまは、癒してくださいます。罪や自分の弱さにずっと心を痛めていなくてもいいのです。イエスさまが私たちのために十字架につけられました。それは、私たちがもう暗闇の道に歩くことがないようにしてくださるためでした。私たちは、希望を見て、赦しを実感して、今日を私らしく生きていくことができます。


黄金、乳香、没薬を博士たちから献げられたイエスさまは、ご自分のためにその宝を用いるのではなくて、私たちのためにその宝を与え、今日の日を喜びに満たしてくださるのです。


クリスマスは、イエスさまから素晴らしい宝を受け取る時です。人生を祝福し、そのままを輝きで満たし、すべての良きものを与えてくださるのです。


今日は、祝福の日です。
 

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12月18日 新しい人生のはじまり

おはようございます。
心をホッとあたたかくする神さまの愛があります。


☆今日の御言葉 ヨハネの黙示録3章20節
「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をする。」


今年1年の世相をあらわす漢字一字が発表されました。「密」という字でした。感染拡大を防ぐためには密にならないようにと言われ続けています。


私たちは、これまで「密」の中に生きていました。人と人は密接でした。移動が制限されたり、今までの生活が変えられたりと、人や社会との関係性を改めて見つめ直す1年であったと思います。


人や社会のあり方は変化していきます。目に見える事柄によって動かされることなく、恐れすぎず、神さまと密接に生きる道がこれからの時代、大きな価値をもたらします。


英国オックスフォードのキーブル・カレッジのチャペルにウィリアム・ホルマン・ハントによる「世の光」と題された絵画があります。イエスさまが大きな扉の前に立っています。頭には茨の冠があります。そしてランプを手にしています。扉には、ドアノブがなく、下には雑草が生い茂っています。固く閉ざされているような扉です。


「私は戸口にたって扉を叩いている・・」今日のみことばの中にあるように、人の心の扉の前に立つイエスさまの姿が描かれているのです。


希望の扉を開くのは、私たちです。神さまは無理やりに私たちの生き方を変えようととはしません。待っていてくださっているのです。愛のみことばを語り続け、招き続けてくださっているのです。


エスさまの呼びかけての声を聞いて、心を開くようにして、その心の扉を開けてみませんか。

 

次の日曜日は、クリスマス礼拝です。イエスさまが誕生された時のお話があります。


ヨセフとマリアはベツレヘムに行きました。イエスさまのお腹に宿し、マリアとヨセフは、自分たちの宿泊する場所を探しました。宿屋の扉を叩きました。しかし、「宿屋には彼らの泊まる所がなかった」(ルカ2:7)のです。宿屋は人でいっぱいだったのでしょう。仕方がなかったのでしょう。イエスさまを泊めるスペースはありませんでした。


たくさんのものを心に抱えている私たちです。良いものもあれば、心配や恐れもあります。自分の思いで一杯になって心の余裕はありません。そして、心は固く閉ざされています。


今まで、何かを求めても裏切られてきたかもしれません。自分の思いどおりにならないことをたくさん経験してきたからかもしれません。不信感、孤独感、罪責感が心を苦しめていて、心を開いても、傷つくだけだとそう感じてしまっているのかもしれません。


長い間、この心の扉は閉ざされていました。


今日、その戸を開けてみませんか。希望が心に入ってきます。イエスさまは、どんなに傷ついた心も癒してくださいます。不安からも守ってくれます。私の本当の姿をイエスさまは、私たちの内側に改めて形づくってくれます。


愛されている人です。祝福されている人です。罪に悩み、失望と死の闇が私たちの人生の終着点ではありません。イエスさまは、すべての暗闇を照らし、罪を赦し、愛をもって私たちを天の御国へと導いてくださるのです。


この366日のみことばメールもあと数日になりました。


アメリカに駐在している、ある日本人のクリスチャンの方に毎朝送っていました。その方が現地の数名の日本人の友達にメールを転送し、毎朝のみことばメールの分かち合をするようになったそうです。


そして、そのお友達の2人が今度の日曜日、クリスマスに洗礼を受けることになったそうです。嬉しい報告をしてくれました。


神さまのみことばは、毎朝、心をノックしていました。そして、心の扉を開けて、イエスさまを迎え入れたことを、証ししてくれました。


新しい人生がはじまります。感謝とともに神さまをたたえます。
 

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