海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

10月22日 苦しみを喜びの力に

おはようございます。
心配しているとおりにはなりません。神さまの御心がなります。


☆今日の御言葉 コロサイの信徒への手紙1章24節
『今私は、あなたがたのために喜んで苦しみを受けており、キリストの体である教会のために、キリストの苦難の欠けたところを、身をもって満たしています。』


心地の良い秋の季節、旅行をされる方もいるかもしれません。旅行を意味するトラベルという言葉は、楽しいイメージを持ちますが、もともとはフランス語の「Travailler」で、「苦難、辛苦」など苦しみを指す言葉のようです。昔は、旅行というのは、住み慣れた場所を離れて、苦難を伴う道に歩むことであったのでしょう。


私たちの人生の日々も、旅をしているような歩みかもしれません。観光地に行くような心地の良い旅ばかりではありません。苦しみが伴う旅路、様々な道の困難を乗り越えて、目的を果たさなければなりません。


聖書は、苦しみということを新しい視点で見つめるようにと私たちに語りかけています。イエスさまの十字架を見つめます。十字架を背負うことは、重く、辛く、祈り無くしては歩めない道です。その苦しみは、神さまの栄光につながっている道でした。苦しみは苦しみでは終わらず、苦しみを担って歩む旅路にこそ、神さまの深い愛に出会っていくことができるのです。


人生には苦しみがあります。この苦しみを神さまにある人生の旅路(トラベル)と重ねて理解するとどのように変わっていくでしょうか。


苦しみを喜びの力に変えてみます。


・がんばっているからこそ苦しみが生まれる
目的を地を目指して旅をしています。もし、旅立たなければその苦しみは経験しないかもしれません。前を向いて歩いているからこそ、今日もがんばって生きているからこそ、苦しみがあるのです。その苦しみは、私を成長させ、神さまの愛にしっかりと結ばせてくださるものなのです。


・誰かのために痛んでいるからこそ苦しむ
自分のことだけ思っていたら、苦しむことはないでしょう。自分の心地の良い道だけを選んでいたら、労苦はないでしょう。自分のことよりも誰かのために愛をもって歩いているからこそ、苦しんでいるのです。その苦しみは、誰かを励まし、慰め、命の喜びを伝えているものなのです。


・正しい道に歩んでいるからこそ苦しむ
神さまの御心の道には、苦しみがあります。その苦しみは私たちを疲れさせ、疲弊されるものではありません。神さまが導く道に歩いているからこそ、苦しみがあるのです。喜んで苦しみを受けます。なぜなら、苦しみの先にこそ、この世の楽しみでは味わうことのできないほどの、神さまの癒しと慰めの出来事を経験するようになるからです。


今日も、天の御国に向けて旅をしましょう。決して簡単な旅路ではありません。たとえ苦しみがあっても、その道には、必ず助けと守りが与えられるからです。


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10月21日 10倍楽しい

おはようございます。
今、歩いている道は栄光に続いています。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙6章13節
『あなたがたの五体を不義のための道具として罪に献げてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生かされた者として神に献げ、自分の五体を義のための道具として神に献げなさい。』


神さまを信じる思いは、私たちの存在の深い部分に宿ります。私たちの存在の一番深い部分に神さまの命が宿る時、そこから力が湧き上がり、尽きることのない喜びが溢れてきます。マグマのような力が動き始め、源泉から流れる川のような平安が満ちるようになります。


最近、元ワーナーブラザーズ制作室長の小川政弘さんの著書「聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい」(いのちのことば社)が出版されました。小川正弘さんがクリスチャンになったきっかけがありました。ある日、ラジオを聴いていると、そこから賛美歌と聖書のメッセージが流れてきました。何か大切なことを聞いたような気がして心を奪われたそうです。その番組を聞き続けていく中で、少年時代に感じていて「運命を支配する力」が、実は、「全宇宙を造られた創造主である神」であり、しかも、その神は自分を深く愛し、人格的な交わりをもとうと手を伸べる方であることを知ります。切望していていた愛にようやく出会えた瞬間だったようです。


私たちの深い心の部分に愛を切望しています。その愛は、簡単にかたちを変えてしまうような愛ではなくて、天地を造られた神さまが命をかけてまで私たちを愛し、守り続ける決して変わることのない愛です。この愛が心に宿る時に、私たちの考えが変わります。見る方向が変化します。何を大切かを知るすることができます。生きる意味がわかります。生かされていることがどんなに尊いことかを実感して、今を喜ぶことができるのです。


私たちは神さまに造られた尊い一人ひとりです。聖書を知ると、今も、これからも10倍楽しくなります。


そのために、今日、1日、私のすべてを神さまの愛の手に委ねてみます。何が変わるでしょうか。私たちの与えられている五体(頭、首、胸、手、足)で考えてみます。


・頭・・考え方の変化

信じる思いによって、ものの見方や考え方が少しずつ変化していきます。物事の本質を見る目が広く、深く、より真実を見つめるように導かれていきます。


・首・・見る方向の変化
まっすぐを見つめます。イエスさまの愛を見つめます。その方向から目を離さないでいれば、すべてのことが最善に導かれていくのです。


・胸・・心の変化
やるべきことだけに忙しくしていると心も疲れてしまうことがあります。何かをするよりも、満たされることを求めます。心が満たされていれば、愛が自然にわきあがります。


・手・・行動の変化
手の業を神さまに委ねます。自分で何かを握りしめていると、よりよいことにはなりません。委ねる時、神さまが、人生の益になるようにと整え、良いものへと造り変えてくださるのです。


・足・・生かされている意味の変化
エスさまが行くところにわたしもついていきます。わたしの行動の源は自分の意思や計画だけではありません。イエスさまが私の今日の日を導いてくださっています。


今日が、いつもよりも10倍楽しく、神さまの恵みと守りが現される日でありますように。
 

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10月20日 いつまでも輝く人

おはようございます。
秋晴れの1日です。ご健康が支えられますように。


☆今日の御言葉 ヨハネ黙示録3章18節
『あなたに勧める。豊かになるように、火で精錬された金を私から買うが良い。自分の裸の恥をさらさないように、身にまとう白い衣を買い、また、見えるようになるために目に塗る薬を買うがよい。』


ハーバード大学の「年をとるほど脳が活性化する条件」という研究発表の記事を目にしました。脳には年をとっても衰えない底力があるようです。年をとるほど向上する能力もあるということです。


ある研究では、高齢者は、若年層より物の見方が前向きになることがわかっています。高齢になると情動反応を司る扁桃体がネガティブな刺激に反応しにくくなるそうです。40歳を過ぎた頃からネガティブな記憶よりもポジティブな記憶のほうが増え、その傾向は80代まで続くということです。感情に左右されにくく、ストレスに強くなります。もちろん、個人差がありますが・・・。


脳の研究はとても面白いと思いました。聖書にも「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」(第二コリント4章16節)ということが記されています。神さまにある人生には、日々新しくされる領域があります。閉ざされる扉があっても、開かれる扉があります。


私たちの人生は希望があります。年を重ねて輝き、日々を積み上げ深くなり、経験を通して豊かな心とされるからです。


いつまでも輝く人は、どのような人でしょうか。


1、火で洗練された金を買うー試練を糧にする人
聖書の中で語られる火は、試練を意味することがあります。人生のある場面で、この道を通らされました。その時は辛く、今もその試練の真っ最中かもしれません。しかし、この試練はやがて、火で洗練された金のように、試練を通さなければ学べない宝を見出します。私たちは、試練を通して磨かれ、私が私らしく輝くのです。神さまは、私たちを守っていてくださっています。絶望で終わることのない希望の道を与えてくださっているのです。


2、身にまとう白い衣を着るー恵みを知っている人
私たちの内側は、傷があったり、暗闇を抱えることがあります。神さまは、自分で傷を克服しなさいと言いません。自分で問題を解決して、よりよい姿になってから救いを受け取りなさいと言いません。内側を見れば、傷があり、汚れがあり、決して良い完全な姿ではない自分がいます。神さまは、そのままですべての傷を覆い隠すように、恵みの晴れ着を着せてくださるのです。イエスさまの十字架から、救いの衣が手渡されるのです。救いの恵みを知っている人は、神さまへの賛美が心に与えられています。


3、目に塗る薬をいただくーみことばの視点で歩む人
本当に大切なことが見えないことがあります。一つの事柄を私の経験と知識で良いものか悪いものかを判断します。しかし、多くの場合は、神さまの良きものは、私にとっては暗闇や絶望と思うもの中に、隠されているのです。目に塗る薬があります。それは、イエスさまの手に触れられることです。今どのような場所にいても、この肉眼では良きものが見えない時にも、「主が共にいてくださる」と思える心です。みことばの世界が見えてきます。神さまが今日も生きて働いてくださる手を信じるようになります。暗闇の中にも光を見て今日を大切に歩いていくことができます。


生涯は日々新しくされます。神さまにあって私たちはさらに輝き続けるのです。
 

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10月19日 うるわしの日々

おはようございます。
神さまの愛のあたたかさが心にありますように。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書5章21節
『父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、自分の望む者に命を与える。』


先日、NHKの連続ドラマ小説「エール」で関内光子役の薬師丸ひろ子さんが賛美歌「うるわしの白百合」を歌い大きな感動を与えました。第90話では、太平洋戦争中、光子さんの暮らす豊橋で空襲があり、何もかもが焼けてしまいました。その暗闇と思える出来事の中で、賛美歌「うるわしの白百合」が歌われたのです。


ドラマのチーフ演出家、吉田照幸さんは、この週の脚本も書いていて、台本では光子さんは「戦争の、こんちくしょう!こんちくしょう!」とうなりながら地面を叩くことになっていたようです。


吉田さんがあるインタビューでこう話されていました。「僕は戦争の厳しさを光子さんに担ってもらおうと思っていたんですね。でも、薬師丸さんから賛美歌を歌いたいという提案を受けたときに、セリフで表現するだけではない違う何かが生まれるんじゃないかなあと思いました」


薬師丸ひろ子さんは、関内家が熱心なクリスチャンであることを思い、賛美歌を歌う提案をされたと言われています。ご自身が玉川大学の出身で、礼拝の中で「うるわしの白百合」を賛美していたそうです。


「うるわしの白百合」は、イエスさまの復活の出来事と新しく再生される希望を歌っています。神さまを信じるという人生の意味がその賛美の中には込められています。


賛美歌496番
「うるわしの白百合 ささやきぬ昔を イエスきみの墓より いでましし昔を うるわしの白百合 ささやきぬ昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を」


信じるということは、宗教を信仰することではありません。人生が変えられることです。復活を経験されたイエスさまが、わたしたちにささやいてくださっています。復活に象徴される希望は必ずあると、死の闇をも乗り越える復活の命があることをいつでも語りかけていてくださっています。


戦争に象徴されるように、人間の心は、暗闇に向かいます。私の思いは、神さまの愛を大切に生きるよりも、自分の欲望や怒りや失望の闇から抜け出すことができません。人はだれもが暗闇という限界の中で、地面を叩いて「こんちくしょう!」と言うしかない現実を体験するのです。


もし、人生が「こんちくしょう」で終わったらどうほど悲しいでしょうか。


聖書は、その人生を変えてくれます。神さまを信じる道は、決して退屈ではありません。信じる道は、自由で喜びがあり、いつでも心には賛美を、あらゆる人生の重荷には祈りをもって勝利し、希望が与えられているのです。


復活があります。希望があります。どんな困難な道にも、神さまの力強い導きが与えられているのです。


うるわしく、健やかな日でありますようにお祈りいたします。
 

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10月18日 休息と回復

おはようございます。
心が満たされることを大切に今日の日を歩みます。


☆今日の御言葉 ヤコブ3章3−5節
『馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を操ることができます。また船を見なさい。あのように大きくて、風に激しくあおられていても、ごく小さな舵によって、舵取り望む方に操られて行きます。同じように、舌も小さな器官ですが、大言を吐くのです。見なさい。いかに小さな火が大きな森を燃やすことか。・・私たちは舌で、父なる主をほめたたえ、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪っています。』


私たちは、毎日、言葉を語っています。ある調査によると、人が1年間に話す言葉は、400ページの本、132冊分になるそうです・・。細かな数字の根拠や信憑性は分かりませんが、1日話す言葉をすべて文字にして本にしたら、相当の量になることはたしかです。しかも、それは、ある時は消すことができないほど、人の心に刻み込まれ、一つの言葉が、人を生かすこともでき、傷つけることもあります。


聖書が言うように、舌は小さな器官ですが、実に大きな影響を私たちの人生にも、周りにいる人の人生に与えています。舌をコントロールすることができず、制御できずに、次から次へと感情のままに言葉が出てきたら、大きな森を燃やすような、(炎上)影響を与えてしまいます。


どのようにしたら、舌をよりよくコントロールすることができるのでしょうか。それは、私たちの人生の幸せにつながっています。


1、舌にも休息が必要です
舌も大変です。今まで、たくさんの言葉を語ってきました。舌も意図として悪いことを口にしたわけではありません。良いことばも、悪いことばも、その人の思いから出る気持ちも口にしてきました。少しの休みが必要です。沈黙が必要です。語ることよりも、聞くことが大切です。

心で祈りをささげましょう。
「主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守ってください。」(詩篇141:3)


2、心を神さまの愛で満たします
沈黙の中で、神さまの恵みを思い起こします。たくさんの辛い経験もあったでしょう。心痛める出来事もありました。だからこそ、語ることばは良いことよりも、辛い思いが溢れて口から出てきてしまったのだと思います。


すべてのことを神さまに委ねます。自分で握りしめて、心で葛藤して、苦しみや怒りを心に満たす必要はありません。嫌な気持ちが心に満ちるとやがて、悪い言葉となって口から出てきてしまからです。私たちが神さまの愛の中で満たされてるならば、やがて、口から賛美と人々を生かす慰めの言葉が出てくるからです。


3、癒しと回復で、語る言葉が変わります
ゆっくりと、静かな川の流れのほとりにいるように、神さまが私の内側に深い安らぎを与えてくださることを祈り求めます。


「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」(詩篇1:2−3)


みことばを口ずさむことで、舌は癒され、回復します。
すきなみことばがありますか。
今日は、そのみことばを思いながら過ごして見ます。


わたしは、イザヤ書43章を口ずさみながら今日を歩いてみます。


「恐れるな。私があなたを贖(あがな)った。私はあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を渡るときも私はあなたと共におり、川の中でも、川はあなたを押し流さない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎もあなたに燃え移らない。私は主、あなたの神、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主。」


心が変えられ、神さまの恵みに満たされ、語ることばはどう変わるでしょうか。
失敗しても大丈夫。神さまは、いつでも良い言葉を私たちに聞かせてくださるのです。

 

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10月17日 喜びのメカニズム

おはようございます。
冷たい雨ですが、心はあたたかくお過ごしください。


☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙4章4節
『主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。』


みなさんは、何をしている時に一番喜びを感じますか?


精神科医の先生が書かれた本の中で、「喜びが得られる3つのメカニズム」というお話がありました。
生物学的にみると、人間が喜びを得ることの仕組み、メカニズムは3つあるそうです。


1、生理的な欲の充足による喜び・・美味しいものを食べたりすることで、エンドルフィンという喜びの感情をもたらす脳内物質が分泌されます。
2、充実感や達成感による喜び・・必ずしも自分の成功ではなくても、応援しているスポーツチームの勝利でもドーパミンによって喜びを得ることができます。


上の1と2は、手軽に喜びや興奮を得られても持続性がありません。持続性があり、最も価値あるものとされる第3の喜びがあります。


3、愛する人の存在・・愛され、受け入れられ、守られているという安らぎに満ちた喜びです。オキシトシンという物質はもともと授乳の時のような豊かな母子関係に由来するそうです。


第3の深い安心感からくる喜びは、「安全地帯」を得ることに関係があるようです。安全地帯とは、愛される場所、受け入れ合う関係、慰めや安らぎを感じる環境を意味しています。


この安全地帯を得ていれば、自分を肯定することができます。困難の中でも立っていられる人間力が根付きます。自分は愛されているという揺るぎない自信を得ることができるのです。この喜びは永遠に続きます。どんな時にも喜びが溢れるのです。


神さまの深く豊かな愛と結ばれることは、第3の愛される喜びを感じさせてくれるものです。
今日のみことば「主にあって喜びなさい」には、続きがあります。


『主は近いのです。何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを捧げ、求めているものをかみに打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう』(フィリピ4:5−7)


ここに、第3の深い喜びを与えてくれる安全地帯が記されているからです。


1、神さまは近くにおられます・・今日、私が生活するその場所は、すぐ横に、「わたしは共にいる」と言われる神さまの大きな存在に包まれているのです。


2、求めているものを打ち明ける・・大きな愛の方の手に包まれて安心しているように、すべての願いを思いを聞いてくださる神さまが共にいるのです。


3、神の平和が心と考えを守る・・神さまの平和は、本当に安心で安全で、癒しを与えてくれます。この神さまの愛から誰も引き離すことはできません。


深い喜びが今日、1日の歩みの中に豊かにありますように。
 

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10月16日 ハレルヤと呼ぶ人生

おはようございます。
気温が下がってきました。お風邪などひかれませんように。


☆今日の御言葉 詩篇150編1節
『ハレルヤ。主の聖所で、神を賛美せよ。主の力の溢れる大空で、主を賛美せよ。』


聖書の中に「ハレルヤ」という言葉があります。神をほめたたえよ、という意味です。「ハレルヤ」と聞くと、ヘンデルの「メサイア(救世主)」の中で歌われる合唱曲「ハレルヤコーラス」を思い起こす人もいると思います。ヘンデルは、聖書の文脈にそって、どのように私たちの世界にキリストの救いが与えられたかをこの曲で表現しています。ヘンデル信仰告白でした。「ハレルヤ」と呼ぶ人生は、どんなに素晴らしく、喜びに満ちたものでしょうか。


ヘンデルは深い神さまへの信仰を持っていましたが、ある時期、自分の音楽が理解されずに非難や攻撃を受けました。その時代の音楽家は、通常、教会だけで活動していたのに対して、ヘンデルは世俗的な歌劇などの作曲も手がけていたからです。たくさんの困難が重なり、ヘンデルは自信を喪失し、失意の中にありました。そのような人生の一番暗い時期に、世紀の大傑作「メサイア」が生まれたと言われています。


失意のヘンデルが、イギリスを離れて故国ドイツへ帰ることを考えていると、友人のチャールズ・ジェネンズが自分が書いた台本「メサイア」で作曲してほしいともちかけたようです。その頃、ヘンデル自作のオラトリオ(音楽劇)の演奏会をアイルランドで開いてほしいという要請が届きました。それは慈善演奏会でした。


56才になったヘンデルは、貧しいアパートの一室で、作曲にとりかかりました。出来上がった「メサイア」は演奏時間が2時間半という超大作ですが、260ページにお及ぶ楽譜を、わずか24日にで仕上げたようです。作曲中、なんども感動して涙を流したとされ、特に「ハレルヤ・コーラス」の部分を書き上げた時は、感極まって、「天が開け、神の御姿を仰ぎ見た!」と叫んだと伝えられています。


ヘンデルは、旧約聖書の救い主到来の預言のみことば、イエスさまの十字架の赦しと復活、永遠の命が与えられ、天の御国が来ることを、その曲で表現しました。聖書全体の神さまの御心に触れ、みことばを味わい続けました。それは、ヘンデルの心を再生し、癒しました。ハレルヤ!とは、ヘンデルの心からの賛美の言葉だったのです。


聖書のみことばに触れる時に、私たちも癒されます。失意の中にあっても、病の中にあっても、その心に神さまへの賛美が満ち溢れるほどになるのです。


だれも一人ではありません。見捨てられることはありません。失望のまま終わることはありません。その確かな証拠が今も共にいてくださるイエスさまの存在です。


暗闇は変えられます。救いは与えられます。
神さまは今も生きておられます。


ハレルヤと今日の日を心で叫び、今日の日が祝福で満ちあふれますように。

 

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