海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

10月11日 みんなちがって、みんないい

おはようございます。
心に良いこと、体に良いこと、自分を大切にする日でありますように。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二12章9節
『力は弱さの中で完全に現される』


聖書は「弱さ」というテーマで私たちに大切なことを伝えています。この世界では、弱さをテーマとすることはあまりないでしょう。強さや生産性、豊かさや誇りを持つことについての多くの書物があり、いろいろな人たちが研究します。神さまは、弱さを大きな価値あることだと語るのです。それは、決して負け惜しみのようなことでも、簡単な慰めを与えようとしていることでもありません。


弱さは、新しい私たちの価値を見させてくださるものです。今の時は、多様性の時代であると言われています。強さや誇りは、崇高なことのようで、非常に狭い価値観や思想へと人の思いを導いてしまうことがあります。強さや誇りも悪いことではありません。でも、弱さの価値を見出すとより深い人生へと、より豊かな心へと導かれていくのです。


以前、朝日新聞天声人語で金子みすづさんの「私と小鳥と鈴」という詩が掲載されていました。


「わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、とべる小鳥はわたしのように、地べたをはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴るすずはわたしのようにたくさんな歌は知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」


一つの価値がすべてではありません。人と比べて違うところがその人の一番魅力的な部分です。この真実は、聖書が伝える「弱さ」と関係があります。


人は、だれでも強さと弱さを持ち合わせています。そして、強さを肯定し、弱さを否定的にみてしまいます。しだいに、強さだけを人生の価値あることとして追い求めます。さらに、弱さを見せないために、強さにしがみつき、やがて疲れきってもなお歩みを止めることができなくなります。


弱さは、私たちを豊かな心へと導く神さまの力です。多様な価値観を自分のものにする時に、新しい世界が開かれて、ストレスが少なくなります。


パウロは、力のある人でした。神さまに出会った時に、人生の目的が変えられました。イエスさまを信じる人の一番の魅力は、弱さを誇れるほどに神さまの愛で満たされることです。大きな心で、深い愛で、豊かな視点で物事をみるようになります。


自分に固執することから、人々に愛を分かち合う人生になります。自分の何かを実現することから、神さまの心を大切にする歩みになります。弱さをたくさん感じることがありましたが、それを喜び、感謝する毎日を生きるようになります。


私たちも今日の日、特別な神さまの愛と安らぎがありますように。

 

f:id:dailybreadzion:20201011080653j:image

10月10日 休み方改革

おはようございます。
台風から守られますようにお祈りしています。


☆今日の御言葉 出エジプト 記20章11節
『主は六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り、七日目に休息された。それゆえ、主は安息日を祝福して、聖別されたのである。』


「自分らしさ」を見つめるという冊子の中にC.S.ルイスの言葉が紹介されていました。「われわれのなすべき第一歩は、自分のことを全く忘れることである。われわれが自己を求めている限り、われわれはほんとうの新しい自己・・は与えられないであろう。それは、われわれがキリストを求める時に、与えられるものである。」(C.Sルイス「キリスト教の真髄」からの引用)


自分を全く忘れるというのは、自分・・私・・ということだけにこだわらない自由な生き方です。神さまの大きな愛の中に、完全に守られている私の姿を想像します。


その豊かさを私たちが実感する時が、聖書の「安息日」と呼ばれる時です。


神さまは、六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造りました。神さまは活動的であり、創造的(クリエイティブ)な方です。仕事も家庭も、神さまの豊かな創造の中にあることを思い巡らします。その時、3つの心の安らぎを経験します。


1、希望の中での安らぎ
神さまが天地を創造された時に、無から有が、混沌から光が生まれました。神さまに支えられて、守られている私たちの人生です。太陽、大空、光、動物がいました。神さまの愛は、満ち溢れている日々です。もちろん、大変な問題、深刻な出来事があります。それでも、私たちは、神さまの創造の世界に生きています。悪も見えることがあります。絶望も支配することがあります。光を創り出す方に、照らすことのできない闇はないのです。

 

2、使命に生きる安らぎ
安心して、委ねて歩みます。神さまの賜物と力で仕事をします。神さまの知恵で生活をします。自分の範囲以上のこと、自分らしさを見失わせることに、多くの時間を使わなくても大丈夫です。それよりも、今の恵みを数えていましょう。今生かされていることは、どんなに大きな恵みであるかを思い巡らしましょう。1日、1日、私らしく仕事をし、私らしく生活をし、自分を祝福して、自分にだけ執着をせずに歩いていきます。


3、愛の中での究極の安らぎ
そして、安息の七日目があります。私に戻る時です。神さまのそばで憩う時です。神さまの前での安息はどのような効果があるのでしょう。
・神さまの愛の中にいる自分を見出します。
・自分が担う重荷を知り、神様に心配を委ねることができます。

・神さまは私たちの心を変えられます。憎しみを愛に、虚しさを喜びに変えてくださるのです。
・力は神さまのもとから来ることを知ることができます。


私たちの人生の一週間は、神さまの御手の中にあります。
安心して、今日を歩みましょう。
 

f:id:dailybreadzion:20201010081304j:image

10月9日 言葉を超えた優しさ

おはようございます。
状況は変えられなくても、心は変えられます。


☆今日の御言葉 列王記上19章5ー7節
『彼は一本のえにしだの木の下で横になり眠った。すると御使いが彼に触れて言った。「起きて食べなさい。」見ると、頭のところには石焼のパン菓子と水の入った水差しがあった。エリヤは食べて飲み、もう一度横になった。すると、主の使いがもう一度エリヤに触れ、「起きて食べなさい。この道のりは耐え難いほど長いのだから」と言った。』


学生の頃、同級生がいつも仲間たちと食堂で賛美をしていました。そのグループは、やがてリラ(Lyra)という賛美グループとなり、数枚のアルバムをリリースしています。リラの曲で、「だから忘れないで」という賛美があります。歌詞がとても優しく、慰められるものです。


「これから先、いろいろあると思う。泣きたいこともあると思う。耐えられなくて、何もできなくて、逃げ出したくなるかもしれない。だけど、忘れないでいて、あなたを決して離すことのないイエスさまが、共におられることを。私たちが生きていく限り、喜びばかりじゃないだろうけれど、苦しみの時に祈り求めよう。命まで捨てて、あなたを愛した、イエスさまは、今も生きている。」


今日のみことばに登場するエリヤは、力強い人でした。バアルの預言者と激しくたたかい、疲れ切っていました。忙しく、緊張し、気力を振り絞るようにして生きていました。ある時、命を狙われるほどの困難が迫り、恐れが心を支配するようになります。バタンッと倒れるように、木の下で横になって眠っていました。神さまの優しい眼差しは、このエリヤに向けられていたのです。御使いが彼に触れて「起きて食べなさい」と石焼のパンの菓子と水がおかれました。エリヤは、労わりと優しさを必要としていたのです。


神さまの優しさが今日届いています。


・ゆっくり休めますように
「主は愛する者には眠りをお与えになる。」(詩篇127:2)
そのがんばりも、労苦も涙も、イエスさまは一番深く理解してくれています。イエスさまは、決して私たちに絶望を与えるようなお方ではありません。心の荷物も下ろしてください。今の問題も最善のことに導かれることを信じています。1日が終わったら、安心して休んでください。


・さあ、食べてください
「さあ、来て朝の食事をしなさい。」(ヨハネ21:12)
心の回復ためには、神さまの愛の中に留まります。体の回復のためには、神さまが日々の糧を備えてくださっています。忙しさから少し離れてゆっくりと食事をしましょう。今、味わっているものに感動しましょう。本当に美味しいと思えるものを今日は食べましょう。イエスさまは、お弟子さんたちに「さあ、来て食事をしよう」と呼びかけました。その食事は、神さまの恵みを思い起こす時間です。神さまが私の人生に良くしてくださったことを思い起こしましょう。


・もう、嘆かなくて大丈夫です
「嘆きの谷を通る者たちはそこを泉に変えます。」(詩篇84:7)
嘆きの谷を歩くような人生は、本当に辛いですね。人には理解できないような心労をかかえることがあります。やりきれない気持ちになってしまうかもしれません。祈れない時があってもいいのです。私がお祈りさせてください。何もできなくてもいいのです。できることがあればさせてください。助けが必要な時には、いつでも声をかけてください。この道のりはまだ続きます。耐え難いほど長いかもしれませんが、やがて喜びの泉を見い出すのです。


エスさまの優しさを今日、味わいましょう。
 

f:id:dailybreadzion:20201009080706j:image

10月8日 これさえあれば大丈夫

おはようございます。
雨の日ですね、1日守られますように。


☆今日の御言葉 使徒言行録2章38節
『そこで、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきたない。そうれずれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。』


クリスチャン作家である三浦綾子さんを知っている方もいると思います。三浦綾子読書会の顧問をしておられる長谷川与志充先生がある雑誌の中でこのように書いています。


三浦綾子はある資料によると、日本の歴代全作家中、売上数で第8位、人気度で第7位の日本を代表する作家です。なぜ彼女の著作は、これほど多くの人々に愛され、読まれ続けてきたのでしょうか。その理由は、彼女の処女作「氷点」に出てくる「なくてはならぬもの」という一語に秘められています。彼女の著作は私たちが生きるための「なくてはならぬもの」を教えてくれるものなのです。・・三浦綾子は自伝「道ありき」において、かつて自分が罪人だったことを明らかにしつつ、それと同時にそんな自分にキリストによる「救い」が与えられ、1人生の目的がわかる者、2自分の存在価値がわかる者、3罪の赦しがわかる者、4将来への希望がわかる者、に変えられたことを証ししているのです。」


エスさまのお弟子さんであったペトロは、ある時、この「なくてはらなぬもの」について人々にメッセージをしました。イエスさまの救いが私たちには必要であることを心を込めて語り伝えたのです。「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシア(救い主)となさったのです」(使徒2:36)


神さまはこの世に価値あるものをたくさん与えてくださっています。人が愛し合い、赦し合い、神さまにある恵みに感謝し、喜んで生きる道を与えてくださっているのです。しかし、私は、その神さまの賜物とも思える尊き宝を、十字架につけてしまうように、投げ捨て、価値を見誤り、自分の満足だけを追い求めていました。本来であれば、取り返しのつかないこと、後悔してもし切れないものを抱えています。しかし、神さまは、それを赦し、良きものに変え、私を見捨てることなく、豊かな希望を与えてくださいました。


ペトロのメッセージを聞いた時に、「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロと他の使徒たちに、「兄弟たち、私たちは何をすべきでしょうか」(使徒2:37)と救われるためには、どうしたら良いかと尋ねました。

 

ペテロは、救いを経験するために4つのことを語りました。


1、悔い改めの希望
悔い改めは、「向きを変える」という意味があります。自分自身がすぐに良い人間になるわけではありません。クリスチャンになると、何かの生活習慣を変えなければいけない、ということでもありません。人生の向きを変えます。目的地がはっきりとします。天の御国を目指します。すばらしい神さまの愛に満ちた場所です。涙は拭われ、労苦は報われます。向きを変えると、私は一人ではなくて、神さまがいつも一緒に歩いてくださることを知ることになります。


2、洗礼は神さまの恵みです
洗礼は、「水で洗い流す」、という意味があります。汚れがあっていいのです。完全な人間でなくていいのです。どんな心の汚れも、傷も悲しみも、心の痛みも不幸と思えたあらゆる人生の事柄も、新し視点で見るようになります。私たち一人ひとりは、神さまの愛の中で、とても価値のある、大切な一人ひとりなのです。虚しい人生はありません。自分の存在価値が尊く美しいことを知るのです。


3、罪は赦されます
赦しを知っている人は、前へ向いて歩いていく力をいつも感じようになります。失敗することがあります。後悔することがあります。人生は後に戻ってそのところからやし直すことはできません。赦しを知ると、過去を見つめる思いをイエスさまが変えてくださるのです。私たちがずっと心に痛みを抱えることがないように癒し、守り、最善のこととしていてくださるのです。私たちの人生を回復させてくださるのです。赦しは大きな力です。


4、聖霊が与えられえます
一方的に与えられる神さまの恵みがあります。わたしたちは、もう自分を守るために取引をするようなことをしません。この世では損をすることもあれば、傷つくこともあります。愛を示しても、その愛が自分の思い通りにかえってこないことがあります。神さまは、私たちの心の空洞、飢え渇き、満たされない思いを知っていてくださっています。救われるということは、天国に行けるという約束をいただいているだけではありません。日々、助けが与えられ、備えを経験し、聖霊によって満たされて生きることができるのです。


救いを受け取りませんか。「イエスさまは、わたしを救いへと導いてください。信じます。アーメン」とご一緒にお祈りしましょう。


f:id:dailybreadzion:20201008080529j:image

10月7日 最後に愛は勝つ

おはようございます。
信じる思いは、心を強く支えてくれます。


☆今日の御言葉 詩篇119編113節
『二心ある者ども私は憎み、あなたの律法(みことば)を愛します。あなたは私の隠れ場、私の盾。あなたの言葉を待ち望みます。』


コロナ禍にあって、日々格闘している方々や、医療、教育、あらゆる業種に従事している方々に感謝することを目的とした、アップフロントグループのテレワーク合唱というものを見ました。https://youtu.be/8xDGXCVCptg  
(賛美歌とは全く関係がありません・・・ )


その中で、1990年に発売されたKANというアーティストの「愛は勝つ」という曲が歌われていました。このような歌詞です。


「心配ないからね、君の想いが誰かにとどく明日がきっとある。どんなに困難でくじけそうでも、信じることを決してやめないで・・


求めてうばわれて、与えてうらぎられ、愛は育つもの・・遠ければ遠いほど、勝ちとるよろこびはきっと大きいだろう。心配ないからね。君の勇気が誰かにとどく明日はきっとある。・・信じることさ、最後に愛は勝つ


今の時代、シンプルに生きるということを多くの人が学んでいます。複雑なものがそぎ落とされます。あらゆる不必要なことが明らかになってしまいました。今まで大切なものだと思っていたものの価値が変わってきました。これからは、ますます、人間の本質だけが現され、見つめられる時代です。私たちの内側に自分を支える何かがあるかということが問われて行く世代に生きています。


今日の御言葉の中に「二心」という言葉があります。この言葉は、ダビデという人が人生のある場面で実際に経験したことから出ています。仲間に裏切られました。それによってダビデは、地位も名声も失うことになるのです。思ってみないことでした。その人のために良くしていても、悪しきものを差し向けられました。ダビデは、自分の本質を見つめるようになりました。


自分の本質、一番深い部分を見た時に、みことばがありました。みことばは神さまの愛です。ただそれだけが自分の内側に輝いていたのです。


シンプルさは、私たちの人生を豊かにしてくれるのです。
いつでも3つのことを考えます。


・逃れ場があります。
シンプルさとは反対に、この世の中は複雑になっていきます。あらゆる情報が聞こえてくる時代になります。そして、心はさまよいます。本当に大切なことは何かと考える暇ももないほどです。


その時、私たちは、逃れ場に行きます。それは、神さまの愛の中であり、教会であり、祈りです。逃れる場所があるのです。休む場所があるのです。無理しないで、休むことは、神さまとの貴重な時間で豊かな時間となります。


・盾となって守ってくれる方がいます。
人間関係は、私たちの人生の幸不幸を決めてしまうものです。人間関係の量があまりに多く、自分の心が無防備であれば傷つくことばかりです。近い関係であっても、本当の意味で信頼し合うことが難しいこともあるかもしれません。


愛はすべてのことを覆うものです。互いに違う気持ち、思いがあって当然です。わかりあえないからこそ、人間関係の豊かさが生まれることもあります。神さまは、盾のように私たちの心を守ってくれます。その時、私たちは安心して愛を分かち合うことができるのです。


・待ち望む時に、力に満たされます。
私たちは、前に進むこと、何かを成し遂げることにだけ、価値をおいてしまいます。人と違っていたり、人のペースに疲れたり、追い立てられるようにして日々歩かなければならいことがあります。疲れても意識せず、自覚できずに走り続けるのです。


足を止めることが必要です。立ち止まり、人々は流れるように追い越し、自分の前へ進み出すでしょう。それでも、私が私であることのほうが、最も価値あることなのです。人より先に進んで、何かの賞賛という栄冠を手にしても、自分の本質を見失っていたら、意味がないことです。神さまの愛は、みことばの中から聞こえてきます。ゆっくり歩み、満たされて歩み、祝福を見つめて今日を歩みます。


心に宿る愛を信じている人が人生の本当の勝利者になるのです。
 

f:id:dailybreadzion:20201007082233j:image

10月6日 声援を送ります

おはようございます。
信仰と希望と愛で多くの問題は乗り越えることができます。


☆今日の御言葉 ヘブライ人への手紙12章1節
『こういうわけで、私たちもまた、このように多くの証人に雲のように囲まれているですから、すべての重荷や絡みつく罪を捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。』


あるスポーツ店に行った時に、「W.W.J.D」と文字が刻まれたブレスレットが置いてありました。これは、アメリカのクリスチャンアーティストやプロスポーツ選手が好んで腕につけているものです。意味は、「What Would Jesus Do」の頭文字をとったもので、「イエスさまなら、こんな時どうするだろうか?」と問いかける言葉です。これは、祈りの言葉であると言われています。


私たちは、毎日様々なことに直面しています。それは、何かを選択することの連続であるかもしれません。この場合は、こうしよう、あの人にはこう言おう、と自分の経験や知恵で何かを選択することがあります。もちろん、自分の知恵で正しい選択ができることもたくさんありますが、後悔や失敗してしまうこともあります。


その時、祈りの思いをもって立ち止まります。「イエスさまなら、こんな時どうするだろうか?」と心に問いかけて、また歩み出します。


どのような力を経験することができるでしょうか。


・励ましの力ー
疲れ果ててしまう時に、励ましが必要です。聖書のみことばの中には、私たちを励ますことばがたくさんあります。多くの証人たちがいます。過酷な人生を歩みながらも、神さまの恵みによって支えられてきた人々です。私たちの労苦を知っています。私たちの心の痛みも経験しました。その人たちが、いつでも、雲のように私たちを取り囲み、「大丈夫、その道には希望がある」と呼びかけていてくれるのです。


・赦しの力ー
すべての重荷や絡みつく罪が私たちの今日を暗くしてしまうことがあります。少し立ち止まり、イエスさまを思う時に、「重荷を負っている人はわたしのところに来なさい・・休ませてあげよう」と声が聞こえます。「あなたの罪は赦された・・」と愛をもって語りかけてくださる方がいます。何も心配せずに、恐れずに、信頼して私たちは、今日を走り続けます。


・忍耐の力ー
自分に定められている競争に集中します。神さまの使命が一人ひとりにあります。他の人の人生をみて走ろうとすると、自分のペースを乱してしまいます。神さまの愛は大きく、小さな私をも大きな神さまの業のために用いてくださるのです。時には、疲れ果ててしまような時もあるでしょう。もうこれ以上走りたくないと思ってしまうこともあるでしょう。その時は給水所があります。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。・・その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)


空を見つめ、雲を見上げ、イエスさまに祈り求めるように今日を歩みます。「大丈夫、わたしが一緒にいる!」と神さまから声援が届いています。
 

f:id:dailybreadzion:20201006081024j:image

10月5日 あきらめないで

おはようございます。
助けは、必ずやってきます。神さまのもとから。


☆今日の御言葉 ヨシュア記2章21節
『女は「お言葉どおりにいたしましょう」と言って二人を送り出し、彼らが立ち去ってから、真紅のひもを窓に結ぶつけた。」


ジョン・バンヤンの「天路歴程」という書物を読んだことがあります。滅亡の市に住む男クリスチァンは神の都(天国)に向かって旅をします。途中、落胆の沼を通り,死の影の谷を過ぎ,虚栄の町では投獄されるなど,多くの罠、苦しみ、危険を経験します。


この物語に、「軽率」と呼ばれる人が寄り添い誘惑します。道徳という人も近づき、神の言葉に従うなと助言をします。そのように数々の困難を乗り越えなければなりませんでした。

 

私たちの人生の旅路はどうでしょうか。たくさんの心挫かれること、惑わされてしまうこと、もう何もかも投げ出したくなることがあるかもしれません。神さまを信じていても、こんなことばかり嫌だ、と感じてしまうかもしれません。でも負けないでください。あきらめないでください。


神さまを信じて、天に続くこの道は、本当に素晴らしい慰め、勝利、祝福が待っています。どんなに大きな試練の中にあっても、イエスさまとともに歩む道は、希望の道が示され、力が与えられ、必要はすべて備えられるのです。


今日の聖書の箇所に、ラハブという一人の女性のことが書かれています。この女性は、カナン人(異邦人)で遊女でした。神さまの救いからは一番遠いところにいる人と思われていました。


天路歴程ではありませんが、ラハブは滅びゆく町エリコの住人でした。城門を固く閉ざし、何かを受け入れること、学ぶこと、愛を分かち合うことができない町でした。


この城壁に近づいてくる神さまの救いがありました。敵ではありません。神さまの救いの訪れが近づいていたのです。多くの人は身構えたでしょう。敵だと思い、自分自身を守るために防御や攻撃しようと思ったでしょう。しかし、ラハブは柔軟で穏やかで、神さまの救いの時を待ち望んでいました。身構える必要はありません。恐れて慌てる必要もありません。信じる思いをもって、心を開くようにして、神さまの救いを受け止めることができるのです。


滅びの町から私たちも旅立ちましょう。
私たちの天路歴程があります。その道は祝福につながっています。
3つのことをいつでも思い起こします。


1、ラハブはみことばを握りました。
「あなたの言葉は私の足のともしび、私の道の光」(詩篇119:105)大きな荷物を抱えても、手には小さくても命のみことばがあります。そのみことばを握る手があらゆる困難から守ってくれます。大きな希望への歩みへと導いてくださるのです。


2、穏やかに受け入れました。
「信仰によって遊女ラハブは、偵察に来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはありませんでした。」(ヘブライ11:31)何事も慌てず、祈りをもって、問題に対処します。信仰が心に宿ります。今日の労苦はその日だけ、明日は、明日の自分が神さまの助けの中で何とかやってくれます。


3、真紅のひもを窓に結びつけました。
真紅のひもは、救いのしるしでした。この真紅のひもによって結びつけられている人は救われたのです。この真紅にひもは、十字架から手渡されます。十字架に近づきましょう。そのままで赦され、愛されることを知るのです。


今日の歩みの先には、祝福が待っています。


f:id:dailybreadzion:20201005080645j:image