海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

8月6日 天使からあなたへの手紙

おはようございます。
助けは、神さまから与えられます。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書1章16節
『私たちは皆、このかたの満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。』


クリスチャン作家のC・S・ルイスの「悪魔の手紙」という著作があります。この本は、悪魔の国の大臣クラスの叔父、スクルーテイプから、悪魔養成所を出たての新米悪魔である甥、ワームウッドに送られた31通の手紙が書かれています。この「悪魔の手紙」の現代版である「悪魔の格言〜逆視点からの恵みの発見」(水谷潔著)という書物を読みました。1ヶ月31日分の悪魔の格言があります。


悪魔が神さまの恵みから人間を引き離そうとして、一生懸命に働いているという内容です。神さまの恵みを見せないように、祝福を信じさせないように、悩まし恐れさせることが悪魔の使命と目的です。


神さまに近づこうとする時に、逆の力が働く時があります。みことばに目をとめると、世の事柄が強く私たちの目を惑わすことがあります。愛をもって生きようと思う時に、人間関係の悩みに心が支配されてしまうことがあります。自分の可能性を見つめて歩み出そうとする時に、反対や自尊心を傷つける言葉を聞くことがあります。悪魔のやり方は巧妙ですが、いつも同じようなパターンなのです。神さまの恵みから目を背けさせ、失望や生きる虚しさや、今の現実の恐れや不安に取り囲むことです。

 

エスさまは、満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを、愛の上にさらに愛を、希望と喜びの上に、さらに祝福を増し加えて、とめどなく私たちの人生を満たしてくださるのです。


この恵みの豊かさの中には、悪魔は入ることができずに、力を失います。今日の日、もし悪魔のささやきではなくて、天使の力強い支えと、神さまの愛の中に生きるならば、暗闇はもう私たちを支配することはないのです。


天使が私たちに手紙を書いて送ってくれるとしたら、恵みと喜びが溢れるものになるでしょう。


天使からあなたへの手紙


「大切なあなたへ。あなたの存在は尊く、神さまの目には宝のように輝いています。もし、その輝きが見えなくても、自分を責めたり、自分には価値がないと思わないでください。ダイヤモンドの表面についたホコリは簡単に拭うことができて、いつでも磨かれます。あなたの輝きは永遠です。罪、汚れは赦されます。イエスの十字架はそのためにありました。


あなたは神さまに愛されている子なのです。その子どものためには、父なる神さまは何でもしてくださるのです。必要は与えられます。傷は癒されます。決して見捨てられることも見放されることもありません。


たとえ自分の中に良いものを見ることができなくても、天の富の豊かさの中から、私たちを着飾り、恵みの晴れ着を着せて、キリストに似る姿にまでその愛の中で育まれています。そして、光はいつもあなたの上にとどまっています。その光は、小さな私の生活に神さまが働いてくださることを知ることができるものです。それだけではありません。神さまの業のために共に働く特権を与えてくれました。神さまにある使命に生きて、共に喜ぶことができるのです。


必ず、最後には、死で終わるむなしい人生ではなく、天の喜びの中に迎え入れられるのです。だから、今日を背一杯、神さまと共に歩みましょう。」


天使が取り囲み、今日の日を守ってくださるように、神さまの恵みに支えられますように、お祈りしています。
 

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8月5日 ゴールは神さまの愛

おはようございます。
希望は、私たちの手の中にあります。手を広げ、希望を掲げて歩みましょう。


☆今日の御言葉 マタイによる福音書6章20、21節
『宝は天に積みなさい。そこでは、虫が食って損なうこともなく、盗人が忍び込んで盗み出すこともない。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ。』


私は、年に一度フルマラソン(42.195キロ)を走りたいと思っていますが、ここ数年はなかなか大会に参加できていません。2016年の時に、フルマラソンを3時間9分で走って以降は、年齢を重ねるとともに、記録も下がり続けています。なんとか、3時間を切りたいと、毎朝走っています。スタート地点に立つ時の緊張感、ゴールテープを切る時の達成感は楽しいしいものです。


私たちの人生もマラソンに例えられることがあります。私たちは今日も走っています。自分に与えられた人生のこの時を生きています。楽なことばかりではありません。息が上がって思うように走れない時もあります。疲れ切って足を止めたくなることがあります。周りのたくさんのランナーに追い越されるように、比較や競争によって消耗することがあります。それでも、神さまは一人ひとりに大切な人生を、私らしい人生を、誰とも同じではない特別な人生のレースを与えてくださっています。


やがてゴールがあります。イエスさまは、両手を広げて私たちを笑顔で迎えてくださいます。すべての労苦は報われて、悲しみの涙は拭われる素晴らしい時です。私たちの人生の目標は、一番になることではありません。他者を退けてまで自分が高められることではありません。栄誉や誉を獲得することではありません。天の栄冠、祝福、「よくやった忠実なしもべだった」と神さまから語られることです。


天に富を積むように、天に宝を積み上げるようにして歩む時に、私たちの人生は神さまが共にいてくださる喜びと、この小さな私を通して働かれる神さまの御業、助け、恵みの豊かさに感動することになります。


天国を目指す人生のマラソンの走り方。神さまの愛というゴールテープが待っています。


1、自分の可能性を信じる
自分で自分の可能性を小さくしません。自分の労力も自分の知恵も限界があるでしょう。神さまは、私たちに一人ひとりを豊かに用いることができるお方です。私の持つ力以上のものを与えて、だれかの喜びと平安のために用いられます。神さまが思いを与えて、祈りの中で育まれて、その願いや夢や希望を実現させてくださるのです。夢は大きく広がります。たとえ、私たちの外側は衰えてしまうことがあるかもしれませんが、内側にある信仰の喜びは日々新しく豊かにされるのです。


2、愛を分かち合う
自分にできることで、誰かのために一杯の水を差し出すこともあるかもしれません。この世では報われなかったり、拒絶されたり、良い反応を得ることができないことがあるかもしれません。神さまは、私たちの心も思いも祈りも聞いてくださっています。そして、誰からも感謝の言葉がなくても、神さまは豊かに報いて守っていてくださるのです。喜んで、誰かのために水を差し出して歩みたいのです。その労苦は決して無駄になりません。


3、祝福を祈る
私たちは、自分が満たされること、良い評価を得ること、自分の何かが高められることを求めません。自分にできることで、祝福の手を広げて、それを差し出して、祈ります。私たちは、自分で希望や祝福を愛を生み出さなくていいのです。空っぽの手でも神さまに差し出し、「わたしに・・与えてください」と祈るならば、必要は満たされるのです。驚くような力、知恵が与えられて、私たちは生きることができるのです。


私にできることのすべてを神さまにささげて、すべてを委ねて、今日もともに歩みましょう。
 

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8月4日 人生を2倍楽しく

おはようございます。
神さまのそば近くで歩むように安らぎがありますように。


☆今日の御言葉 テサロニケの信徒への手紙第一 5章16−18節
『いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。』


作業効率や勉強効率を2倍にするためのある方法を聞いたことがあります。その方法は、「if(イフ)-then(ゼン)プランニング」というもので、もともとはコロンビア大学ビジネススクールの教授が提唱したものです。やり方はシンプルで、「XしたらYする」と決めておくだけです。人間の脳神経は「XならばYを実行する」という命令に反応するようにできているようです。Xという実行のタイミングが訪れた時に、他のことを複雑に考えずに、すぐに気持ちをあらかじめ決めておいたYということに意識を向けます。


これは、普段の生活の目標達成のために用いられる手法で、作業効率が2倍にも3倍にもなるようです。もしこれを神さまを信じて生きることにあてはめて考えるならば、神さまを信じて生きる思いや、みことばを聞いてそれを生活に用いるための効果が2倍にも3倍にもなることもあるのかもしれません。


今日のみことばは、「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさいと」です。私たちが幸せと喜びを感じて生きるためのものです。それでも、とても難しい目標、課題かもしれません。大丈夫です。小さな一歩を共に踏み出しながら、私たちの人生が豊かな神さまの愛に溢れたものとなることを実際の生活で経験したいと思います。


・いつも喜んでいなさい
私たちの生活の中では、涙の時、辛い時、孤独でだれも自分の気持ちがわかってもらえないと感じる時があります。いつも喜ぶことはできません。


→if もし、自分の心から喜びが失われる時、今の自分のありのままの姿、今経験している人生に喜びを感じられないと思う時、みことばを思い起こします。
→then 「キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい」(第一ペトロ4:13)悲しみや辛さの中にある時、すぐにイエスさまを思い起こします。良い状況の中に喜びを見出すよりも、苦しみの中にも喜びを見る人は、本当に豊かな人です。


・たえず祈りなさい
自分の知識や経験はある程度の困難を乗り越えることはできても、完全ではありません。神さまは、私たちに祈らなければ乗り越えられない課題をある時与えられます。それは私たちを失望させるためではありません。祈りの力、神さまがどれほど私たちを愛しておられるかを知ることができます。


→if もし、自分ではどうにもならない出来事を経験して、思い煩いが強くなるとき、みことばを思い起こします。
→then 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)大変な課題が目の前にあっても、神さまの手が届かない現実はありません。


・どんなことにも感謝しなさい
人生のある部分は感謝ができても、どんなことにも感謝することは不可能です。神さまは私たちの感謝の心を育ててくださるのです。最初は小さくても、いや全く感謝できないことがあっても、神さまのそば近くに引き寄せられ、自分の弱さも感謝できない事柄もすべて、愛の中に包んでいてくださるのです。
→if もし、今、経験していることに感謝ができない自分がいたら、みことばを思い起こします。
→then 「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。」(第一テモテ1:12)強くしてくださる神さまがおられます。小さな思いも豊かな神さまのもとで強くされていくのです。


今日の日が、いつもより2倍楽しくなりますように。
 

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8月3日 目に見えない神を見る心

おはようございます。
祈り求めたことはすでに神さまの手の中です。


☆今日の御言葉 ヨハネの手紙第一 1章7節
『神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりをもち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。』


神さまは、私たちの目には見えない存在です。目には見えない存在をどのように知ることができるのでしょうか。私たちの感覚ではもしかすると、目に見えるものが真実で、目に見えないものは真実ではないと思ってしまうことがあります。それは、昔、創世記に記されている「善悪の知識の木」を食べてしまってから、知識思考が私たちを支配するようになりました。その横にあった「命の木」は、霊的思考によって生きる道ですが、人間はその道を選ぶことをしませんでした。(創世記2:9)


人間は、いつでも「善悪の知識の木」の実をとって、人生のすべての問題を解決しようとします。
そして、知識思考の中で問題を解決しようとしたり、神さまを見い出そうとしますが、それはとても難しいのです。


私たちの行動の根底にあること、何かを決断すること、考えることを霊的思考に変えて見ると、問題の解決が違う方法で私たちに与えられることを知ることができて、より深く神さまの愛を受けとめることができます。


どのように知識思考から→霊的思考に変えることができるでしょうか。


霊的思考に導く3つのステップ


光の中を歩む
人は、愛の中に歩む時に一番安心するのです。恐れや不安、痛みが押し寄せてしまうことがあります。その嵐のような出来事を自分の力で乗り越えよう、心の嵐を自分の力でがんばって静めようと思っても難しいのです。嵐をそのまま見つめます。ただ見るだけです。その嵐で自分の人生は台無しになるとか考えることをしません。私の存在は今光の中にあります。嵐があってもです・・。恐れに囲まれることがあってもです・・。イエスさまは光の中に包んでいてくださるのです。知識思考は、嵐の要因、それから起きる事柄を予測しますが、正確とは言えません。光の中にいる自分を見つめる時に、嵐をも正しく見つめ、自分の人生を前へ進ませることができるのです。


交わりのあたたかさ
神さまの存在はどのようにわかるでしょうか。それは、みことばを読み、心に神さまの愛がやさしく触れる時に、「神さまは共にいる」と思えます。これは知識によって到達したのではありません。私自身が霊的思考になっている証拠なのです。この経験、神さまの愛のあたたかさ、平安、どんな中にあってもふと湧き出てくる喜び、これを自分自身の中でみことばによって感じる時に、わたしたちはしだいにつくりかえられていきます。私たちだけではありません。霊的思考に導かれると、周りも環境も少しずつ変化していくのです。その時、「神さまは守ってくださった」と思えるのです。


自由と解放
私たちを苦しめているものがありました。それは私たち自身の姿です。驚くことかもしれませんが、人間が一番恐れているのは、自分自身なのです。恐れは、自分自身の中から湧き出てくる悪臭のようなものです。なぜ悪臭があるのでしょうか。このままでは愛されていないと思うからです。自分の責任でこのような状況になったと責めているからです。いつでもマイナスでネガテチィブに考えることによって、神さまの恵みから私たちは離れてしまいます。十字架のもとに行きましょう。今私たちにとって必要な言葉は、「あなたは赦された。安心して歩みなさい」というイエスさまのみことばです。霊的なともしびが心に宿ることになります。自由で、なんとも言えない解放感が今日の日を包み込むのです。


目に見えない神さまを心で見る人は美しいです。
 

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8月2日 人生を支えたみことば

おはようございます。
悲しみの涙も深い喜びの源泉となります。


☆今日の御言葉 エレミヤ書29章11−12節
『あなたがたのために立てた計画は、私がよく知っているー主の仰せ。それはあなたがたに将来と希望を与える平和の計画であって、災いの計画ではない。あなたがたが私を呼び、来て私に祈るならば、私は聞く。』


みことばは私たちの人生を支えてくれます。迷う時の力となります。悲しむ時の慰めとなります。希望を見失う時に、神さまはそばに近づき、私と一緒にいて、肩に手を置き、立ち上がることができるまで離れることはありません。苦しい時こそ、神さまの声が近くで聞こえ、悲しむ時ほど、イエスさまの愛の深さがどれほど豊かなものであることを知ることができるのです。


今日のみことばは、私の人生をささえたみことばの一つです。神さまは、ある時、この先どのように歩いたらよのだろうと、行き先が分からず、ただ一人崖の上に立たされているような時に、このみことばに出会いました。今、周りでおきていることは災いだと思っていました。なぜ神さまは守ってくれなかったのだろうかと思っていました。その時、たまたま聖書のみことばを読んでいました。ハッとさせられました。静かに、そして力強く、このエレミヤ29章11節が神さまの声のようにして、心に響きました。


1、私がよく知っている
人は、たくさん知識を得ることができますが、唯一の欠点は未来を見ることができないことです。わずか1分先の出来事でさえ見ることができないのです。先のことを心配して恐れても、それは現実的なこととは違います。神さまは明日を知らなくても良いように私たちを造られたのです。安心して委ねましょう。今この瞬間だけに生きるように、神さまは、私たちを生かしてくださっているのです。今この瞬間は、本当は恐れも不安もありません。神さまが共にいてくださる平安だけが心にあるのです。


2、災いの計画ではなく、平和の計画
実際、災いと思える出来事を経験することがあります。しかし、この「最悪で災いである」という感情は、人間がつくったものです。災いは、確かに辛く痛みを伴う現実があります。それを心配、恐れ、最悪な事態という思い込みによって、災いは増大し、私たちの人生を不幸であると決めつけてしまうのです。神さまは、創造者です。クリエイターです。災いという人間の脚色を、消しゴムとペンをもって、将来と希望を与える平和の計画へとつくりかえてくださるのです。


3、来て祈るならば、私は聞く
神さまは、一方的な恵みを与えてくださる方ですが、神さまの平和の計画を無理やりに信じさせることをしません。安心して委ねられるように、私の願い、喜び、求めを聞いてくださるのです。そしてある部分は、修正させられたり、ある部分は自分の願いと違うものを与えようとされる神さまの計画を知らされるのです。自分の理想とは違うことがあっても、もっと深く、豊かな神さまの最善に導かれ、守られているのです。私の思いを豊かに聞き、祈りを良いかたちで実現させてくださるのが神さまなのです。


委ねて安心。信頼して心は満たされるのです。
神さまは将来と希望を与えるために人生の計画を実行してくださるのです。

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8月1日 心を愛で満たします

おはようございます。
8月、神さまの平和があることを祈ります。


☆今日の御言葉 雅歌5章16節
『その口は甘美で、何もかもが慕わしい。エルサレムの娘たちよ、これが私の愛する人、これが私の友人。』


神さまは、私たち一人ひとりに目を留めて、心にある深い願い、求め、祈りのすべてを知っていてくださっています。たとえ今までどのような人生であっても、たくさんの後悔や挫折を経験することがあっても、それらのことを乗り越え、克服し、神さまにある豊かな喜びを経験する歩みへと導いてくれます。


幸せになる仕事(人生)の特徴の調査というものを聞いたことがあります。


2007年のシカゴ大学の研究結果です。5万人の男女に30年間追跡調査して、高い満足度を上げてくれる職業は何かというものを調べました。決して収入の高い職業が幸せの満足を高めるものではありませんでした。


最も満足度が高い職業ランキングです。5位・・画家、彫刻家。4位・・教育関係者。3位・・消防士。2位・・理学療法士。1位・・聖職者(牧師)でした。アメリカの社会的状況が大きく影響していると思います。この研究の共通点は、「他人を気遣うことを業務とすること、他人の人生に新しい影響を与えて、人生を守ったり、より良くする。」というものが人生の満足度を上げるものであるようです。


わたしたちが何かに貢献していると思える時、誰かのために役に立っていると思える時、その人の心の中に幸せが満ち溢れます。愛されることを求め続けて、自分の心を満たすよりも、自分にできる小さな愛を示すとき心は満たされるのです。


・これが私の愛する人
神さまを愛する時に、不思議なことに私たちの心の中に愛が満ちるのです。日々を感謝する時、感謝が心に宿るのです。私たちの心の領域が広げられます。天に向けられた思いは、私たちのこの世の生活を充実していくのです。神さまを信じる信仰は決して、宗教的になるとか、聖書を知らなくていけないということではありません。神さまが私を最高に輝く存在として造り、今日の日を生かしてくださることを信じることです。悩むことがあっても、自分を責めてしまうことがあっても、神さまの赦しと愛は、いつでも語られるのです。心が安らぎ、自分を尊び、生きて行くことができるのです。


・これが私の友
今日のみことばに「友」という言葉が使われています。友のようなイエスさまです。手をつないで一緒に人生の道を歩いてくれます。スキップしてしまうような喜び、感謝を口ずさんでしまうような思いが自然と出てきます。神さまの限りない祝福を受け続け、私のうちに祝福が満ち溢れ、その心は祝福の源のようになって、周りの人々に神さまの愛が伝えられていくのです。そのままでいいのです。自分で何かを成し遂げることよりも、友なるイエスさまと一緒に歩く道に、恵みの花が先、その道の先には、死という暗闇では終わることがない、救いの命の喜びに溢れる生涯となるのです。


神さまの愛を知り、実感し、それを豊かに抱いて歩む人こそ、本当に幸せな人なのでしょう。
 

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7月31日 究極の幸せと健康

おはようございます。
心も体も守られ、祝福されますように。


☆今日の御言葉 ペトロの手紙第一 1章3−5節
『私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐みにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生れさせ、生ける希望を与えてくださいました。また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、消えることのないものを受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。』


いつまでも健康で幸せを感じていたいですね。
1947年に採択されたWHO(世界保健機関)憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」そして1998年には、この健康の定義の中に、「Spiritual(霊的)」という言葉を加えることが提案され話し合われましたが、見送られました。


人間の健康を考える時に、肉体的にも、精神的にも、社会的にも良い状態にあることは必要だと思いますが、言葉の表現は難しいのですが、「霊的(人間存在の根底部分)」に満たされていることの重要性を聖書の中から改めて感じるのです。


人間存在の根底にある満たし(霊的Spiritual)とは、幸せに生きるための究極的なものです。神さまを求める思い、祈る心、自分の存在が大きな愛の中に包まれていることを感じる時に言い尽くせない喜びがあるのです。どのようにそのことを、今日実感することができるでしょうか。


1、新しさと希望を信じる
「新たに生れさせ、生ける希望を与えてくださいました」(3節)
生まれた環境や状況に今も悩み、傷つき、自分が生きていることの意味を見出せず苦しむことがあるかもしれません。イエスさまの愛の中で私たちは育まれ、新しくされます。みことばいつも「あなたは祝福される」と約束してくれているからです。痛みを癒し、傷を慰め、父なる神さまの懐に抱かれている神さまの尊い子として生きているのです。失望や悲しみはしだいに小さくなり、神さまと共にある希望が大きく光のように人生の歩みを照らしてくださるのです。


2、愛と恵みの中にある
「天に蓄えられている、朽ちず、消えることのないものを受け継ぐ者としてくださいました」(4節)
自分には良いものが与えられていないと思うことは辛いことです。目に見える現実、実際に経験していることが、わたしたちの人生のすべてではありません。見えないところに、本当に大切な宝物があるのです。神さまは、私たちにこれから与えようとすることを見えるかたちで示してくれない時があります。私たちは、空しさや寂しさを感じてしまうことがあるかもしれませんが、自分の手が空であると思う時にはじめて、神さまが私たちに与えてくださっているものが見えるようになってきます。決して無くならない希望、どのような中でも信じている心、嵐の中での平安、尽きることのない喜びをくださるのです。


3、救いと信仰という宝を手にする
「救いを受けるために、神の力によって信仰によって守られています」(5節)
過去を憂い、未来を心配して、本当の今を生きることができない時に、健康的に幸せに満たされて生きることが難しくなります。わたしたちの歩いてきた道のすべてをイエスさまは知っていてくださっています。救いは、私たちが傷ついてきたことの一つひとつ、後悔していることの一つひとつ、困難な出来事の一つひとつに、癒しと和解と解決を与えてくださるのです。もうその痛みの中に留まるものではなくて、神さまの愛の中で歩むことができます。その心には、平和と希望と喜びが豊かに心を満たしているのです。


霊的に満たされることは、今日を幸せに生きる力です。
 

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