海老名シオンの丘教会牧師によるバイブルメッセージ

海老名シオンの丘教会の牧師による みことばメール

6月16日 今日を幸せにする祝福の言葉

おはようございます。
弱さの中に神さまの力強さが現されます。


☆今日の御言葉 第一ペトロ 1章23節
『あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生ける言葉によって新たに生まれたのです。』


神さまは私たちをどれほど愛してくださっているでしょうか。親は子どもに良いものを与えたいと願うものです。空しいものを手にして欲しくないのです。悲しみの中で日々過ごして欲しくないのです。喜びをもって、人生の素晴らしさ、生きていることの尊さ、大切な仲間がたくさんいること、どんな時にも助けは与えられ、個性は輝いていて、ひとりひとりの可能性は豊かなものであることを毎日実感してほしいのです。


今日が幸せになる祝福の言葉があります。
朽ちてしまう空しいものを手にすることから、朽ちない愛の種を手にする時に、私たちの人生は生き生きとした命と躍動感に溢れます。
自分の内側に強いエネルギーを感じるようになります。自分の内面を深く見つめながら、神さまの愛のみことばが根を張り、芽を出し、実を結ぶからです。


1、主の園のようにされる
「荒れ野をエデンのように、荒れ地を主の園のようにされる。そこには喜びと楽しみ、感謝と歌声がある」(イザヤ51:3)荒れ野、荒れ地、たくさんの苦労を重ねてきた人生です。痛みも問題も乗り越えてきました。時には喜びよりも心配が、歌声よりも悲しみがあったかもしれません。


みことばが心に撒かれると、麗しい花が咲いている主の園のようになります。ある時は鳥が来て食べてしまっても、ある時は心配に覆われて喜びを見出せなくても、神さまは諦めずに、いつでもどんな時にもわたしたちの心にみことばの命の種を撒き続けてくださるのです。深い神さまへの信頼が根を張り、喜びと楽しみ、感謝と賛美が満ち溢れます。


2、太陽と雨を与え、人生は潤される
「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」(マタイ5:45)私たちの状況を整え、守り支えてくださる神さまが共におられます。


1日の時間は、24時間という時計が示す時にだけ生きているのではありません。神さまの愛の中で時を刻んでいます。日が昇り、神さまの愛の光が全地を照らしています。木々は風に揺らぎ、鳥はさえずに、神さまの栄光をたたえています。雨の時もあります。思い通りにならないこともあります。自分の正しさや自分の弱さに悩む時もあります。一番良いことを与え、最善のことを示し、「神さまがなされることは時にかなって美しい」と思える日々を歩いています。祈りは天に届けられているからです。


3、美味しい祝福の実を味わう
「彼は水のほとりに植えられた木のようになり、川の流れにその根を張り、暑さが来ても恐れず、その葉は茂っている。干ばつの年も恐れず、絶えず実を結ぶ。」(エレミヤ17:8)自分で一生懸命がんばって、人生の幸せの実を結ぶこともできます。誰かとその実を比べたり、競ったりします。自分で結ぶ実はそれなりの充実感があっても、やがて朽ち果てるように、永遠に手の中に置くことはできません。


決して変わることのない神さまのみことばがあります。命の種です。手に取り握りしめ、心にゆっくりと納めます。手を伸ばせば、いつでも神さまは命の種を手にそっと置いてくださるのです。握りしめ、納めます。豊かな水の流れのほとりに植えられた木のようになるでしょう。ゆっくりと実を結びます。そして豊かにその実を味わい、今日を喜びをもって歩むことができるのです。


天においても、地においても、神さまの祝福は満ちています。
 

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6月15日 心のダイヤル調整法

おはようございます。
信じる思いは、すべての恐れから守ってくれます。


☆今日の御言葉 第二テモテ2章13節
『私たちが真実でなくても、この方は常に真実であられる。』


私たちの心の焦点をいつでも真実なる神さまの愛に合わせます。
今、心のダイアルがどこに合っているのか観察してみます。


もし、後悔や不満足、痛みが心を支配していると思っているならば、過去や目に見える事柄だけ焦点が合っている可能性があります。もし、ストレスが押し寄せ、「もし〜だったらどうしよう」と不安を覚えているならば、まだ何も起きていない未来に焦点が合っているのかもしれません。


私たちの周りには様々なことが起きています。人生は動いていてスピードは早く、目で追っていると疲れ果ててしまいます。過去や未来からも、声が聞こえて、「そのままでは愛されていない」とか、「何かをしないと自分に価値はない」と知らず知らずにうちに自分自身を追い詰めてしまいます。


心のダイアルを正しいところに合わせると、私たちの今日の1日に爽やかで心地よい安らぎの風が吹いているのを感じることができます。今を喜び、神さまが共にいる豊かな平安を感じます。


神さまの真実はわたしたちを守っていてくださっています。たとえ、わたしが揺れ動くことがあっても、心定まらず、不安と恐れを見つめてしまって、静かに、愛をもって、イエスさまは近づき、真実の中に留まりなさいと呼びかけてくださっています。


心のダイアルをゆっくり神さまの真実に合わせましょう。


最初は、雑音がたくさん聞こえるでしょう。わたしをいつも恐れさせる言葉が心にあるからです。過去の傷がまだ痛み、心に雑音を響かせています。未来を憂いてしまう心配が、エアコンの機械音のようにずっと聞こえているのです。心は騒ぎ、不快感があるかもしれません。その雑音もよく聞いてみます。「今考えなくていいこと」、「そこまで心配しなくていいこと」、自分の心を観察します。そして、それを聞き流す音のように、部屋を換気するように空気を入れ替え、今必要なこと以外は心に留めることをしません。


みことばに聞き続けます。私たちに約束されている永遠の祝福を祈り求めていきます。
やがて、私たちの心がぴったりと神さまの真実に合うように助けてくださいます。

 

心のダイアルが神さまの真実に合う瞬間があります。その時あることを経験します。


深い平安に包まれます。目に見える現実は変わらなくても、恐れは心を支配していてないのです。自分の内から聞こえる声も、みことばで上書きされます。神さまの愛が心に満ち溢れます。今生きていることは本当にすばらしいことだとわかります。まだ解決されていない問題も抱えています、それでも心を痛めていません。真実なる神さまにより頼んでいるからです。


自然と祈りが生まれるでしょう。生活の合間に賛美が心に宿っているでしょう。明日のことは心配していないでしょう。今できることで背一杯自分の賜物を生かしています。人生は退屈な毎日ではなくて、神さまは1日今日できる使命を与えてくださっていることを豊かに知ります。


神さまの真実だけを見つめます。恐れがきた時、その思いに流されることをしません。不満足に支配させることをしません。しっかりと、ゆっくりと神さまの真実を見させてください、祈り求めます。


今、イエスさまが一緒にいてくださることだけが、どの時間帯にも、どの瞬間にも、川のように流れているのです。豊かな泉のように、人生を潤す命の水のように、私たちを元気するものです。周りに生きる人たちに祝福と平和を与えるものになります。


今日は、恵みの日、祝福の日です。

 

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6月14日 神さまの実印

おはようございます。
喜び楽しむ日でありますように。


☆今日の御言葉 コリントの信徒への手紙第二 1章21−22節
『私たちとあなたがたとをキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注いでくださったのは、神です。神はまた、私たちに証印を押し、保証として私たちの心に霊を与えてくださいました。』


神さまが大きな契約をしようとしています。ついに決断しました。その手には、実印が握られています。神さまと人との新しい契約です。この契約は永遠に取り消されることはありません。一人ひとりの人生に証印を押してくださったのです。


私たちは神の子になりました。死と暗闇が私たちを支配することはもうありません。ひとりで悩み、どのような状況に置かれても恐れる必要はありません。証印には効力があり、神さまと私との契約書である聖書の約束を見ると、日々絶大な守りがあり、慰めがあり、必要な知恵と力はいつでもどのような時にも注がれるのです。


今日の静まりの時間に思い巡らしてみます。

 

1、神の子とされた愛が心の中心にあります
一番深い、心の中心にイエスさまの愛が満ちています。湧き出る泉のように人生を満たしています。ただそのことに目を留めます。今この瞬間、あなたを脅かすものはいないのです。神さまの愛に包まれているからです。


2、ひとりぼっちではありません
わたしたちはいつでも空の手を喜びます。栄誉も尊厳にしがみつく必要はありません。空しさも絶望も握りしめません。神さまの豊かな手の中に私たちの人生のすべてが置かれている平安をただ感じます。神さまは私たちを見放すことは決してないのです。


3、必要は満たされ、守られます
思考を働かせて未来を見るならば、心配や恐れを強く感じてしまうことがあります。信仰の目を通して今をみるならば、揺るぎない愛と力が豊かに注がれていることを知ることができます。祈りは聞かれ、明日を思い煩うことなく、今生かされている喜びだけが心に宿ります。


4、天国への切符を手にしています
やがて、私たちの現実も、見える事柄は変化していきます。より良い変化を期待しますが、時には思わしくない出来事を受けとめることもあります。しかし、その道は決して悲しみと絶望に向かっているものではありません。天の栄光に続いているものです。心の目を開けて見るならば、イエスさまがいつでも両手を広げて、私たちを包み込んでくださるのです。


もう、大丈夫です。心に神さまの愛の証印が押されています。


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6月13日 マインドマップ

おはようございます。
神さまのそばに深い安らぎがあります。


☆今日の御言葉 フィリピの信徒への手紙3章8節
『私の主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑(くず)と考えています。』


マインドマップというのを書いてみたことがあります。自分の考えていることを整理したり、自己紹介などをするときに用いられるものです。


真っ白な紙の中央に自分の似顔を書きます。そして、その似顔絵から枝を6本伸ばします。枝の上にキーワードを書きます。例えば、名前、趣味、好きなもの、今関心のあるニュース、自分の性格、生い立ち・・というように。その項目にさらに枝を伸ばして、言葉を書き足していきます。名前を書いたら、由来やあだ名や、自分の正直な思い等・・一つひとつ枝を伸ばすように書いていくと、自分自身の今がわかるようです。



パウロは、イエスさまに出会う前の「私」とイエスさまを信じた後の「自分」は大きく変わりました。イエスさまを信じる喜びの意味をパウロマインドマップをみるとわかります。
・イエスさまに出会う前のパウロ(フィリピ3:5)

名前・・サウロのちにパウロと改名しました。
生い立ち・・生まれて八日目に割礼を受けました。厳格な家庭で育てられました。
民族・・イスラエルのベニヤミン族出身のヘブライ人。
思想・・ファリサイ派に属して、旧約聖書の律法を完全に守り、非のうちどころがありません。
性格・・何事にも熱心で、少しでも曲がった行いをしている人を許しません。自分の思想と違う人も受け入れません。クリスチャンたちや教会を迫害するほどです。
好きな言葉・・正義、賞賛、勝利、富、誉


パウロという人が少し分かるような気がします。とても立派な家庭で育てられ、一流の教育を受けました。熱心な人であり、自分の考えとは違う人は論破し非難します。教会が嫌いで、クリスチャンたちを迫害する人でした。こだわりが強く、心は狭かったかもしれません。りっぱな人でありましたが、愛情深い人ではありませんでした。


このような性格のパウロがイエスさまに出会った時に変えられました。


名前・・パウロですが、「キリストのしもべ」とされました。
生い立ち・・天地創造の前に、神さまに愛されて、今生かされています。
民族・・憐れによって、神さまの民ととされた。家族とされ、神の子になりました。
思想・・私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きています。
性格・・自分にとって利益だと思っていた富、成功、栄誉を失いました。それでも悩んでいません。むしろイエスさまを知ったことのあまりの素晴らしさの方が嬉しいのです。
好きな言葉・・愛、喜び、平和、寛容、親切、善意


パウロは、イエスさまの恵みによって変えられました。豊かな神さまにある平安を得ているのです。かつては自分自身の誇りを立たせることに一生懸命でした。自分の主義主張は一番でした。しかしそれは、人間関係を破壊し、自分自身をも生きにくくさせているものでした。


自分の今を知り、イエスさまがその人生の上に溢れるほどの愛と恵みと平和を注いでくださる時に、私たちのすべての思いがイエスさまに向けられたものとされるのです。それは本当に大きな喜びを私たちの生涯に与えてくださるのです。


今日の日は守られます。
自分の思いを超えてもっと豊かにイエスさまが人生を祝福してくださるからです。
 

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6月12日 天からの封書を開くと…

おはようございます。
梅雨の時期も心も体も守られていますように。


☆今日の御言葉 ヨハネによる福音書1章12節

『言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。』


海の魚は、水の存在を疑ったり、確かさを議論したりしません。空の鳥は、吹く風を憂いたり、雨の日でも悩んだりしません。野の花は誰とも比べず美しく咲いています。自分の存在を包み込むような愛に守られている今日の日です。神さまの存在を一生懸命、認識しようと思わなくていいのです。この逆風は自分のせいだと思わなくていいのです。人と比べて、人の振る舞いを気にして、自分には価値がないと思わなくていいのです。


言(ことば)というのは、神さまの存在の豊かさを現す表現です。
この世の単語、言葉、表現では語りつくせないものです。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1:1)
この言を受け入れると、私たちの世界観がまるで変わるのです。


少しの時間をとって、実験してみましょう。
もしかしたら今日も複雑な感情の中で、たくさんの重荷や心配を抱えることがあります。そのままで大丈夫です。言(ことば)を心に受け入れてみます。
理解しようとしなくても、ただみことばの力と愛を感じます。


今日、10分から15分でも、静まりの時をもちます。
1日の中で空いている時間で、自分自身と神さまの愛を深く思い巡らします。
深く呼吸をしながら、吸って吐く呼吸にだけ集中します。
「今」だけを見つめます。過去も未来も「今」には不必要なのです。
そして、静まった心でゆっくりとみことばを思い起こしてください。


初めに言があった
「光あれ!」(創世記1:3)
地は混沌であって、闇が深淵の面にありました。心に浮かぶ気持ち、思いはどのようなものでしょうか。それを評価したり、なぜ問題があるのか、その原因は何かと、突き詰めて考えることをストップします。ただ、認識はします。それが心にはあるということだけです。


人生の傷も見えるでしょう。その傷を恨みの感情に変える必要はありません。傷ついているという事実だけを見つめます。心配ごとを数えるとたくさん荷物が見つかるでしょうか。それも荷物のような箱と思います。重くても、軽くても、それはわたしが抱えているただの荷物なのです。わたしたちの心にみことばをたくさん心に納めます。納めるだけでいいのです。一生懸命理解し、人生に無理に適用しなくいいのです。みことばをそっと心に宿すのです。そこから命の芽が吹き出てきます。あたたかい神さまの愛が宿ります。光のような希望が心を包み込むのです。


言は神とともにある
「小さな群れよ恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12:32)
小さなものに注がれる、神さまの力強い守りがあります。神さまの真実がともにある時に、私たちの意識とはまるで正反対のことが起こります。小さいことは豊かな神さまの恵みを体験することになり、心配し恐れていることを通して、圧倒的な神さまの助けを経験することとなり、この世で頼るものが何もなくなったときに、天に蓄えられている富から必要なだけ、求めるものに注がれる備えを実際の生活で経験するのです。


言は神であった
「闇は光に勝たなかった」(ヨハネ1:5)
私たちはすでに結果を知らされました。まだ人生を全うしていません。まだ祈りの課題を抱えています。見える現実はあまり変わっていません。「言(ことば)」を受け止める時に、ある証明書がわたしたちに届けられます。その天からの封書を開けて見ます。そこには一言「闇は光に勝たなかった!」と書いてあります。今の祈りの課題の結果です。


私たちが抱えている問題の結末です。わたしたちは、もうプロセスを気にしません。光となる経緯を模索しません。もう十分なのです。封書を手にしています。すべては守られ、最善の神さまの出来事をやがて経験することになるのです。わたしたちの信仰の歩みは、もう勝利の約束を手にして今日を歩いているのです。


ゆっくり「言(ことば)」の意味を噛み締め、私の心とする時に、神の子とされた特権、力、喜びが溢れてきます。
神さまの祝福の日でありますように。

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6月11日 忘れられない特別な日

おはようございます。
重荷をイエスさまに委ねて安心です。


☆今日の御言葉 出エジプト記3章5節
『神は言われた。「こちらに近づいてはならない。履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地である。』


私たちの今日の歩みには、過去と未来の多くの荷物を背負っています。たくさんの出来事を経験してきた私たちの人生です。またこれからもその道は続き、どのような出来事の中に歩むかは誰も分かりません。時には、過去の荷物で足取りは重くなり、まだ見ぬ未来を心配して、今を喜ぶことができないこともあるかもしれません。


もし、私たちの人生が変えられる「特別な日」が訪れたらどうでしょうか。全く新しくされる日です。過去の記憶は洗われ、未来の憂いは溶け去り、神さまの愛がスポットライトのように「今」この瞬間を包むのです。


恐れは遠ざかり、悪しき思いはもう私たちを支配することがないのです。すべての重荷は横に置かれ、神さまの愛のみことばがわたしの行く道を照らしています。周りがどのように深い闇に包まれても、道に迷うことはありません。弱さの中でも強くされ、深い悩みの中でも力強い確信が与えられるのです。その日を神さまは私たちに用意しています。


旧約聖書に登場するモーセは、偉大な指導者でした。なぜ、モーセは立ち上がり、力強く歩み、民を信仰の道に導くことができたのでしょうか。「特別なその日」を経験したからです。


その日・・何が起きたのでしょうか。


・神さまの情熱に触れる
モーセは過去の痛みをずっと抱えていました。ファラオの王宮で育てられ、偏った価値観の中で教育されたことでしょう。そして、同胞を守るために事件を起こしてしまい、ミデヤンの荒れ野で40年間の逃亡生活をします。寂しく、痛み、空しさに日々押しつぶされそうであったかもしれません。


特別な日が来ました。神の山ホレブで、燃えている柴を見るのです。目が釘付けになります。そして、不思議なことにその柴は燃え尽きることがないのです(出エジプト3:2)それは神さまの情熱でした。モーセを見捨てることなく、大きな愛で包み、過去を見ることから、今も生きている神さまの情熱に触れたのです。暖かい太陽の光を浴びているようにいつでもこの瞬間、その熱が伝わってくるのです。


・神さまの前にいる
モーセは、今まで自分の道を歩いていたことです。ミデヤンでは羊の群を飼っていました。この燃える柴を見るために道をそれました。「主は、彼が道をそれて見に来るのをご覧になった。」(出エジプト3:4)神さまは今も生きておられます。わたしたちは自分の人生の道だけを見つめながら、ある時は喜び、ある時は悲しんでいるでしょう。自分の道がすべてのことではありません。


私の道をそれて、目を天に向け、新鮮な空気を吸い込むように手を広げ、神さまを思い巡らす時、日常の生活のふとしたところに、神さまの豊かな声が届いているのです。小さな事にこだわりすぎず、自分の思いで人生を憂いてしまうことなく、神さまの御前に今私たちも立っているのです。神さまの御前からいくらでも人生はやり直すことができるのです。


・履物を脱ぐ
モーセは、神さまに語られます。「履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は、聖なる土地である。」(出エジプト3:5)履物は、モーセ自身でした。モーセ自身の過去であり、未来であり、人生でした。その履物は汚れ、過去の傷が見え、未来の憂いがありました。この履物は、ずっとモーセの近くにありましたが、ついにその履物を脱ぐときがやってきたのです。新しい姿のように、聖なる地を歩み出します。祈りは聞かれ、モーセは神さまの使命に生きるようになるのです。


その特別な日・・すべては変わりました。神さまの情熱に触れます。そのままで御前にいます。そして、過去と未来に目を奪われ、縛られることから自由になって、自分の履物を脱ぎ、神さまが今、自分自身に向き合ってくださる聖なる地に立っているのです。


今日の日、聖なる地を歩くように、神さまの恵みが豊かに注がれていますようにお祈りしています。


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6月10日 あなたの尊さは賜物で分かる

おはようございます。
信じる思いは、わたしたちを失望から守ってくれます。


☆今日の御言葉 ローマの信徒への手紙12章6節
『私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。』


美しく尊い存在のあなたへ。
神さまは、言葉は言い尽くせない愛をもって今日を守っています。難しい課題の中にあっても、必要な知恵が与えられます。困難な道を歩く時にも、助けと守りは用意されています。そして、誰とも同じはない、限りなく尊い個性が輝いているのです。


神さまから最高のギフト(賜物)が与えられていることを知る時に、存在は尊く、私が私らしく、神さまにあって喜んで今日を歩むことができるのです。

 

ローマの信徒への手紙12章6節以降には、7つの賜物(ギフト)の性質、中身が記さられています。

 

自分にはどのような賜物が与えられているかチェックしてみてください。

 

1 預言(みことば)の賜物をいただいている人
□私は他の人を慰めたり、みことばを示されて分かち合いたいと思うことがある。
□私は未来にどのようなことが起きるか、みことばから聞きたいと思う。
□読んだり、聞いたりしたみことばを人に伝えたいと思うことがある。
□私は、ある状況と聖書のみことばが一致していると感じることがある。


2 奉仕(働き)の賜物をいただいている人
□神さまのためや教会のための奉仕を喜んでいる。
□何か特別なことでもなくても、神さまの必要のためなら何でもしたい。
□忍耐強く、忠実にやりとげることが嬉しい。
□じっとしているよりは、何かをしていたい。
□たとえ人の目につかない仕事でも、役に立つのであれば喜んで引き受ける。


3 教える(リーダー)賜物をいただいている人
□聖書の真理や大切なことを人に伝えることが嬉しい。
□事柄の真実をわかりやすく人に伝えたいと思う。
□真実を分かち合うことで、人が変えられていくことを見るのが喜びだと思う。
□何かを勉強して誰かと時間をとって分かち合うことが楽しい。


4 勧める(励まし)賜物をいただいている人
□絶望した人たちを、慰めたり励ますことが好きだ。
□必要な働きに人々が参加するように促したり、動機付けすることを喜びに思う。
□悲しみや苦しみの中にいる人たちが話を聞いてほしいと来ることがある。
□人の心に寄り添い、効果的に解決策を提示することに喜びを感じる。
□苦しみや苦難の中にある人たちと一緒にいることを求めている。


5 与える(愛する)賜物をいただいている人
□お金を節約して、謙虚に生きることを喜びとしている。
□神さまの働きのために捧げることを喜びとしている。
□これからのことや、将来のことをあまり心配していない。
□神さまは、わたしの必要を満たしてくださっていると心から感謝している。
□必要を覚えている人たちのことを心にかけている。


6 指導する(マネージメント)賜物をいただいている人
□一つの目的のために一緒に協力して成し遂げることは好きだ。
□だれかの祝福と喜びのために何でもしたいと思う。
□犠牲があっても、人が変えられることのためならできることをしたいと思う。
□人を育てるのが楽しい。
□個人よりも共同体に関心がある。


7 慈善(優しさ)の賜物をいただいている人
□心や体の病の中にある人のことが気になる。
□困っている人の必要を満たしたいと思っている。
□弱さの中にいる人たちの励ましとなることが大きな喜びに感じる。
□助けを必要としている人から声をかけられることがある。
□孤独な人、一人で生活している人の助けになりたいと思っている。


どの項目が一番自分の心に合っています。
みな、違っていてそれで素晴らしいのです。

私たちの存在はこの賜物によって輝き、生かされていることの喜びを感じるのです。


あなたは、どのような賜物の人ですか?
今日、賜物を意識しながら、自分にできることで共に歩みましょう。
賜物が生かされる喜びがわたしの本当の姿なのです。
 

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